ヴィパッサナー 〜”アニッチャー”をめぐる冒険〜

修行が始まる前、そして始まってからもずっとあることが気になっていた。
それは、”アニッチャー”である。
ヴィパッサナーに行く前日に例の親友に電話すると、
「先入観を与えたくないから何も言わない。ただし、1つだけ言っておく。”アニッチャー”という言葉だけは覚えておきなさい。あ、あと耳栓はマスト。」※1
と、ドラクエの町の住人のような謎めいたメッセージ。
どういう意味か聞いても、「修行が始まったらすぐにわかる」の一点張りで教えてくれなかった。
修行経験者がそういうのだからと、”アニッチャー”とやらにいつ出くわしても大丈夫なように初夜並みの受け入れ態勢で今か今かと待っていたが、待てど暮らせど”アニッチャー”はアナウンスされないまま、ただ時間だけが過ぎていった。

沈黙が破られたのはDAY4のことだった。
そのころには”アニッチャー”を思い出せないほど思考レベルは低下していた。
修行中に突如として特別イベントが発生することがあるのだが、俺たち修行者は江戸時代の高札よろしく、玄関前に張り出されたたった一枚の紙きれで知らされる。※2
その紙切れには、今日(DAY4)の午後の瞑想はとにかく重要な修行だから全員参加することを義務づける的なことが書かれているものの、何が行われるのか皆目見当がつかない。
会話も視線をあわせることも禁止されているため、その情報の真意を探ることすらできない。
疑心暗鬼のまま満身創痍の体にむち打って、とにかく高札の指示どおり道場に集合すると、日本代表監督の解任会見さながらの緊迫感に包まれていた。

いよいよここからがヴィパッサナーの幕開けである。
それは、いつもはくだらない与太話を垂れ流すゴエンカ師が、瞑想法について語り出すところから始まる。
ところが、次の瞬間耳を疑うような通告を突きつけられる。

「背筋を伸ばし足や手を開いてはいけません。そして瞑想を一度開始したらピクリとも動いてはいけません」
「痛くても、痒くても、くすぐったくても、痺れを感じてもいかなる場合でも身体を動かしてはなりません」

まさに、死刑宣告である。
というものも、この時背中の痛みはピークを迎え、修行どころの騒ぎではなかった。
背泳ぎ柔軟法※3に加えて、礼拝ポーズ※4やタオル柔軟法など思いつく限りのリハビリを試行錯誤しているにもかかわらず、全く痛みが軽減されない最中の出来事だったから、なおのことショックだった。
もうどんなにしんどくても体勢を変えたり、足をくみかえたり、体育座りで回復をはかったり、できないのだ。
俺は一人、天を仰いだ。
無情にも、そんな俺を無視して、指導は次のように続く。
「鼻の下にある意識を頭のてっぺん2cm四方以内に移動させなさい。そしてそこを流れる空気、感覚を観察しなさい」
さらに、頭のてっぺんの意識をおでこ→まぶた→目→鼻といったように細かく身体を分節し、その部位を次々に移動させ、最終的につま先に向かって全身を少しずつ移動するように指示される。
厳密に言うとこの時間までやっていたのは「アーナーパーナ」という呼吸法を主とした瞑想で、これから始まるのが「ヴィパッサナー」らしい。
いつまでも絶望していてもしかたないので、とりあえずものはためしに観察をはじめる。
でも、あまりの恐ろしさから、姑息な手段に手を染めてしまった。
最後列の恩恵をフルに活用して、背中と壁の間にクッションを挟みこみ、背中の痛みを少しでも軽減させるという、せめてもの抵抗だったが、おかげで心持ち修行に集中できるようになった。

はじめのうちは極めてゆっくり、ゆっくりと意識を頭からつま先まで移動させていった。
それぞれの部位で生じる感覚を感じたら、次の部位へと移動させていくことを4、5回繰り返すと、1時間が終わる。
集中しているときには1周30分ほどかかることもあった。
この時にイメージしたのは、WiiFitでからだ測定されるときに表れる画像(下の画像)で、全身を順番に輪切りにスキャニングしていった。

すると次へ次へと、意識を集中させた部位のみに様々な感覚が起こる。
いや本当は順番が逆だ。
何も知覚できないと次の部位に移動できないから、何とかして見つけようとする。
ともかく、ふだんならば感じないようなささいな身体の変化、いや変化と呼べるようなものではない、揺らぎと表現した方が近いかもしれないものが知覚できるようになり、どんな微細な感覚も逃さなくなっていった。
だから、大きな声では言えないが、デリケートな部分をスキャニングするときは自分磨きに近いものがあり、苦しい修行のささやかな楽しみだった。

ヴィパッサナーを手解きされたその日の夜のグループ瞑想で、異変が起きた。
瞑想をはじめて30分ほど過ぎた頃だっただろうか、突然全身から白い光があふれだし、身体と外界を分ける境界線が消えた。
あまりの快感に何が起きているのか混乱した。
初めての精通に匹敵するといっても大げさではない。
それまで悩まされてきた体の痛みも感じない。
たとえどれだけ言葉を尽くしたとしても、この時の衝撃を表現するのは難しい。
かといって精通だけで説明を終えるのも情けない話だが、スピリチュアルな話をしたところで体験していない人間にとって、語られれば語られるほどヤバイ奴になるのだから仕方ない。

この興奮を誰かに伝えたいが、聖なる沈黙という制約のため、誰にも伝えられない。
加えて覚醒してしまったため、なかなか寝付けない。
身もだえして寝れない夜を明かした。
ところが、翌日DAY5にチャンスが到来した。
瞑想中に先生が4名ずつ呼びだし、質問をする機会が定期的にあったのだが、ちょうどこの日が我々新しい生徒のカテゴリーだった。
先生は日本語が話せないので、ボランティアリーダーの方が通訳してくれるのだが、そこで現状を報告し、アドバイスを求めることができる。
つまり、修行中で唯一喋ることができる時間なのだ。
そこで、私はありのままに自分の身体に起きたことを話した。
「身体から光があふれ、真っ白になりました。」
しかし、先生は「ソウデスカ」とそっけない返事。
心の中で、「えー、違うの?間違っているの、俺?」と自問自答し、気のせいか通訳のボランティアリーダーも怪訝な顔で俺を見ている。
「なら、他の奴に聞いてみればいい。同じことを体験しているはずだ。」
とばかり、次の人にターンを譲ったが、他の3人ともそんな不思議体験をしていなかった。
「うそーーん。俺だけ?」
穴があったら入りたい。
ただただ辱めを受けた。
「あの感覚はなんだったのか、あれはマボロシだったのか。修行のせいで頭がおかしくなってしまったのか」
やり場のない気持ちを抱えたまま、弱者の部屋に戻った。
ところが、その日の夜の瞑想でまた覚醒した。
やはり、マボロシではなかった。
これだ、間違いない。
友人から聞いた話だと、麻薬そっくりの高揚感を得ることができるからヴィパッサナーの修行にはジャンキーも集まってくるらしい。
たぶん、これこそがジャンキーの求める脳内麻薬だ。
修行中に、ゲップしまくる奴がいて本気で殺意を覚えたことがあったが、一度目を開けじっくり観察してみると、ゲップを通り越してまるで痙攣をおこしている。
尋常じゃない様相だった。※5
もしかして彼もまた脳内麻薬によってエクスタシーを感じていたのかもしれない。
そう、麻薬と違って、覚醒のスイッチは自分で入れることはできない。
何度も何度もスキャニングする過程で、突然覚醒する。
覚醒しても、その状態を維持することも難しい。
まるでスーパーサイヤ人になりたての頃のサイヤ人だった。

俺自身が俺自身をコントロールできない。
しかし、それでいいのだ。
コントロールしようとしてはいけない。
ヴィパッサナーとは心を平静にただありのままに観察することなのだから。
痒み、痺れ、痛みといった身体に起こる様々な現象、それらは放っておけば消える、無常の現象。
それと同じように自分の潜在意識、心の深い部分に溜まっている怒り、妬み、憎しみなどの嫌悪な感情もやがては消える無常の現象。
どちらも自分の身体の内部に起こる無常の現象であり、これらにその都度、反応すること無く客観的に観察して常に自分の心を平静に保ち続ける。
感情も含めて自分の目にするすべての現実は、自分自身で作り出したものなのだ。
これまでは、そうしたものを理性でコントロールしようとしてきた。
なぜなら、感情を理性でコントロールすることが世の中では正しいとされているからだ。
そして、それ以外の方法を俺は知らなかったから、そう訓練してきた。
しかし、どれだけ訓練しても感情の嵐の中では理性の出る幕などない。
弱い人間だからと一蹴してしてしまえばそれまでだが、だって人間だもの。
感情に振り回されないためには、理性を磨くだけでなく、感覚によって嫌悪・渇望・無知といった感情を受け流せばいいのである。
諸行無常、常なるものはない。
とどまってはいけない。
これこそ”アニッチャー”なのである。
親友のメッセージの意味がやっとわかった。
この境地に達した時、やっとこの苦行のなかに平静さを取り戻すことができるようになった。




※1耳栓には本当に助けられた。もし、修行に行かれる場合はマストアイテムです。
※2本も読めない、文字もかけない、スマホもない原始的な生活をしている修行者にとって、情報は最大のエンターテインメントであって、高札の周りにはいつも人だかりができていた。
※3「ヴィパッサナー 〜まだまだ始まらないヴィパッサナー〜」参照
※4イスラム教徒の礼拝ポーズのようにして背中を伸ばす行為。弱者の部屋のメンバーは俺のことをイスラム教徒だと思っていたに違いない。
※5後日談で、この人には他の修行者も迷惑を通り越して心配するほどだったが、俺はあの異様な光景を思い出すと怖くて、おしゃべりタイムでも話しかけることができなかった。