対話のすゝめ

忘れられない出来事がある。

 

五年ほど前の話になるが、事件は定例の部長会議で起きた。

f:id:tokyonobushi:20210124182221j:plain

事件は現場で起きているんじゃない。会議室で起きているんだ!

表面的には大人の付き合いを続けていたが、腹の底ではいがみ合い、陰で悪口を言い合っている2人の部長がいた。
きっかけが何だったかは覚えていないが、ふとした発言で積年の恨みが爆発した。
顔を真っ赤に上気させたその様子は演技などではなく、怒りを通り越し“憤怒”と言葉がピッタリだった。
怒号が飛び交い、修羅場と化した。
人格否定上等の罵詈雑言の応酬で、今にも殴りかからんばかりの勢いだった。
部長会議という公の場でありながらのまさかの事態に、周囲の方が狼狽する有り様だった。
冷静だったつもりだが、私もそのうちの一人だったのだろう。
何を言ったか忘れたが、必死の思いで話題をそらしていた。
一触即発の雰囲気に耐えかねて、その場をブレイクしてしまったのだ。
水を差された両者は我に返り、事態はほどなくして収束していった。

実は私が忘れられないのはこの事件を解決できたことではなく、会議終了後に、ある部長から「あのままやらしといた方が良かった」と言われたことである。
たとえ二人の関係性は破綻し、会議が殺伐としたものになったとしても、あのままやり合うことに意味があるのだという。
その時の私にとって、止めるという選択肢以外思いつかなかった。
だから、そう指摘されても意味も分からず、キョトンとするしかなかった。
ただあのままやり合うことの意味とは何だったのだろうという疑問がしこりとなって残った。

 

今だからこそわかるが、これは典型的な対話の失敗例であり、私は対話を妨害したのである。
個人の感情や主観を排除せず、理性も感情も含めた全人格を伴った自由な話し合い方が対話である。
つまり、対話とは価値観を否定しない。
一見したところ修羅場にしか見えなかった部長会議だったが、会議というより報告会になりはて、ひたすら空気を読み合うゲームと化し、何の生産性もない時間泥棒となった部長会議において、初めて本音で話し合う空気が生まれかけたのだった。
たとえそのきっかけが怒りという感情だったとしても、思ったことを口にもできなくなってしまった現状を鑑みると、この時の出来事がポイントオブノーリターンだったのかもしれないとも思う。
対話というと、平和的な問題解決手段と思われがちだが、カオスや対立は付きもので、対話がもつ攻撃性や誘惑性を十分に認識せず、対話を万能薬と信じ込むと大変なことになる。
しかし、それを恐れて対話から逃避したり、互いに向き合おうしなければ、組織に成長はない。
対話がもたらすカオスの先に組織の栄光はあると信じ続けられるかがカギとなる。
私は、組織をそこまで信用していなかったのか、ただ未熟だったのか、ともかく、対話に背を向け、ハリボテの安心・安全に飛びついてしまった。
その成れの果てが、先ほども言った現状だ。
いまや私の職場は対話のかけらもなくなり、世代・派閥・分掌・教科・部活動などの壁が存在し、個人の教育観などが対立し、コミュニケーション不全に陥ってしまった。
これは教職員だけの問題ではなく、対生徒の場面においても同じだ。
生徒の主張や意見に耳をかさず、大人の都合を押し付ける。
問題が起きないように管理し、問題が起きたとしても教員が介入して手打ちするしゃんしゃん生徒指導が横行する。
問題を棚上げにしたまま、見た目には円満に収めただけなのだから、子どもたち自身で問題解決する力が育たたない。
だから、問題が起きたら大人に頼ることしかできない。
そして問題があれば学校のせい、先生のせいにするようになる。
一見したところ、おとなしく、落ち着いた学校に見えるが、ただ言われたことしかできない子どもを量産しているだけである。

 

私にも責任がある。
1つは、部長会議の事件が起きる前のことだが、昔担任をしていた時、暴力事象が発生した。
その時の私は、両者の言い分も聞かず、たがいに謝罪させ、強制的に解決させた。
直接関係のない話かもしれないが、そのうちの一方の生徒は、翌年退学した。
あのとき、対話できていれば違う結果になったかもしれない。
しかし、転勤直後で、問題を解決することでデキる教師と周囲から認められたいというスケベ心に負けたのだ。
私も、管理する組織に手を染めていない善人などではない。
2つめは、学校改革推進部長という職務を拝命し、学校という組織の改革に着手したものの、トップダウン的な改革によって分断を生んでしまったことだ。
自分一人の手で改革をしようとする勇者気取りだったが、本音では誰も勇者など必要していなかった。
「変わりたかったら、勝手に変われ。ただし、俺たちは変わらない。ましてや若造に変えられるなんてまっぴらだ。」
そう訴えていたのに私は話を聞こうとしなかった。
自分が正しいと思っていたし、VUCAな世界を生きるには教育改革が必要不可欠だったからだ。
今でも自分がやろうとした改革は正しいとは思っているが、正しいからといって人は動くものではない。

「人は変化することに抵抗があるのではない。人から変化させられることに抵抗する」とセンゲも言っているが、文字通り彼らは抵抗勢力となり、改革を妨害するようになり、埋めがたい溝が生まれた。
一方的な価値観の押し付けではなく、それぞれの価値観を尊重して対話して合意形成していかなれければ、組織は変わらない。
学校という組織を本当に変えたかったら、対話という文化を根付かせることが必要不可欠だということを、この経験から私は学んだ。


対話という文化を学校に持ち込むにはどうしたらいいか、思案していた折、あることを思い出した。
それは“男塾”という一風変わった飲み会だ。
一時期頻繁に開催していたのだが、女人禁制で、互いを敬称で呼び合わず、中2レベルのトークをすることを目的とした飲み会だ。
女人禁制にしたのはただ単に下ネタを話したいからだが、重要なのは仕事の話をしないということだ。
職場の愚痴や上司や同僚の悪口はNG。
一番盛り上がるのは、お互いの初体験を語るときだ。
ニューカマーは参加初日から禊がてらに初体験について語らされる。
そして、初体験の時期によって、中卒・高卒・大卒に分類され、その飲み会の一種のヒエラルキーとなる。
先輩・後輩は関係ない。
初体験の時期によって序列が決まる。
お互いを先生と呼ぶこともNGだ。
だって、我々は生徒からみたら先生であっても、先生の先生ではない。
もし、日ごろの習慣で”先生”など呼ぼうものなら罰金刑が課せられる。
酔っぱらっていると、理性で制御できないからテーブルの中央に置かれた灰皿に見る見るうちにお金が溜まっていった。
このトレーニングを続けていると、対話の土台となる対等な関係性が意図せずして構築されていた。
そして、初体験という究極のプライバシーをさらすことで、互いの弱さが開示され、信頼関係がうまれる。
まさに対話的空間の理想だったと思う。
小難しく、「学校という組織を本当に変えたかったら、対話という文化を根付かせることが必要不可欠だ」なんて言ってるが、なんのことはない、知らず知らずのうちにやっていたのだった。
フラットな関係性でつながったこのメンバー同士は、言うまでもなく、仕事でも大きな成果をだし、組織の中心的なコアメンバーとなっていった。


もちろん今男塾を復活させることはできないが、若手・ベテランに関係なく、固定観念に縛られることなく、最上位目標を達成するための関係性を構築するヒントを示してくれた。
一見回り道で、めんどくさくて、時間がかかるが、“対話がすべてを解決する”と信じ、もう一度教育改革にトライしてみようと思う。