ヴィパッサナー 〜まだまだ始まらないヴィパッサナー〜

いきなりやらかしてしまった。
時計をみると、5時半をまわっていた。
これが何を意味するかというと、最初の瞑想タイムをすっぽかしたということだ。
というのも、基本的な瞑想のプログラムは以下の通りで、※1

4時〜4時30分 起床
4時30分〜6時30分 個人瞑想
6時30分〜8時 朝食
8時〜9時 グループ瞑想
9時〜11時 個人瞑想
11時〜13時 昼食
13時〜14時30分 個人瞑想
14時30分〜15時30分 グループ瞑想
15時30分〜17時 個人瞑想
17時〜18時 ティータイム
18時〜19時 グループ瞑想
19時〜20時30分 講話
20時30分〜21時 個人瞑想
21時〜21時30分 就寝

起床時間はとっくに終わっていても、聖なる沈黙のせいで誰も起こしてくれない。
不運は重なり、目覚ましをセットしていたものの、同部屋の寝言対策のために耳栓をして寝ていたため、肝心の目覚ましが聞こえないという痛恨のミス。
あせりまくった俺だが、なんと同部屋のインド人のラジャーも部屋で瞑想をしていた。※2
ラジャーの姿に安心したのもあり、今から道場にいくのもバツが悪いため、このままラジャーと一緒に部屋で瞑想をすることにした。
しかし、弱者の部屋というだけあって、数日後には時間通り起きて、時間通りに4時半から修行する方が珍しくなる。※3
鐘がなっても、部屋の住人がモソモソし始めても、起きる意志すら示さない。
この時あせりまくった自分は何だったのだろう。

修行はサボったくせに、メシ※4だけはちゃんと食う。
メシは早いもの順に取り放題なので、少しでも遅れると渋滞にはまり込む。
特に朝飯はパンを食べることができるので、オーブントースターの前で大渋滞が起きる。
それを嫌ってメシは常にラジャーと先頭争い。
こうなってくると、先発ピッチャーと同じ気分。
まっさらなマウンドに立ちたい。
誰も手に付けていないご飯を食べたい。
それに俺にとってメシが唯一の楽しみであり、空腹は恐怖だった。
空腹を感じても腹を満たすものは何もないから、食える時に食っておかないとひもじい思いをすることになるという恐怖に駆り立てられての行動だったのだが、後日談で、ご飯めっちゃ食うって指摘された。
たしかに、晩飯・お酒抜きなのに全然痩せていなかった。


個人瞑想とグループ瞑想の違いはあれど※5、鐘が鳴り休憩、また鐘が鳴り瞑想。
それが夜までひたすら続く。
トータルすると1日12時間の修行。
ただし、休憩時間中は手洗いだが洗濯もできるし、シャワーも浴びることができる。
眠ければ部屋で寝てても良い。
また、水や冷茶は飲み放題で、たまにハーブティーもふるまわれることもあった。※6
芝生のエリアを歩いたりする事もできる。
俺は全身の痛みをほぐすために、エアー背泳ぎをしながら芝生エリアを周回していた。
はたからみたらヤバイ奴だが、皆同じような状態だし、聖なる沈黙のため何も気にならない。
とにかく次の瞑想に耐えうる身体に回復させるのが最優先だった。

瞑想漬けの修行の中で異色な時間が、毎晩19時から始まる「講話」の時間。
「ゴエンカ師」の録音テープが流れる。
内容は瞑想法について、ブッタについて、その他諸々が録音されているが、時に録音とは思えない話をする時がある。※7
例えば、

「夜ご飯が食べれないので昼に夜の分まで食べてやろうと腹一杯食べていませんか?」
「こんな事してて意味はあるのか?途中で帰ろうかな?などと思っていませんか?」

など、全て図星をつかれてビックリする。
考えていることは皆同じなんだろう。
しかし、一番ハッととしたのは、残りの日数をカウントした時だった。
「2日目が終わりました。あと9日です。」
10日間の修行の筈なのに、おかしい。
何度数えても数があわない。
納得いかないが、聖なる沈黙のため誰にも聞くことができず、次の放送を待つと、
「3日目が終わりました。あと8日です。」
やはり、聞き間違いではなかった。
どうやら、10日間というのは丸10日間の修行のため、前後1日が付随するのだ。
めまいがした。
前回のブログのタイトルどおり、1日目かと思いきやまさかの1日にカウントされていない初日が存在し、予定より二日ほど余分に修行することになったのだ。
フルマラソン走った後に、あと10km走らないとゴールじゃないよって言われるようなものである。
心が折れる寸前だったが、どうにもならない極限状態であればこそ、人間の真価が問われる。※8
つまり、人生に期待を問うのではなく、人生が自分に期待していることを問う。
生きる意味についてのコペルニクス的転換をすることで、絶望の淵からなんとか這い上がることができた。


想定外の試練に見舞われたが、前半の3日間の瞑想では“自分の呼吸を客観的に観察し続けること”だけに集中した。
それが瞑想の基本らしい。
呼吸をひたすら観察し続ける。
しかし、観察しろと言われても素人には皆目見当がつかない。
そこでまずDAY1は鼻で呼吸する練習、DAY2は上唇を底辺とした鼻の周りの三角形を知覚する、DAY3は鼻の下と上唇の間の呼吸を感じる、といったように少しずつレベルを上げて観察法を学んでいった。
前半の3日間は、本当にただそれだけを言われ続け、一日中そればっかりやり続ける。
「たったそれだけのことか、簡単じゃん」と思われただろうが、ところがそれが難しい
とにかく心はおしゃべりで、まったく集中できない。
花びら大回転の雑念エンターテインメント状態。
挙句の果てには、お笑い芸人の「いつでもここから」が特攻服姿で登場し、「コノヤロオメェ、バカヤロコノヤロオメェ」と叫びだす始末。※9
かと思いきや、いつの間にか意識を失っていたりする。
ほとほと困り果てた頃にやっと、呼吸に集中できるようになり、息を吐けば鼻の穴を通って流れていくのが分かるし、息を吸えば鼻の穴を通って入っていくのが分かるようになった。
舞台は整った。
いよいよヴィパッサナーが始まる。※10




※1ごくまれに特別イベントがあり、その場合は宿舎の玄関に張り出される。
※2この時は足を組み、キチンと瞑想していたように見えた。のちに起きることすらしなくなる。あの時、感謝した気持ちを返してほしい。
※3最後まで脱落しなかったのは私・ロンブー中田・リーダー。(ただし、私は初日のミスがあるのでコンプリートしていない)
※4参考までに食事のメニュー。
朝食
白米or玄米orお粥orパン。めちゃくちゃ塩分の効いた梅干しのおかげで何杯でもご飯を食べることができた。なにげに嬉しかったのはコーヒーがあったこと。(もちろんインスタント)
昼食
白米or玄米に加えサラダやスープ、おかず一品が付く。おかずはキャベツの胡麻和え、ひじき、豆腐、八宝菜風のもの、おでん、おでんをスープにしたもの、トマトソースのパスタ、トマトソースのパスタをスープにしたもの、トマトソースのパスタをグラタン風にしたものなど。おそらく残飯を出さない為に残った食材が無くなるまで似たものが続く。
夕方のティータイム
バナナ1本とリンゴ半分を食べることができる。それだけでは不安な俺は、ひたすら砂糖を入れた紅茶を最低2杯飲むことで、カロリーを確保した。ただし恐ろしいことに「古い生徒」にティータイムが訪れることはない。
※5個人瞑想は選択科目、グループ瞑想は必修科目のようなもので、個人瞑想時間は道場にいなくてもよい。弱者の部屋はどうなったかは言うまでもない。
※6炭酸中毒者の俺にとって水のみの生活は苦しかったが、慣れてくると、ホットウォター(ただのお湯)を飲むとリラックスするまでになるのだから、驚きだった。これも修行の成果の1つ。
※7しかし、翻訳のためかとにかく長く、基本的に退屈。たまにいいこと言うが、メモできないため忘れる。また、ブッタとかゴエンカの話がメインなので、他人事なのでいくらいい話でも基本的に響かない。いかに、聞き手のジブンゴトとして語れるかがプレゼンの肝であることを再確認する。
※8このことを私はヴィクトール・フランクルの『夜と霧』から学んだ。「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである」
※9とくに好きな芸人でもないのに、なぜ?
※10厳密に言うとこの時間までやっていたのは「アーナーパーナ」という瞑想法で、これから始まるのが「ヴィパッサナー瞑想」らしい。