SAGA
「毎年必ず訪れる場所がある」
そんな話を聞くと、どこか余裕のある大人という感じがして、格好いいなと憧れていた。そして俺にもやっと、そんな場所ができた。SAGAである。
なぜ、佐賀なのか?
そう思われる方は、ぜひ『御船山楽園ホテル「らかんの湯」』の体験記を読んでいただきたい。あまりの感動に、妻とともに「一年のご褒美として、毎年ここに来よう」と誓いを立てたほどなのだ。
ただ、生来の貧乏性ゆえにそれでは動機として少し弱い。そこで今年は「さが桜マラソン」への出場を抱き合わせることにした。もちろん、美食の街・博多もしっかり堪能したことは言うまでもない。
肥前の国
佐賀駅のホームに降り立ち、一歩街へ踏み出すと、なぜか穏やかな心地になった。
不思議なものだ。こんな感覚はめったにない。
これまでも、幾度となく佐賀県には足を運んできた。しかし、これまでは常にレンタカー移動で、佐賀駅に降り立ったのは、実は今回が初めてのことだったのだ。
車窓から眺める風景ではなく、地に足をつけて街を歩く。だからこそ、佐賀の人々と正面から向き合うのは、ある意味これが初対面といえる。
出会う人々は皆あくせくしておらず、それでいてどこか温かい。
一瞬で、この街が好きになった。
なぜこれほどまでに惹かれるのか。その理由は、その後に訪れた「佐賀城本丸歴史館」や「大隈重信記念館」で氷解することになる。
歴史教師でありながら、実のところ、幕末維新の「薩長土肥」ともてはやされながら、なぜそこに「肥前」が含まれるのか、これまで腑に落ちていなかった。薩摩は琉球貿易、長州は朝鮮にひらかれ、海外事情の先進地として理解できる。だが、江藤新平や大隈重信といった異能の才を輩出した肥前のバックボーンについては、無理解のままだった。
当時の日本で最大の国際窓口はどこだったか?
長州?ノン!
薩摩?ノン!
それは長崎である。
「しかし、長崎は幕府の天領だろう」とお思いかもしれない。だが幕府は、そこを単独で管理していたわけではなかった。周辺諸藩に多大な実務を委託しており、なかでも隣国・肥前には、フェートン号事件以降、過酷なまでの長崎警備任務が課せられていたのだ。だが、この「押し付けられた任務」こそが、肥前に国際都市の恩恵をもたらした。警備のために最新の軍事技術を導入し、日本で初めて反射炉を完成させ、蒸気船を自力建造する。肥前は、当時の日本における「最先端のハイテク・インテリジェンス都市」へと変貌を遂げていたのである。
そして、その驚異的な躍進を支えた原動力こそが、藩校・弘道館に象徴される教育で「あるんであるんである」※1。SAGAには、歴史に裏打ちされた「人を育み、大切にする文化」が深く根付いている。だからこそ、この街はこれほどまでに温かいのだ。
「さが桜マラソン2026」
フルマラソンは、何度走ってもつらい。
唯一、苦しさを感じなかったのは、自己ベストの3時間38分を叩き出した10年以上前の「木津川マラソン」だけだ。あの時は走るのが楽しすぎて、その勢いのままウルトラマラソンまで完走してしまった。今となっては輝かしい、遠い日の思い出である。
結論から言えば、今回の「さが桜マラソン」は5時間を超える平凡な記録に終わった。だが、その過程は過去のどのレースよりも、苦しみと葛藤の連続だった。
青学大の黒田朝日選手に感化され、あえて時計を見ず、己の感覚だけを信じて走り出してみた。しかし、わずか10km過ぎで早くもガス欠。
「あと30km以上を、この状態で走り切れるのか?」
絶望が首をもたげる。それでも、次の給水所のそうめん、プッチンプリン、コーラ、あのアイス……それだけを道標に、なかば這いずるようにして一歩を繰り出し続けた。
よく言えば、これほど「今、ここ」に集中した時間はなかった。
痛みと闘い、給水所ごとに足を止め、ボロボロになりながら辿り着いたゴール。
実は、ここ1・2年はそんなレースばかりだ。
「自己ベストも更新できないのに、一体何のために走っているのか?」
5時間のあいだ、何度も自問自答を繰り返した。
だから、レース後に妻から同じ質問を聞かれたときは、私は噛み締めるようにこう答えることができた。
「それは、もっと“強く”なるためだ。」
マラソンは、単なるスポーツではない。それは剥き出しの「実存」—限界の先で出会う、自分自身の生そのもの—との戦いであり、極限状態でなお一歩を踏み出すことで、自分という人間の「器」は、より大きく、その強度を増していく。
その作業をやるために、飽きもせず走り続けているのだ。ようやく気づいた。
でも結局のところ、自分一人では完走などできやしない。
その過酷な道のりを支えてくれた沿道の応援は、どの大会よりも温かかった。
やはり、SAGAは人に優しい。ありがとう。
御船山楽園ホテル「らかんの湯」再び
さが桜マラソンを完走した直後という極限まで深く傷ついた身体こそ、最もサウナを堪能できるベストコンディションだ。準備は整った。いざ、聖地「らかんの湯」へ再び!
『御船山楽園ホテル「らかんの湯」』にも書いた通り、この空間からは「時間」という概念が排除されている。あるサウナーは「時間が溶ける」と表現したが、ここでは時間さえも、己と向き合う邪魔立てでしかないのだ。
去年の最初はバカにしていた水風呂も、今では認識を改めた。重力という概念を喪失させる「道具」を見つけたからだ。
風雲たけし城ぐらいでしか見たことのないような、あのスポンジ状の茶色い角材。それをチェストピロー(浮き輪)として抱きかかえ、水風呂に身を委ね、漂う。
それはまるで、母の羊水の中に浮かんでいるかのようだ。
意識の深層で、生命の起源に辿り着いたような錯覚に陥る。
光と匂い、そして静寂。
自我がゆっくりと消えゆき、自然との境界線が薄れていく。
ただ滴り落ちる汗だけが、いま私が「生きている」ことの微かな証だ。
陽が落ちると、生と死の間(あわい)にある幽玄な世界は、いっそう際立ちを増す。
そうか、ここは「死と再生」の場所だったのだ。
効率や合理性ばかりが求められる日常から離れ、シンプルに生物としての根源を取り戻すための聖域。
その象徴が、暗闇に揺らめく「火」だ。
破壊と創造。
すべてを燃やし尽くし、また新しい自分を創り出す。
この一瞬のために、また一年。
この場所がある限り、私は何度でも強くなれる。
ありがとう、SAGA。
また来年、この火の前で、新しい自分に出会うために、あるんであるんである。
※1大隈重信の口癖。私も使ってみたかっただけ。
ロサンゼルス滞在記
2025年の約一週間のサマーバケーションは、ロサンゼルスに決まった。コロナのせいで、そもそも海外旅行自体が約10年ぶりで、アメリカ本土に行くとなれば2011年のニュヨークまでさかのぼる。年甲斐もなく、ワクワクとざわざわが入り混じった上京前のような気持ちになった。
そもそもアメリカにはいい思い出が一つもない。物価はバカ高いし、メシもまずいし、治安も悪い。ホテルだって牢獄のようなところだった。じゃあ、なぜわざわざ久しぶりの海外旅行で、アメリカを選んだのかというと、ドジャースだ。いや、というより大谷翔平だ。というのも、野球に大して興味もなかったはずの妻が去年からドジャースにどハマりし、テレワークをいいことに、ほぼほぼ毎試合をBSで観戦するほどの熱烈なファンへと変貌した。スポンサーの意向は無視できないし、大好きだったイチローを、いつか見れるだろうとたかを括ってうちに、引退してしまったという忸怩たる思いが自分のなかにもあったので、ボーナス全額を犠牲にして大谷翔平を追っかけることにした。
ロサンゼルスの第一印象は“車“だ。飛行機の窓から真っ先に目に飛び込んできたのが、車の大群。車社会というのも頷ける。車がないと行きたいとこにも行けない、不便極まりない社会だが、逆に言えば車さえあればどこでも行ける。ドジャースタジアムのすぐ近くに駐車できるし※1、ハリウッドだって行けちゃう。一方で公共交通機関は、車を所持できない貧困層の移動手段として位置付けられ、駅は汚く、どことなく危険な香りが漂う。日本では考えられないほど閑散としており、車両に乗客が一人二人なんて日常茶飯事で、ちょっぴり身の危険を感じ、旅慣れた私でさえ身構えるほどだった。かつて人種によって交通手段が隔離された時代があったが、現代では経済力によって分断が再生産されている。アメリカ社会の病魔は案外根深い。
また、アメリカという国は、“車“に対して利便性や安全面だけでは説明できない、特別な感情を抱いている。私が想像するに、自らの運転でどこまでも行くことのできる“車“は、アメリカ建国の精神である「自由」と「フロンティアスピリッツ」の象徴なのだろう。ルート66が聖地化するのは当然だし、トランプ大統領が“車“だけを狙い撃ちして高関税を課したのも理解できる。“車“はアメリカ人にとって決して譲ることのできない聖域なのだ。だからこそ、今アメリカは国家の威信をかけて次世代の車を開発している。それが、アメリカの叡智を集結させたWaymoだ。Waymoとはもともとは Googleが開発した自動運転車のことで、私も何が何でも乗りたくて、日本でアプリをダウンロードしたくらいだ。結論から言ってしまえば、もう運転手はいらない。はっきり言って、タクシーより安全だし、安いし、乗り心地も良い※2。ドライブという概念が根底から覆る。運転というストレスから解放され、車内はリラックス空間となり、車はよりラグジュアリー化していくだろう。社会に与えるインパクトも並大抵ではない。実用化した時の衝撃に備えてか、すでにロサンゼルスではタクシーはほぼ一掃され、イエローな車は見当たらない。10年前とは隔世の感がある。現代のアメリカ社会の一端が“車“から透けて見えた気がした。※3
もう1つ衝撃を受けたのは、ロサンゼルスの涼しさだ。日本の灼熱地獄に慣れ親しんだせいもあるが、快適すぎた。一昔前の日本の夏というイメージで、日陰にさえ入れば、汗ばむこともない。アメリカ人が地球温暖化に関心が低いのも頷ける。大リーグを見ていると、ほとんどが屋外球場であることを訝しく思ったが、現地に来てみて初めて腑におちた。
1日目は夕方に到着したので、ホテルにチェックインしたらまちブラして、晩御飯を求めてグランドセントラルマーケットに向かった。覚悟はしていたが、世界最高レベルの物価に震えた。ハッピーアワーのビールが1杯6ドル。つまり、900円。ここにチップがのっかかるから、実質1000円。どこがハッピーやねん!とツッコミたいが、こんなのまだまだ序の口だったことをのちに知る。基本的に、物価は日本の2倍が最低ラインだ。そのラインから場所やモノによってさらに倍率はあがる。ホテルやスタジアムのような場所なら、目ん玉が飛び出るような価格がまかり通る。ホテルの売店のビールは一缶10ドル、つまり1500円。ドジャーススタジアムのビールは一杯20ドル、つまり3000円。とち狂った世界だ。しかも大したサービスもしないのにチップだけはしっかり要求する。一言も会話してない相手にチップで5ドルはやるせない※5。軽く朝飯食べても、居酒屋並みの値段が必要で、目ん玉が飛び出しまくっている。ただでさえまずい飯を、そして、でてきたらでてきたで量が多すぎる。毎日胸焼けしてる。信じられないほど肥えた人ばかりなのもうなずける。次第に食べる気も失せていった。メインイベントの野球観戦も、チケット代はなんと一人5万円。どんないい席かと思ったら、1塁側スタンドのポール際で、ギリギリ内野席※6。5万円あれば、旅費を含めても大好きな日本ハムをエスコンフィールドのバックネット裏で見れるぜ。やってらんねーぜ。空前絶後の超絶怒涛の物価は、円安が影響しているとはいえ、アメリカ社会も蝕む。気候がいいせいもあるが、ホームレスが町中いたるところにいる。大通りはもちろん、裏路地には、フェンタニルで決めたゾンビが必ずいた。ロス中心街ですら、夕暮れ時になると、街中から大麻の香りが漂い始める。店の棚には所狭しとエナジードリンクが並べてられている。誰もが正気じゃいられない、あるいはテンションをあげないと、振り落とされてしまう社会なのかもしれない。弱肉強食、実力社会とはいえ、機会も能力も平等ではない社会で、結果だけ個人の努力に帰結させられてはたまったもんじゃない。いつも思うけれど、これが世界一の経済大国とはとても思えないほど、貧しい社会だ。日本がめざすべき未来は、アメリカではない。
ただし、おらみたいな東洋人でも違和感なく存在することができる。少なくとも阻害されず、受け入れられるのはアメリカのすごいところだ。ドジャースのユニフォームを着て街ブラすれば、色んなところでコミュニケーションが生まれる。やはり、アメリカのパワーの源は多様性にある。この国に国民性などは存在しない。みなばらばらなのだから。だからこそ、ばらばらがぶつかりあって産み出すパワーがアメリカを世界一の国に押し上げたのだろう。この多様性を民族だとか出自でセグメント化するのではなく、混ざり合うことができれば、もっと美しい世界になれるし、きっと誰もがあこがれる国になるだろう。そう、大谷翔平のように。
肝心の大谷翔平は、妻だけでなく、日本人だけでなく、人種や性別もこえ、あらゆる人々から愛される異次元のヒーローだった。打席に立つだけで、球場の雰囲気が変わる。何かが起きるじゃないと期待せずにはいれないプレイヤーなのだ。もはや日本人というカテゴリーを超越し、大谷そのものが多様性の象徴であり、アメリカの理想像を背負っているといっても過言ではない。もはや、大谷は人類の希望の星なのだ。
Go Dodgers, Go Shohei!
※1ほとんどの現地人は自家用車でスタジアムに乗りつけるため試合開始前後の渋滞が半端なかった。
※2車体がJaguarだから日本人だからといってぼったくられることもないし、何より時間に正確だ。
※3ただ、まだ思ったよりもWaymoは少ないようで、物珍しげに扱われている。
※4もう日本の夏場の野球屋外観戦は耐えられない。
※5このチップという商慣習は本気で滅ぼしてほしい。ただの企業の怠慢というか、ぼったくりだ。しかも、最近はアコギなことにクレカで支払いをすると、クレカからチップの額を強制的に選ばされる。払わないという選択肢はない。
※6パドレスの投球練習場の横だったので、ダルビッシュと松井が見れたから、ええねんけど。

Be Strongman
人生で一番長い1日が始まる。
万全を期して、レース3日前の木曜日に現地入り※1したにもかかわらず、レース当日がこないことを心の片隅で、かすかに願い続ける。逃げ出せるのなら今すぐ逃げ出したいというのが偽らざる本音だ。なぜなら、ここは人間の限界の先にある世界だからだ。常識や当たり前など通用しない。それらを捨て去ることができなければ恐怖にねじ伏せられてしまう。スタートラインに立つ、トライアスロンの場合正確には浮かぶだが、そのためにはまずは恐怖を克服しなければならない。
そのためには、何よりも準備だ。直感が大切だとか常識など通用しないとかぬかしながら、正論ぶちかましやがってとお思いだろうが、直感とはつまるところ経験の集合知であって、やれることをすべてやったうえで、最後は心の欲する所に従うことが大切なのだ。
ということで、最後の悪あがきとばかりに、現地入りして真っ先に向かったのは受付会場のJTAドーム。目的は「2025宮古島ストロングマン直前対策MTG Supported by アミノバイタル®アスリートクラブ」に参加することだ。経験者、しかもオリンピアンの情報は喉から手が出るほどほしい。我流を貫いてきたが、なりふり構っちゃいられない。最前列の席を陣取り、熱心にメモを取り、質問までし、大量のサプリメントを購入した。結果的に、ここで得た情報とサプリメントなしには完走できなかったかもと思うほど大活躍することになるが、その話はまたあとで。
翌日、金曜日は暑熱順応もかねて、ホテルの近くを10kmほど走る。まだ冬仕様の身体だから暑いし、体が重い。そして、思っていたよりアップダウンがある。熱中症との戦いになりそうだ。
前日は、レース本番と同じ海で試泳したあとに、バイクを預託した。白く美しい砂浜と、真っ青できれいな海だが、明日がレース本番だと思うと、全く気が晴れない。
じつは、これだけ準備が大事だとかぬかしながら、大会1週間前に、発熱し声が出なくなった。鼻血も何度かでた。あまりにも準備が順調すぎたので、あとは怖いのは当日の体調不良だけだと思っていたところ、見事に的中してしまった。嫌な予感というやつは当たるものなのだ。しかし、まだ1週間前で助かった。体調がベストでも完走できるかどうかわからないのに、コンディション不良など論外だ。この数年の努力が水の泡になる。急ピッチで、体調を回復させたが、なぜか大会当日になっても咳だけは止まらなかった※2。
日を重ねるごとに、ストロングマンの数は膨れ上がっていく。当たり前だが、町中ストロングマン※3。スーパーに行ってもストロングマン、飯を食ってもストロングマン、ホテルに帰ってもストロングマン。そこらへん歩いてるおばあちゃんもストロングマンに見える、まさにストロングマンシンドロームだ。何をしていても、もうストロングマンのことしか考えられない。せっかく宮古島まで行くのだから、「早めに行って観光も楽しんじゃお」どころじゃなくなった。一緒に来てくれた妻の態度がつれないのも仕方がない。
大好きなお酒も控え、咳と不安で眠れぬ夜を過ごし、3時半起床※4。海でも落ちないというバカ高い日焼け止めクリームをたっぷり塗りこみ、ウェットスーツによる首擦れを防ぐためのワセリンも初使用※5。やれることはなんでもやる。エナジードリンク片手に沖縄名物のポーク玉子おにぎりをほおばりながら、朝4時半ホテル前バス停に集合。文字通り人生で一番長い日になりそうだ。
だが、まだスタート前にやるべきことが残っている。トランジッションの荷物の整理という最重要課題をクリアし、トイレに30分ほど並び、身も心も軽くしてから、入水。ここで、木曜日のストロングマン直前対策MTGでゲットした裏情報が大活躍する。それはずばり、レース当日にレスキューから海の状態を確認することだ。なぜ裏情報かというと、全員がそんなことをしていたら、レスキュー本来の仕事に支障をきたすことになりかねないから、このMTGの参加者限定でこっそり教えてもらったのだ※6。海で泳いだ経験が数えるほどしかない俺にとって、スイムは海の状態によって大きく左右される死活問題だ。人見知りを発動させてまごついている場合ではない。早速、リサーチ開始。レスキューを探していると、ウェットスーツだらけの中に、一心不乱に海を見つめる制服姿が目についた。背中には海上保安庁とある。海猿だ!!レスキューより格上のターゲットを発見した俺は、すかさず、ウェットスーツを一人で着れない作戦※7で、ジッパーをあげてもらいながら、今日の海の状態を聞き込む。すると、めちゃくちゃ丁寧にコースの全容を教えてくれ、さらには折り返し地点の混雑や潮の流れなど注意すべきポイントまで解説してくれた。不安は消えた。あとはやるだけだ。
スタートをいまかと待ち構えるなか、「1500人を超えるアスリートの方々が今年も宮古島に、なんちゃらなんちゃら」とアナウンスがあった。この時初めて気づいた。そうか、俺はもうここに立っている時点で立派なアスリートなんだと。中高とろくに部活もしていなかった俺が、アスリートと呼ばれる日がくるとは、感慨深い。そして、いよいよスタートまであとわずかという時に、「頑張るな」という応援の声が聞こえた。この言葉を聞くのは、ウルトラマラソン以来、人生で二度目だ。あの世界に戻ってきたのだ。この先にいったい何が待ち受けているのか、見当もつかない。ただわかっていることは、自分自身の檻を壊し、限界まで己の力を絞り出さないといけないということだ。まだ見ぬ世界へ、いざいこう。もう恐怖はない。無心で海に飛び込んだ。
一斉スタートのスイムはどうしてもバトルになってしまう。回した腕が人にぶつかるのはまだよいにしても、脚をつかまれたり、顔面キックはマジで勘弁してほしい。死ぬって。「こっちは1分1秒を争っている訳じゃないんだ、制限時間内に泳げればいいだけなんだ。トランキーロ、あせんなよ」と心の中で叫んだ。その声が届いたのか、激しいバトルタイムは10分ほどでおさまり、周りに誰もいなくなった。すると、そこには透き通る宮古ブルーの海が広がっていた。いつもいつも視界ゼロの汚い川や海を泳いでいたので、レース中であることを忘れてしまうほど、この光景にすっかり心を奪われてしまった。まるでウミガメになった気分で、熱帯魚たちと一緒に泳ぎ、海底でゆらゆらゆれる水草はジブリを連想させる幻想的な世界だった。後半海流が発生する箇所で苦戦したが、陸に上がり、1周目のタイムを確認すると、30分台前半で、思わず「はやっ」とつぶやいてしまった。いつもスイム2kmが50分前後なので、1周1.5kmで30分台前半はかなりのハイペースのはずだが、全く疲れを感じなかった。それより、もう一度のあのジブリゾーンを泳げることの喜びのほうが勝っていた。この光景を一生忘れることはないだろう。しっかりと目に焼き付けておこう。きっと、こうした記憶が俺の人生の彩りをまた1つ豊かにしてくれる。ストロングマンはつらいことのほうがもちろん多かったけど、このスイムは予想に反して楽しいを通り越して、もっと泳いでいたいと思えるほど至福の時間だった。スイムフィニッシュが70分なので、2周目もほぼ同タイムで泳ぎ切り、心配していた足切りまで40分もの貯金を稼ぐことができ、これならイケる!と思えた。
何度も繰り返すが、こっちは1分1秒を争っているわけではないので、しっかりと海水を洗い流したあと、トランジッションエリアでゆっくり丁寧にバイクの準備をする。長丁場のバイクなので、ここであせって、ちょっとしたミスが後で大きな事故につながる。とにかく細心の注意をはらい、装備を整え、ここでも木曜日のストロングマン直前対策MTGを忠実に守り、アミノバイタル®プロとアミノバイタル®パーフェクトエネルギー®ゼリードリンクを補給する。以後、90分ごとにこの2種類のアミノバイタルを摂取し続けることで、いつもより疲労はましだった気がする。相手はストロングマンだ、サイエンスもテクノロジーもなんでも取り入れて、やれることはなんでもやってやる。

スイムのおかげで気分上々でバイクスタートをきることができた。すると、スイムの達成感とバイクの爽快感に早くも感極まって、感動で涙が止まらない。しかし、ストロングマンはそんな生優しいものではない。当たり前だが、30kmも過ぎてくると徐々に疲労も蓄積され、一時的に激しい雨に遭遇したことで体力が激しく奪われ、泣いている場合ではなくなっていった。123kmを休憩らしい休憩もなく、ペダルをこぎ続けた。長良川ミドルトライアスロンの80kmがいかに楽ちんだったことか。ブラタモリで放送されたとおり、宮古島は断層だらけの島で、その島を1周半するのだから、当然アップダウンだらけだった。バカ真面目にドラフティングを一切せずに走り抜けたのだから、達成感は長良川ミドルトライアスロンとは比べものにならない※8。でも、こうやって自然を感じながら、競技するのがトライアスロンの本来の姿なんだろうなと思いながら、特に大きなトラブルなく123km走り切ってくれた相棒に本当に感謝。軽くハンドルをたたき、苦労をねぎらう。

ここでもトランジッションにはたっぷりと時間をかけて※9、とにかく細心の注意をはらい、装備を整え、アミノバイタル®プロとアミノバイタル®パーフェクトエネルギー®ゼリードリンクを補給する。長丁場のランエリアの秘密兵器は、Shokzの骨伝導イヤホンとネックガード付きのキャップだ。本当はバイクエリアでもイヤホンを使いたいのだが、電池がもたないので、一番きついランエリアにとっておいた。そして、ネックガード付きのキャップ。これも木曜日のストロングマン直前対策MTGの助言に基づき取り入れた熱中症対策だ。そして、最終兵器が何の変哲もない無地のタオル。汗対策として気休め程度に用意したものだったが、レヴィストロース先生から教わったブリコラージュによって、熱中症対策の最強の武器となった。とにかく意識が朦朧とする中で、首を冷やすことぐらいしか対策方法を知らない俺は、エイドで配られた氷をタオルに包み、首に巻くことにした。これが大当たり!すべてのエイドで氷を交換して、何度も何度も首に巻きなおした。直前までもっていくどうか悩んだが、もっていかなかったらと思うとゾッとするようなファインプレーだった。
それはさておき、ラスボスのランである。三大トライアスロンから宮古島トライアスロンを選んだ理由も、唯一ランがフルマラソンじゃなかったからというくらい、ランはきつい。足きりまであと1時間弱。とにかく前に進み続けるしかない。前に進み続けてさえいれば、いつかゴールにたどり着く。疲労困憊のなか、意を決してスタート。しかし、気持ちとは裏腹にスタート直後にもかかわらず、お世辞にも走っているとは言えない。でもそれは俺だけじゃなく、コース上はウォーキングデッド状態。俺周辺のタイムの人たちは、みんな限界なのだ。みんながいるから俺も頑張れる。隣で戦い続ける君がいるから、俺もあきらめなかった。一人だったらとっくに投げ出してることは火を見るよりも明らかだった。でも、本当に不思議と一度もリタイヤしようとかあきらめようとは思わなかった。みじんも。自分の可能性を自分が一番信じていたのかもしれない。
ただ体力の限界はとうに過ぎていたようで、もう何も食べれなくなっていた。ゼリーすら気持ち悪くて飲めない。エイドではひらすら氷を補給し、水を気休め程度に飲むだけだったが、すべてのエイドのお世話になった。エイドがなければ完走なんて絶対出来なかった。1500人の選手に対してボランティア5000人。採算とか度外視して、ランナーのことしか考えていない。感謝しかない。
そんな島人の温かさに触れたからか、汗なのか涙なのかわからないものが頬をつたってきた。すると、走馬灯のようにここにいたるまでの記憶がフラッシュバッグしてきた。全然泳げなかった頃のこと。何十万もするロードバイクを買って転倒したこと。じん帯を損傷したこと。車にはねられたこと。初めてトライアスロン(オリンピックディスタンス)を完走した時のこと。直前まで足に合う靴が見つからず神戸までシューズを買いにいったこと。妻にストロングマン仕様のトライスーツをプレゼントしてもらったこと。クレイジーじゃないと無理。繊細なのに、痛みに鈍感じゃないと無理。流行ってもいないし、モテるわけでもないし、金にもならないし、出世にもむすびつかず、仲間もいない。何のために戦っているのかわからなくなることさえあった。でも俺は「ただものではない」という苦しまぎれのプライドだけを支えに孤独や非難に耐えて、トレーニングをしてきた。そのすべてが無駄じゃなかったと思えた。
20kmを過ぎると、もう登りは走れなくなった。だが、関門は迫ってくる。止まるわけにはいかない。歩いてでも前に進み続けるしかない。そんな最も苦しい時間帯に、ご当地ヒーローまもる君※10と並走する機会に恵まれた。バイクの時から、時折見かけていたのだが、とてもじゃないが話しかける余裕もないし、なんせまもる君は人気者で町中いたるところで誰からも声をかけられ、記念写真をせがまれ、忙しそうだった。向こうから話しかけてきてくれたおかげで※11、案外気さくに話せた。スイムでも落ちない化粧の秘密や、その化粧のせいで氷を使えず熱中症になりかけてた話や、「もう歩き続けてもゴールできるで」という悪魔のささやきまで、疲れ切っているときに、気分転換になって楽しかった。でも、歩いても大丈夫と言った張本人が走って追い抜いていくのをみて、最後意地でも追い抜いてやった。それはそれで、よい思い出。
言葉では言い表すことができないほど長い長い旅路のはてに、やっと宮古島市街地に戻ってきた。実は、160kmの間ずっと探していた人※12がいたのだが、ゴールまで残り5km地点くらいでやっと見つけることができた。運命の再会だ。かれこれ10年くらいぶりだし、心の準備できてないだろうし、どこのどいつ状態だったにもかかわらず、俺は下地さんをみつけると、抱きついてしまった。興奮気味に手短に自己紹介をすませ、一瞬で邂逅は終わったが、去り際に俺は高らかに宣言した。「俺、ストロングマンになってきます」枯れ果てたエナジーが再び湧き上がってきた。そこから先はほぼノンストップで宮古島を駆け抜けた。もちろん、苦しかった。走り切ることができたのは、沿道の応援があったからだ。何万回もワイドーって言われれた。 CHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH」を流してくれた人たちは、俺が曲に合わせて両手を高く突き上げると、マイクで「加藤慶宣ワイドー」って叫んでくれた※13。エイドもそうだけど、本当に応援がすごかった。フルマラソンより楽は言い過ぎだが、フルマラソンの方がしんどく感じられるほど、宮古島の自然と島人たちの応援にパワーをもらった。
感謝の気持ちを表現するためにも、俺は走り続けた。あと1km、あとたった数百メートルでも、今すぐにでも立ち止まりたいほどの苦しさだったが、立ち止まったら絶対後悔すると思ってアップダウンがあろうとも走り続けた。そして、ついにゴールの宮古島市陸上競技場にたどり着いた。いよいよグランドフィナーレだ。涙を押し殺しながら、最後のトラックを全力疾走で駆け抜け※14、ゴールテープを切った。振り返って一礼をし、芝生の上に倒れこんだ。走り終わって湧き上がる感情は、優等生ぶってるわけでなく、心の底から感謝しかない。応援や大会を運営してくれた方々、わざわざ宮古島までついてきてくれた妻、地元で応援してくれる人たち、そしてもちろん教え子たち。あと、たぶん、この気象条件※15じゃなかったら完走できていない。晴れててもダメだったろうし、海が荒れててもダメだったと思う。本当にラッキーだった。でも、運も実力のうちだ、天も味方につけ、ついに、俺は念願のストロングマンになった。そうだ、夢に見ていた未来に、今俺は立っている。
公式記録フィニッシュタイム11時間19分22秒
総合順位1067位/1393人(完走率90.3%)
Swim1:10:41 Bike:4:42:44 Run4:49:39

激闘を終え、日常が戻ってきた。
何気ない日常がキラキラ輝いてみえる。
この空が宮古島まで続いていると思うと、パワーがみなぎってくる。
まるで別人になったかのようだ。
村上春樹はこう言っている※16。
「このレースは僕にとって浅くない意味を持つ出来事であったことがわかる。自己に対する観照にいくつかの新しい要素を付け加えることになる。その結果としてあなたの人生の光景は、その色合いや形状を変容させていくことになるかもしれない。」
明らかに僕の人生は変わった。
大切なのは自分が自分であることで、他人がどう思うかではない。
こうして、人生で二番目に長い日は終わった。※17
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
※1離陸してから思い出したが、耳聞こえなくなる事件以来の飛行機で、鼓膜が震えるたびに耳抜きができなかかるのではという恐怖に震えた。これもストロングマンの試練か。
※2泳ぎながら咳がでたらどうなるのかと不安だったが、どうやら人間の身体は、泳いでいるときは咳はでないらしく、大丈夫だった。
※3リストバンドでストロングマンかどうか識別でき、ストロングマン参加者はレース終了まで四六時中着用を義務付けられる。
※4後日、リアルタイム速報を見ていた同僚に指摘されて気づいたが、朝6時台に入水している。朝7時スタートなので、当然といえば当然なのだが、やはり、はたから見たらクレイジー以外何者でもないのだろう。
※5日焼けや服擦れによるダメージを甘く見てはいけない。終盤の激痛につながることを、これまでの経験から学んだ。
※6参加者もたった10人程度だったので、本当にこっそりしたMTGだったが、特にスイムと栄養補給については、役立つ情報が盛りだくさんだった。
※7ウェットスーツのジッパーを自分一人ではあげることができないことをいいことに、毎度毎度誰かに助けてもらってきた。海水浴場にいる美女のサンオイルならいざしらず、おじさんのウェットスーツなど誰も相手にしてくれないとお思いかもしれないが、今まで一度も断られてことはない。
※8長良川ミドルトライアスロンは80kmの超平坦コースにもかかわらず、ドラフティングしまくってました。すみません。
※9バイクフィニッシュからランスタートまで18分もかかっている。
※10この人

※11たぶん一度追い抜くときワイドーで声をかけたから好感をもってくれてたのだと思う。
※12コロナの直前に開催された経済産業省後援のファシリテーション研修で出会った下地さん。全国から選抜された人たちの集まりで、結構濃い内容の研修だったので、一緒に学んだ下地さんのことはよく覚えていたし、俺にとって唯一の宮古島の知り合いだから特別の存在として感じられた。
※13ゼッケン番号を入力すれば、名前やタイムなどが瞬時にわかるサイトが用意されている。※14あとで動画を見返してみると、とても全力で走っているとは思えないほど、ノロノロ運転だった。応援の小学生に簡単に追いつかれている。
※15

※16『走ることについて語るときに僕の語ること』 文藝春秋 2010
※17人生で一番長い日は、13時間19分10秒でフィニッシュしたウルトラマラソンを完走した2013年4月21日だった。
road to strongman
25年ぶりの宮古島。25年前はまだ大学生で、わけもわからないまま友達に誘われてノリと勢いだけで宮古島にやってきて、現地の人たちと死ぬほど泡盛を飲み明かした。※1しかし、今回は遊びに来たわけではない。自らの意思で入念に準備し、死ぬほど汗と涙を流して、やっとの思いで宮古島にたどりついた。25年前の俺は、今の俺を1ミリも想像できなかっただろう。
宮古島は知る人ぞ知るトライアスロンの聖地で、毎年4月にストロングマンレース(全日本トライアスロン宮古島大会)が開催され、日本トライアスロンの三大大会の1つに位置づけられる。その憧れのレースに、ついに挑戦する時がきた。この日を本当に迎えることができるとは自分自身でも信じられず、何度もほっぺをつねったほどだ。もちろん、いつかはアイアンマン※2になりたいと思って初めたトライアスロンだったが、やってみてわかったことはアイアンマンは絶望的なまでに困難で、クレイジーだということだ。スイム・バイク・ランのそれぞれが、単体のレースとしても十分すぎるほどハードなレースが成立してしまうほどの距離にもかかわらず、トライアスロン。しかも、足をケガして全盛期ほど走れなくなり、コロナでまともに大会が開催されなかったことも重なって、俺自身がアイアンマンへの情熱を失いつつあった。そんな折に、偶然ひらいたあるサイトに目が釘付けになった。スイム3km、バイク123km、ラン30km。※3それが宮古島トライアスロンだった。普通の人なら一瞥にも値しないサイトだろう。トライアスリートの俺だってスイム3kmなんて今まで泳いだことない。バイク123kmからのラン35kmも、それぞれ単体なら走ったことはあるが、はしごは未知の領域だ。しかし、なぜかストロングマンならなれると直感した。俺はこういう時、直感を信じる。そもそも常識なんかに気にしている奴に、トライアスロンはできない。もちろん、できない理由は山ほどある。しかし、ストロングマンになった人生とストロングマンになれなかった人生、どちらを選ぶと問われれば、答えは自明だった。「俺はストロングマンになる!」
そこからは、1つ1つ課題をクリアーしていった。「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」というタモリさんの名言があるが、俺も「遊ぶように働く、働くように遊ぶ」ことをbeの肩書※4とする遊学者である。3km泳いだことがなければ泳げばいい。毎週プールを1時間以上ほぼ独占して泳ぎ続けた。海で泳いだことがない。ならば泳げばいいじゃん。愛知県まで足を伸ばし、アクアスロンの大会に出場した。バイク123kmの負担に耐えられるのか?ならば、足を慣らすために距離を踏むしかないと、ロングのロードレースに出場しまくった。でも、まだ不安は消えないどころか高まる一方だった。ならば、オリンピックディスタンスではなくミドルトライアスロンに挑戦しよう。スイム2km、バイク80km、ラン20km。想像を絶するしんどさだったが、なんとか完走した。少しだけ自信をつけて、いざ2024年大会にエントリーするものの、選考の結果は落選。まだストロングマンは時期尚早と大会本部が判断したのだろう。というのも、ストロングマンレースではエントリーの段階で、直近の完走したレースの証明書の提出が求められ、思いつきや行き当たりばったりでは参加できないようになっている。「たった1回ミドルトライアスロン走っただけでいい気になるなよ、命がけのレースなのだ、おまえの実績程度では参加は認められん。」ということなのだ。ならば、実績を積むしかない。二度と出たくないと思っていたミドルトライアスロンに2024年のワンシーズンで春秋の2回、血尿を出しながらも完走した。やるべきことはすべてやった。これで実力不足なら仕方がないとすがすがしい気持ちで、2025年大会にエントリーしたところ、見事当選!!ついに、念願の舞台に立てると、狂喜乱舞した。
だが、喜んでばかりはいられない。まだやることが山積みだからだ。一番の不安要素は、自転車である。何が不安かというと、自転車を現地に持っていかねばならないことだ。レースに参加するのだから、自転車は必要不可欠なアイテムなのだが、離島である宮古島には当たり前だが、いつものように車で運ぶことはできない。大会ホームページは郵送を強く勧めていたが、とてつもなく高い。往復で5万くらいする。下手すりゃ、自転車が一台買える値段だ。ただでさえエントリー費に7万円、ホテル代に6万、飛行機代に5万くらいかかっているのに、これ以上の出費は抑えたい。※5飛行機の預け手荷物での持ち込みを検討するが、普段使っている輪行バッグは薄いビニール製で、中身がいつ壊れてもおかしくない。自転車が壊れてしまっては元も子もない、論外だ。クロネコヤマトとか、宅配系の会社をかたっぱしから調べるも、答えは芳しくない。だが、調べているうちに自転車輸送専用のバッグが存在することがわかった。しかし、これも買うとなると5万くらいする。けちれば、安いものもなくはないが、壊れては元も子もない。ふりだしかと思いきや、なんと自転車輸送専用のバッグをレンタルする会社を発見した。これなら4000円くらいで借りれる。でもやっぱり不安だから、事前にJALに確認し、問題はないことが確認でき、やっとこさ自転車問題が解決した。けちってLCCにしなくて本当によかった。主催者の鼻を明かし、いい気になったものだが、いざ空港に行くと、ストロングマンはほぼほぼ全員当たり前のように預け手荷物で持ち込んでおり、それを見た時のショックは言葉では表せない。だが、これもストロングマンが乗り越えなければならない試練なのだ。
あとは、4月の大会に合わせて計画的に調整するだけだ。9月には長良川ミドルトライアスロン、10月の舞鶴赤れんがハーフマラソン、11月の松本マラソン、12月の伊勢志摩サイクリングフェスティバル、1月の高槻ハーフマラソン、2月のOSAKAキャッスルマラソン、3月の鹿児島マラソンと、月1ペースで大会に出場し、結果はどうであれ、調整を重ねた。欲を言えば、最終調整として直前にオリンピックディスタンスのトライアスロンの大会を一発かましておきたかったが、時期が時期だけに難しい。そもそもトライアスロンシーズン開幕直後のストロングマンなのだから、石垣島くらいしか直前のレースがない。調整の難しさもストロングマンの乗り越えなければならない試練なのだ。
そして、年明けからは毎晩のように食べていた大好物のアイスクリームを封印し、ウェイトを落とそうとした。結局のところ、体重はあまり落ちなかったのだが、3か月弱のアイスクリーム断ちによって、誘惑に負けそうになる度にストロングマンへの意思を固めることができた。完走後のブルーシールが死ぬほどうまかったことは、言うまでもない。
こうやって、自己流で一つ一つの課題をクリアしていってなんとか夢にまでみた舞台にたどりつけただけに本当に感慨深い。トライアスロンクラブとかに所属して、与えられた課題に取り組むだけならもっと早くたどり着いただろう。お金をだして、大会公認ツアーで参加すれば余計な心配も無用だった。でもこれでいいのだ。自分一人で試行錯誤して10年かけてたどり着いたことに価値がある。yoasobiの「舞台に立って」は、まさに俺のそういう気持ちを綴った曲で、何度も何度も気持ちを奮い立たせてくれた。だから、めちゃくちゃつらいレースだったにもかかわらず、涙がとまらなかった。さあ 待ちに待った舞台で、開幕の合図が鳴り響いた。俺は、俺の想像を超える。
無邪気に思い描いた
未来の私の背中をひたすら追いかけた
きっと もうすぐ見えなくなる
重なり合う そう信じている
ここが私の未来だ
数ある中で選んだのは
きっと最初から分かっていたから
これじゃなきゃダメなんだって
誰にも負けたくなかった
しんどくてもひたすら走り続けた
翌る日も翌る日も
勝ち負けがはっきりある世界は
好きだけじゃ生き残れない
いつも結果と成果遊びじゃない
そんなこと分かってる
でもね 好きだから諦めなかった
このがむしゃらな毎日がきっと
願った結末に繋がっているって信じている
さあ 待ちに待った舞台に立って
高鳴る鼓動 挑戦の合図
何度も何度も イメージしてきた
どんな自分も超えてみせる
大きく吸った息を吐いて
もう一度目線を上げれば
かさぶたばっかの毎日も
今に繋がっていると思えた
そうだ夢に見ていた景色の
目の前に立っているんだ
不条理を前に立ち尽くすこともあった
他人は好き勝手ばっかり言うし
もう何のために戦ってんだろって
分かんなくなって
そんな時も もう一度って
なんとか手を伸ばせたのは
隣で戦い続ける 君がいたから
ずっと 憧れてきた舞台に立って
これまでのこと思い返す
何度も何度も 流した涙の分
立ち上がってきた
大きく吸った息を吐いて
ゆっくり瞼を開けて
踏み出すんだ 会いに行くんだ
思い描いた未来の私に
さあ 待ちに待った舞台に立って
今鳴り響く開幕の合図
何度も何度も イメージしてきた
どんな自分も超えて行ける
大きく吸った息を吐いて
静かに目線を上げれば
今までのどの瞬間も
無駄じゃなかったと思えた
そうだ夢に見ていた未来に
今私は立っているんだ
そう 無邪気に思い描いた
未来の私はもうそこにいるんだ
今確かに捉えた
※1今回の旅で、その時お世話になった人たちにお礼を言いたくて、おぼろげな記憶をたどってその場所に行ってみたが、見つからなかった。友達も死ぬほど飲んだ夜を全く覚えていなかった。俺は夢でも見ていたのだろうか?
※2ワールド・トライアスロン・コーポレーションが主催するスイム3.8km、バイク180km、ラン42.195kmの合計約226kmの超過酷なレース
※3これは2022年大会のコースで、2023年からランが35kmに延長されたことを知ったときは思わず天を仰いだ。そしてもちろん2025年大会もスイム3km、バイク123km、ラン35km。
※4兼松佳宏が提唱する概念で、職業や役割ではなく、自分らしさを表現する肩書。
※5トライアスロンはとにかく金がかかる。逆に金をかけようと思えばいくらでもかけることができる。特にバイクは金がものをいう。
御船山楽園ホテル「らかんの湯」
昨年の夏に、腫瘍が見つかった。
耳から水が抜けなくておかしいなと思っていたら、それは腫瘍のしわざだった。ガンの可能性もありうるため、近くの耳鼻科からあっという間に京大病院に移されてしまった。耳鼻咽喉科とは言い得て妙で、ちょうど耳と鼻と喉にまたがるエリアにぷっくりとした腫瘍があった。深刻な状況にもかかわらず、妙に感心してしまった。
多少の老いを感じることはあっても、今まで大病を患うこともなく、健康そのものの人生を送ってきただけでに、あまりに唐突だった。お先真っ暗とはまさにこのことで、何も考えられなくなった。
しかし、冷静に考えてみれば織田信長や坂本龍馬だってその年齢の頃には死んでるし、佐藤航陽の『ゆるストイック』によれば、「人間の自然寿命は38歳に設定されている」らしいので、蓋然性がないことではなく、幸運なことに私は今まで考えずに済んだだけだ。どうせ死ぬかもしれないのだったら、後悔して死にたくない。やりたいことはやってから死のうと決めた。まずは、今やライフワークとなったトライアスロンの集大成となるストロングマンの完走。これは絶対やりたい。やらなきゃ死んでも死にきれない。そして、次に思い浮かんだのが、なぜか日本一のサウナと呼ばれる楽園ホテルらかんの湯だった。いつのまにか俺は身も心もサウナーになってしまったようだ。
それから半年。ついに楽園ホテルらかんの湯にたどり着いた。腫瘍の方はまだ居座っているが、どうやら良性のようで、ひとまず生命の危機は回避できた。やれやれだぜ。こうして病魔は消え、ただサウナだけが残った。となれば、全力でサウナを楽しむしかない。こりゃ、まさに楽園だ。
ホテルの扉を開くと、暗がりのなか、色とりどりの無数のランプが浮かんでいる。その色彩は絶えず変化し、立ち位置によっても見え方が変化する。これは、まさにデジタル枯山水。ここは楽園などではない。諸行無常の世界だ。常なるものはない。今だからこそ確信して言える。あそこは極楽浄土だった。
そう確信させたのは、もちろん、らかんの湯だ。
まずは男湯。軽く身体を流し、さっそくドライサウナへ。半円形の室内の中央には、ストーンが敷き詰められたタワー型のサウナストーブが鎮座する。まるで御柱だ。ロウリュによって天高くたちのぼる水蒸気が、天と地を結ぶ。その周りを無数のサウナーが囲い、恍惚とした表情で頭を垂れる姿は、神聖なる儀式のようだった。誰も喋らない。ただロウリュによるシュという蒸気が沸き立つ音だけが心地よく響く。しきじと同様、サウナーの殺気というか本気によって、その場は独特の緊張感に包まれていた。その空気に飲まれ、身がすくんだ私は、ロウリュに触れることすらできなかった。ドライサウナで身も心も引き締まると、何も考えず、近くで目についた水風呂へ飛び込む。その水風呂は円形のこぢんまりとしたもので、まるで港区女子たちが群がるナイトプールを連想させるチャラい代物だった。正直、らかんの湯にふさわしくないとガッカリしたが、気を取り直して、外気浴へ。寝そべることができるタイプのととのい椅子を見つけ腰掛けると、まるでローション滑り台のように、ツルんと体が滑り、少し焦る。
2セット目は薪サウナだ。スロープを登って小屋のような建物に入ると、巨大なコンテナいっぱいに詰まったストーンが薪で燃やされ、炎の熱気が部屋中に充満している。目を閉じて階段上のスペースに座っていると、まるで浮かんでいるようで、感覚世界へ飛ばされる。これはまさに修験道の護摩焚きだ。煩悩が炎によって焼き尽くされていく。煩悩を消し去った私は、煩悩まみれのナイトプールにはどうしても入る気にはなれず、別の水風呂を求めて探検に繰り出した。すると、地下に巨大な水風呂が出現した。ゆうに洛陽湯の水風呂の倍はありそうだ。張り巡らされたタイルの隙間から光が放射され、水面の揺らぎに反射し、きらめくイルミネーションのようだった。やっぱりナイトプールだけのはずがないと胸を撫で下ろし、今度は地下から屋上に登ると、屋上の真ん中に焚き木が置いてあり、その周囲で寝そべり外気浴ができた。聞こえてくるのは、木が燃えるパチっパチっという音だけで、静謐な時が流れている。さきほどの薪サウナも相まって、全身がどんどん燻されていく。
3セット目は、薬草スチームサウナ。壁面から差し込む太陽光と水蒸気によって幽玄な世界が創出され、生と死のあわい空間に迷い込んだみたいだった。そして、そのまま薬湯へ。サウナを重視する施設は、薬湯を軽視しがちだが、さすがはらかんの湯。一人分のスペースしかないがしっかり薬湯がある。しかも、薬湯のなかに寝そべり椅子。極楽だ。もう生きているのか、死んでいるのかもわからない。
いつもなら、3セットで終了するところだが、全国から集結したであろうサウナーたちにちびってまだロウリュができていない。このままでは終われない。いったんリセットするために、休憩室へ。そこは休憩室なんてなまっちょろいものではなく、まさに兵站基地そのもので、3種類のデトックスウォーターと塩プリン、そしていろり焼き餅が常備されていた。らかんの湯はすべてのものに驚きがある。こちらの想像をはるかに超えてくる。サウナで失われた水分を取り戻すだけでなく、栄養補給もバッチリだ。
腹ごしらえをすませて向かったのは、薪サウナ。あの悟りの境地を再び味わいたくて、2セット目のトップバッターに選んだ。もちろん今回の目的はロウリュ。しかも、薪サウナの場合、2階席から薪コンテナまで離れているため、なんと、飛ばしロウリュ。人生初。畑に水を撒くように、思いっきりひしゃくを振る。水を飛ばすのが気持ちよくて、調子に乗りすぎたため熱気が半端ない。残念ながら、悟りに到達することなくギブアップ。外に出ると、ナイトプールのそばに1mほどの棒状のスポンジが落ちていることに気づく。何が正解かわからないが、このスポンジをプールのへりに置いて、その上に頭をのせる。スポンジがまくら代わりになって、なんと水風呂無重力状態。立ちながら寝れる水風呂へと変貌した。やはり、ただのナイトプールではなかった。最高だ。
伏線も回収でき大満足だが、夢中になって時間がわからない。いや、そもそも、らかんの湯には時計がない。もちろんテレビもない。五感で感じるしかない。音も時間もないけれど、光と炎がある。感覚世界の中で、徹底的に自分自身と向き合うのだ。どれくらいサウナにいて、どのサウナに入ったのか、そのあとの記憶はあまりない。たっぷりらかんの湯を堪能し、部屋に戻ると、珍しく妻の姿がない。妻は、サウナは嫌いじゃないけど、めちゃ好きっていうほどでもない。いつも待たせてご機嫌を損ねることが多く、今回も恐る恐る部屋に戻ったが、妻は私より30分ほど遅れて戻ってきた。そして、妻は興奮気味にこう言った。「サウナの概念が変わった」かつて宿泊したスリランカの深い密林と一体化したヘリタンスカンダラマのように、サウナと自然が一体化していることに感動していた。その夜は、地元の食材にこだわった絶品料理に舌鼓をうち、これにも大満足。パーフェクトだ。妻は、宿泊前は辺鄙なとこにあるホテルに、なぜわざわざ泊まるのか訝しげだったが、このホテルに宿泊できたことを何度も感謝された。それどころか、ゴールデンウイークを速攻予約していた。何という変わり身だ。
変わり身といえば、らかんの湯は翌朝、男湯と女湯が入れ替わる。女湯の最大の特徴は、ドライサウナだ。かまくらを彷彿とさせる一面真っ白な洞窟の中央には、サウナストーブがあり、そこに凍らせたボール状のアロマ水であるキューゲルを放り込む。氷が少しずつ溶け出し、数分後にはサウナ室内に「ハッカ」「みかん」の香りが行き渡る。その香りとは裏腹に、洞窟の壁面にくりぬかれた洞穴は、まるで即身仏の修行場のようだ。セルフローリューを試みるために同室者に許可取りをすると「もちろんです。」という粋な返事に完全に調子に乗ってしまった。想像以上の熱気にノックアウト寸前に追い込まれるも、足場も熱いし、すべるし、歩けない。蒸気で視界不良で出口もわからず、本当に即身仏になるところだった。色鮮やかなタイルが貼られたスペイン風のおしゃれな水風呂だったが、そんなの関係ねぇくらい気持ちよく、よみがえった。あとは、薪サウナにミストサウナに休憩室と男湯と大差はなく、最後は薬湯寝そべり椅子でフィニッシュ。何時間いてもあきることのない無限サウナだった。そして、サウナとは悟りなのだと教えてくれた。全てに意味があり、全てが想像を超える、らかんの湯。死ぬまでに来ることができて本当に良かった。