最終講義「自立し、ともに学び続ける」

ついに、君たちともお別れの時がきました。
思い返せば、共通テストから始まり、コロナによる一斉休校という前代未聞の、まさに波乱万丈な3年間でした。
個人的には、“総合的な学習の時間”のプロデューサーとして、コンピテンシーの育成※1という難題に挑戦した特別な学年でもあったので、少し肩の荷が下りたような、さみしいような複雑な気持ちです。
だからなのか、例年ならばこの最終講義を命を削るような思いで作っているのですが、今年は不思議なことにあまり苦労することなく形にできました。
こんなことは初めてです。
私にとってこの最終講義は教師としての集大成であり、その時点でもっている経験・スキル・能力といった全てのリソースを使い、知性の限りを全身全霊尽くして挑む、本気の仕事です。
この瞬間のために教師をやっているようなもので、まるでオードリーにとっての武道館ライブのような存在なのです。
それくらい特別な時間だから毎年準備にとても苦労するのです。
しかし、そんな夢舞台に今リラックスしていられるのは、総合的な学習の時間で君たちと関わり続けているうちに、教師と生徒という、教えるー学ぶという関係性を超越し、ともに学ぶ関係へと発展したからかもしれません。
だとしたら、今日はどんな授業になるか、私自身とてもワクワクしています。
さあ、最後の授業を始めていきましょう。


私が最後にどうしても伝えておきたいこと、それは「自立し、ともに学び続ける」ということです。
まず、3つの衝撃的な事実を紹介します。
1つ目は、日本は「安い国」であるということです。
つまり、もはや日本は豊かな国ではないということです。

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日本経済新聞「安いニッポン」2019.12.10

日本経済新聞の記事にある通り、日本の100均で売られている商品と同じクオリティのものを海外で買おうとしたら、アメリカで162円、中国153円でも、何とタイは日本の2倍近い214円です。
信じがたい事実ですが、私にも身に覚えがあります。
今から10年前の話なのでその時は気づきもしなかったのですが、(このブログにも書きましたが)ニューヨークシティハーフマラソンに参加した時のことです。
できるだけホテル代を安く済ませようとネットで最安値の宿を探したのですが1万円を超える宿しか見つからなかったので、奮発していい宿(と思い込んでいた)を予約しました。
しかし、そのホテルの部屋は牢獄と大差ないくらいひどいものでした。
冷たいコンクリートむき出しの上に湿ったベットと昭和的なアナログテレビが1台あるだけで、もちろん、トイレは共同で、風呂もない。(あったのは常に渋滞する共同のシャワーのみ)
外で飯を食べようにも、NYの大戸屋は、定食で最低25ドルはする。
ラーメンでさえ20ドル近くした。
どんだけニューヨークは物価高いねん!って思ったが、思い返せば、その5年ほど前に訪れたフランスでも物価の高さに手も足もでなくて、朝のバイキングでパンとフルーツをちょろまかして、飢えを凌いだものでした。※2
外国が高いのではなく、日本が安いのです。
「世界で一番安い値段で大好きなディズニーランドで遊べる国なんだからいいじゃん。日本サイコー」って思ってませんか?
物価が安いということは給料も安いということです。
日本はこの30年間物価も給料もほとんど上がっていません。
江戸時代なら問題ありませんが、グローバル化した現代において世界の国々の物価は上がっているのに、日本の物価に変化がないことが問題なのです。
さらに大きな問題は、その現実を受け入れられない大人の意識です。
頭の中はGDP世界2位の経済大国からアップデートされていません。
相変わらず中国人に対して上から目線の人も多いし、ほとんどのアジアの国々を発展途上国だ思い込み、技能実習生として安くこき使うのを当たり前だと思っています。
インバウンドで来日する爆買い中国人のほとんどは、富裕層ではなく中間層です。
爆買いは、日本製品のクオリティに由来するものではなく、国内で買うより日本で買う方が得という経済合理性にもとづく行動にすぎません。
日本はもはや世界から見れば安くてサービスのよいお得な国に映るっているのです。
技能実習生たちも、来日しても稼げないから日本から逃避しはじめています。
それどころか、日本人がアジアに出稼ぎして稼ぐという、富の逆流がすでに始まっています。
このように、外からはもはや日本は豊かな国でないと見切られているという事実に気づかず、相変わらずアジアの王様気取りを続けているガラパゴス化した大人たちにはどれだけ警鐘を鳴らしたとて足りないくらいです。


2つ目は、気候変動です。
今年の正月のNHKスペシャルで放送された次の動画をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=f6J3gptt76I&t=47s
つまり、今のままの産業構造で、ライフスタイルも変わらなかったら、地球は灼熱地獄と化すということです。
暑がりの私からしたら身の毛もよだつ話です。
しかもそのデッドラインは、2030年です。
いますぐ変わらなければ手遅れになります。
しかし、大人たちは「そんなことは起きない。石油だって枯渇しなかったじゃないか。子どもは現実をわかっていない」と嘲笑う。
社会のVUCA化により経験の無価値化※3が進んでいるにもかかわらず、大人はそれを理解せず、大人にとって都合良い社会を手放そうとしません。
大人たちは経験や数の論理を振りかざしてマウンティングしてくるので、経験もなく数も少ない若者は蚊帳の外に追いやられ、そういうことをこれまで何度も何度も繰り返した結果、若者たちは何を言っても無駄だと学習性無力感※4に陥り、社会への関心を失いました。

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日本財団18歳意識調査

国際調査にも若者たちがいかに社会に絶望しているかが如実にあらわれています。
「自分で国や社会を変えられると思う」という項目に至っては、たった18.3%です。
しかし、気候変動は他人事でいられません。
なぜなら、君たちの未来を奪ってしまうからです。
未来のために今を犠牲にするという考え方の先には悲劇しかありません。
私たちはこのまま自然を破壊する道を突き進んで、分断や孤立化を推し進めるような社会をつくるのか。
それとも、人々とのつながりや相互扶助、連帯や平等を重視し、自然を大切にする持続可能な社会への転換を図るのか。
その分岐点に、私たちは立っている。
未来がどうなるのかはわからない。
けれども、有限な地球で無限の経済成長を目指すことは、どう考えてみても、不可能である。
だからこそ、経済成長を最優先にしたシステムからの大転換が今こそ必要なのではないか。
ところが、資本主義で競争して、自分だけが生き残ることに必死になっている大人たちには、この社会を変えるためのビジョンを思いつくことができない。
だとすれば、新しい世代が立ち上がって、社会を動かすしかない。


3つ目は、自殺率です。

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毎日新聞のネット記事が示すように、コロナによって自殺者数が増加しています。
なかでも小中高生の自殺者数が1980年以降で最多となったという事実は、コロナによる経済的困窮だけでなく、社会的不安の深刻さをものがたっています。
私自身を振り返ってみても、コロナですべての当たり前が当たり前でなくなった時に、当たり前のかけがえのなさに気づかされると同時に、「何のために働くのか」、「どうやって生きるのか」といった実存を脅かす問いと向き合うことになりました。
きっとほとんどの人は、緊急事態宣言による自粛期間中、内省的な時間が飛躍的に増えたと思います。
もし、そこで一縷の希望も見出せなかった時、何のために生きているのかわからなくなってもおかしくありません。
人間は無意味に耐えられるほどタフガイではありません。
人間は物語る動物で、「意味」をエネルギーにして生きているから、意味とか目的も感じられない営みに携わって生きることはできません。
少し前までは、その生きる意味は「一億総中流」とか「富国強兵」といったように社会によってパッケージ化された物語として用意されてきましたが、冷戦を皮切りに物語の解体がすすんでいきました。
「自分探し」という言葉が流行り始めたのもちょうどその頃からです。
経済成長・年功序列といった一部の物語はかろうじて神話として機能し続けましたが、平成という時代を経て見る影もなくなり、コロナによってとどめを刺されたと言えるでしょう。


この3つの事実から言えることは、明らかです。
大人の言うことを聞いていればいい時代は終わった、もう少し強めに表現すると、大人たちの言うとおりに生きても幸せにはなれない、最上級で表現すると、大人の言うことは聞いてはいけない、ということです。
大人たちの経験ははっきり言ってクソの役にも立ちません。
「ローカルでリニア」※5な時代は終わり、今我々は「グローバルでエクスポネンシャル」※6な世界を生きているからです。
おじいさん世代の生活と父親世代の生活は大して変わらなかったが、われわれはこれからの100年で、2万年分の技術変化を経験することになり、これからの1世紀で農業の誕生からインターネットの誕生までを2度繰り返すくらいの変化が起こる。
ということは、パラダイムシフトを引き起こし、ゲームのルールを一変させ、すべてを変えてしまうようなブレイクスルーが「たまに」ではなく「日常的に」起こるようになるということです。
そうなったとき大人の言うことを聞いて得られる仕事の多くは、マックジョブ※7程度の低賃金労働になるでしょう。
指示されたことを実行するというタスクはAIの方が有能だから、AIを導入するより低賃金労働者に手作業でやらせた方が安い仕事しか残らないからです。
AIはトイレ休憩すら必要ないし、24時間働けるし、福利厚生もいらない。
それがわずか200万円程度で手に入る時代なのです。
200万程度の給料で奴隷のように生きる、そんな絶望的な世界が嫌ならば、大人の言うことを聞いてはいけない。
つまり、君たちは大人たちとは違う物語を生きていかなければならないということです。
“自分の人生は自分で考えて自分で決める”
「誰か」や「何か」に頼りたくなる気持ちはわからなくはないですが、いつまで待っていても希望の物語は与えられないし、たとえ与えられたとしても、それは絶望の物語です。
拠りどころになるのは自分自身だけです。
そのためには、学び続けなさい。
グローバルでエクスポネンシャルな変化し続ける社会において、知識やスキルはあっという間に時代遅れなものになってしまう。
残念ながら、高校で学んだ知識やスキルの大部分はすでに時代遅れなものです。
大学は多少マシかもしれませんが、知識やスキルそのものは数年もすれば陳腐化します。
だからといって悲観することはありません。
大学は勉強するところではないからです。
大学という時空間は、自分の世界観を相対化しうるような異質な人々や学問と出会うところです。
これまでの人生で積みあげてきた自明性や常識や自我といったコレクションを破壊し、新しいものさしを手に入れるために存在しています。
何度も何度も自分自身の檻を壊すことで、人間性そのものを磨き、人としての器を大きくする努力をしてください。
それが学び続けるということです。
学ぶとは、ガリガリと机に向かう行為ではありません。
学ぶとは別人になることです。
変化を恐れないでください。
変化を楽しんでください。
“学びが快感”という一生モノの価値観を手にすることができたら、どれだけ時代が激しく変化しようとも、しなやかに適合できるでしょう。


これまでも卒業生には「学び続けろ」というメッセージを贈ってきましたが、次に言うことは君たちが初めてになります。
“君たちが未来を変えろ”
「そんな大それたことを」と思うかもしれませんが、そうしなければ社会は変わらないし、変わらければ地球は手遅れになります。
私はそのことに強い危機感と後悔の念があります。
大人たちは責任を果たさないばかりか、ツケを全部未来の世代に払わせようとしています。
そういう意味でも大人の言うことを聞く必要はないのですが、その大人の一員である私がメッセージを贈っているというクレタ人の嘘のような自己言及のパラドックスに陥っていますが、聞くか聞かないかは君たちが判断すればいい。
それが自立するということです。
ここでやっと伏線を回収できました。
私が最初に言ったことを思い出しましたか?
それは「自立し、ともに学び続ける」ということです。
“自立”と“学び続ける”こと以外に“ともに”という言葉をあえてつけたのは、気候変動を含む社会課題と“ともに”生きていかなければならないからです。
そういうことを無視して、経済合理性だけを追求して生きることはもうムリです。
1人で生きていくことができないように、1人では解決できないような問題を“ともに”解決していくのです。
福沢諭吉慶応義塾の建学の精神として「自我作古」をかかげています。
私の大好きな言葉※8なのですが、「我より古を作す(われよりいにしえをなす)」と読み、前人未踏の新しい分野に挑戦し、たとえ困難や試練が待ち受けていても、それに耐えて開拓に当たるという意味です。
皆も「自我作古」のスピリッツを胸に、未来に挑戦して下さい。
未来を作るのは君たちです。
自立し、ともに学び続けて下さい。
コロナという困難に立ち向かった君たちなら、きっとできるはずです。
私も、ともに学び続ける仲間として、君たちを応援しています。
気づいたら3年間があっという間に終わってしまいましたが、私自身も学び続けた3年間でとても楽しかったです。
いくつになっても学ぶことは楽しいということを再確認できました。
ありがとうございました。

 

 

※1コンピテンシーとは見えない学力ともよばれ、関心・意欲、感性、自己肯定感など学力の基盤となる能力・資質

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学力の氷山モデル

※2マクドナルドの値段が日本の倍ほどだった。しかし、ワインは激安だった。
※3環境がどんどん変化していくということは、過去に蓄積した経験がどんどん無価値になっていく。過去に蓄積した経験に依存し続けようとする人は早急に人材価値を減損させる一方で、新しい環境から柔軟に学び続ける人が価値を生みだすことになる
※4学習性無力感とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。
※5ローカルとはあらゆることが一日あれば歩いていける範囲で起きていたということ、そしてリニアとは変化の速度がきわめて遅かったという意味。
※6グローバルとは、地球の裏側で起きたことも数秒後には伝わるということであり、エクスポネンシャルとは、変化が目もくらむほどの速度で起きるという意味。
※7低賃金・低スキル・重労働(長時間労働・過度の疲労を伴う労働)、マニュアルに沿うだけの単調で将来性のない仕事の総称。
※8早稲田出身なのに、大隈より福沢にシンパシーを感じてしまうことにジレンマもある。


参考文献
ピーター・ディアマンディス,スティーブン・コトラー『2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ』2020 ニューズピックス
山口周『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』2020 プレジデント社
内田樹編『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』2020 晶文社

瀧本哲史『2020年6月30日にまたここで会おう』2020 星海社