学校改革のレクイエム

紆余曲折だらけだったものの、この3年間学校改革という大仕事に取り組んだ総括というと大げさだが、教訓として学んだことを後進のために残したいと思う。(なんだか遺言みたいですね)

「未来をつくる仕事」(2018.8.25)でその初心が語られている。
「教師とは、授業して、知識を教える仕事ではなくなったのです。日本史を教えることが教師の役割ではありません。部活動で勝利することが教師の役割ではありません。教師とは、この転換期を生き抜く力を育てる、つまり、「未来をつくる仕事」なのです。学校とは、社会とつながって、社会課題を自分ごととし、日本の未来と自分自身のスキマを埋める場所なのです。10年後の未来を想像し、その未来との懸け橋となるのが教師なのです。」

コロナによって転換がスピードアップしたのは予想外でしたが、改革の背景にある文脈として大事なポイントは、工業社会から情報社会へ社会コードが塗り替えられ、社会構造や価値観や行動原理などがパラダイムシフトしたということです。※1
必然的に、教師の役割や学校のあり方も変えていく必要があると指摘しています。
私たちの危機感は相当なものでした。
教育を変えないと本当にやばいことになる。
なぜなら、今の教育は工業社会で必要なスキルを教えているからです。
たくさんの情報を記憶し、必要なときに正しく応用し、適用するというAIが得意なスキルです。
将来AIにとって代わられるはずの仕事にしか就けないスキルをわざわざ学校で一生懸命教えている。
そんな教育はは早くやめないといけないし、改革は今すぐ行わなければ手遅れになる。
私たちは使命感に駆られ、全身全霊知性の限りを尽くし、もちうる限りのあらゆるリソースを改革にそそぎこみました。
しかし、ここに一つ目の盲点がありました。
良かれと思って学校改革に乗り出したのですが、いざ学校改革をすすめていくと、抵抗勢力の壁にぶち当たったのです。
現行の学校は制度疲労を起こしていることは明らかで、改革をすることで輝かしい未来を手に入れることができるのですから、改革は当然受け入れられると私は思い込んでいました。
しかし、実際のところはこうだったのかもしれません。

f:id:tokyonobushi:20210216103141j:plain

印象的だったエピソードが2つあります。
1つが、「全国さまざまな高校の取組や実践例を視察したり研究したりされていると思うが、目新しい取組を行っている学校に注目がいきがちではないか。むしろ生き残っている伝統校の取組を参考にするべきではないか。」
伝統校が何を指すのかがいまいち不明ですが、要は「今まで通りでいいじゃん。おまえらは頭でっかちなんだよ。」
という反知性主義的な前例踏襲型批判です。
もう1つが、「私の学年で育てたい生徒は、大人にかわいがられる生徒だ。礼儀正しく、指示されたことをやれる生徒だ。かわいがってもらえば人は育つ。」
このセリフを聞いた時、私は文字通り耳を疑い、絶句してしまいました。
共通しているのは、現状に固執し、絶対に変えたくないタイプであるということです。
いわゆる保守派ですが、時ににこやかに、時に激しく、ポジションパワーを使ってでも変化を拒んできました。
こういった人達を中心に、学校改革の機運は下がっていき、「相棒」の特命係的な位置づけだった学校改革推進部は、解体され、中心メンバーを失い、私自身のエンゲージメントも下降してしまい、はっきりいって不貞腐れ、やる気を失ってしまいました。
今となっては、私自身の人間的な未熟さにも大いに反省していますが、この時の無念さは絶筆に尽くしがたいものがあります。
“梯子を外される”とはよく言いますが、まさか自分の身に降りかかってくるとは想像すらしていませんでしたし、その衝撃がこれほどまでとは思ってもみませんでした。
まるで足元の地面が崩れ落ちていくような感覚で、情景をモノクロでしか認識できませんでした。
この経験は私の人生観にも深く刻まれ、管理職という人種を二度と信用しなくなりました。

抵抗勢力ネガティブキャンペーンは功を奏し、管理職は学校改革推進部の改革(日本語的におかしいがスルーします)に着手したのですが、「ワイガヤ・大部屋・長時間」によって緊密なコミュニケーションを増やせば問題は解決するという短絡的な見通しのもと、学校改革推進部は教育推進部という大所帯に吸収合併され、何を目的とした分掌かすらわからなくなりました。
管理職には、ビジョンはありませんでした。
すでに時代遅れの、「みんなでやればなんとかなる」という経験・勘・気合の3K主義で乗り越えようとしたのです。
一人一人の価値観や理念などを改めて問うこともなく、一緒に汗を流し、同じ釜の飯を食う家族のような社員同士が、あうんの呼吸で自然にわかり合い、同じ方向に向かって全力で突き進む。
高度成長期の日本企業においては、そんな家族主義的で緊密な付き合いが当然のものとされ、それで一事が万事うまくいく時代でしたし、管理職はそういう時代に誰よりも働いて上にのぼりつめた人種です。
管理職のパラダイムに問題があることに気づいたのはその時でした。
管理職自身が口では改革が必要というものの、本心では改革など必要としていなかったのです。
それに、私自身も改革はトップダウンで進めていくイメージをもっていました。
イメージとしては、校長を中心とした側近やブレーンが中心となる、官邸主導型のスキームを思い描いていました。
しかし、梯子を外されるという最悪の形で、改革は失敗に終わりました。
ここから、学校を改革するにはトップダウンではなく、学校文化そのものを変える必要があることを学びました。


時は流れ、管理職が変わりました。※2
学校改革という看板を下ろし、細々と総合的な学習の時間のプロデュースを続けていましたが、因果なものでまたしても改革のオファーが舞い込んできました。
前回の苦々しい経験があるので私は難色を示したのですが、結局関わることにしました。
もうあんな思いを他の誰かにさせてはいけないと良心がとがめたことが最大の理由です。
ただし、今回は私が陣頭指揮をとるのではなく、前途ある後輩のバックアップをする役回りに務めるよう心掛けました。(結果的に私が加入したことによって、抵抗勢力が警戒してしまったのではないかと少し後悔しています)

私たちに具体的に依頼された仕事は、カリキュラムの作成です。
カリキュラムとは学校を動かすプログラムのようなもので、大雑把に言ってしまえば時間割のことです。
1週間で、何時間、何を学び、どのような力をつける学校なのかをデザインする責任重大な仕事です。
早速カリキュラム作成の作業にはいってみたものの、文部科学省が指定する必修科目を配置したら、何の味気もないカリキュラムが出来上がりました。
このカリキュラムを教科で検討し、最終調整したところで、どんな意味があるのか?
教科のエゴが暴走し、部分最適化されたストーリーのない無味乾燥したカリキュラムが完成し、「犬の道」※3に堕ちてしまうことは目に見えていました。
そこでフォーキャスティング※4的アプローチからバックキャスティング※5的アプローチに切り替え、カリキュラムを一から見直すことにし、まずはカリキュラムを作成する本来の目的である最上位目標に立ち返って話し合いました。
本校が抱える課題とは何か?
学校は果たすべき役割とは?
どんな生徒を育てたいのか?
どうやって育てるのか?
徹底的とまでは言えないが、時間の許す限りめいいっぱい話し合い、新しい学校目標である「自立し、ともに学び続ける」とスクールポリシー「対話・創造・挑戦」が生まれた。
「自立し、ともに学び続ける」を北極星のように道しるべとし、迷ったり行き詰まったときはいつも最上位目標に立ち返りながら、カリキュラムを完成させました。
しかし、完成したカリキュラムは背景にある文脈や哲学の理解なしには、誰からも受け入れられないような代物でした。
そこで、カリキュラムを提示する前に、全教職員対象にカリキュラムコンセプト説明会を実施するという手順を踏むことにしました。
これは前回と同じ轍を踏まないためです。
トップダウンではなく、抵抗勢力にも納得してもらうところから改革をリスタートするためです。
ここが勝負の一里塚とばかりに、入念な準備をし、説明会にのぞみました。
下手したら、サンドバックにされ、これまでの努力が一瞬にして水の泡になる最大の山場でしたが、説明会は拍子抜けするほど異論・反論なく、水を打ったような静けさの中、あっけなくコンセプトは受け入れられました。(受け入れられたように見えました。)

ところが、満を持して後日このコンセプトを実現するためのカリキュラムを提示すると、想定外の炎上が起きました。
受験にはどう対応するのか?
塾や保護者や中学校に理解されない。
探究などやる必要があるのか?
教科書が終わらない。
教員定数が削減されるのはいかがなものか。
細かいことをいうとキリがありませんが、共通点は、カリキュラムコンセプト説明会でコミットしたはずの最上位目標である「自立し、ともに学び続ける」などまるでなかったかのように扱われたということです。
北極星はどこにも見当たりません。
つまるところ、コンセプトという腹の足しにもならない理想などどうでもよく、縄張り(自分の教科の都合)と餌(大学入試)にしか関心がなかったということです。
プロジェクトメンバー一同肩を落とし、空しさと徒労感だけが残りました。
「話が違うじゃないか」と言っても後の祭りで、ガラガラポンして割り算かまして形骸化したカリキュラムがしめやかに教育委員会に提出されました。
管理職からは、先進的なカリキュラムを捨てたのではなく、10年後にこのカリキュラムを実現する道筋を考えて欲しいとは言われたものの、グローバルでエクスポネンシャルで変化が常態化した世界では、10年を待たずとも数年で間違いなく今と全く異なる世界になるでしょう。
今やろうとしている改革は今やらなければ、意味がない。
結局、管理職も口では何と言えども同じ穴のムジナに過ぎず、未来よりもメンツ(ステークホルダー)とプライド(失敗したくない)にこだわり、自らの裁量で決断することは最後までありませんでした。
以上が事の顛末です。


学校改革は、またしても失敗に終わりました。
今回の失敗のレバレッジポイントは、カリキュラムコンセプト説明会でした。
カリキュラムを変えるのではなく、学校の風土を変える必要があると考え、コンセプト説明会を実施したところまでは進歩と言えるのですが、コミュニケーションの選択を誤りました。

「人は説得しようとすると抵抗する。しかし、納得すると自ら動く。」

私たちはコンセプト説明会で“説得”しようとしました。
だから、失敗したのです。
この場合、時間がどれだけかかろうとも、“対話”して納得してもらわねばなりませんでした。
その労を惜しんだばかりに、強烈なしっぺ返しをくらったのです。

というのも後に分かったことですが、情報には階層レベルがあり、抽象度が高くなればなるほど、一方的なコミュニケーションが成立しなくなる傾向があります。
一方的なコミュニケーションが成立するのは、具体的な事実を伝える情報です。
たとえば、「本日16時より職員会議があります。」のような指示・命令の類です。
これらは、送り手から受け手へのメッセージの正確な移動を重視するコミュニケーションになります。
余分な情報はノイズと見なされ、コミュニケーションは単なる情報伝達にすぎません。
この類の情報は「聞いた・聞いていない」という事実が問題視されることが多く、理解したかどうかは問題になることはほとんどありません。
聞けば誰でもわかるぐらい解像度が高いからでしょう。
他方、価値観・信念を含む抽象度の高い情報は、一方的なコミュニケーションが成立しにくい。
例えば、「自立し、ともに学び続ける」ですが、一言で自立と言っても、その捉え方は千差万別です。
ある人は他人に頼らずも生活することと考えるでしょうし、他者に依存できることと考える人もいるでしょう。
自立の意味は、抽象度が高いがゆえに情報量が少ないため、それぞれの経験や知識に基づいて解釈されます。
つまり、ローコンテクスト※6な情報なのです。
だから、価値観の共有や理念浸透をすすめる場合、コミュニケーションを単なる情報伝達ではなく、相互理解と意味づける必要があります。
価値観や信念が伝わったかどうかは、聞き手の共感や行動・考え方の変化を引き出したとき始めて確認できるのです。
つまり、内容を理解し、納得し、腹落ちするという理解のプロセスを経て、行動や思考が変わる、こうした変化を外的に観察することができて、はじめて伝わる。
コミュニケーションとは、創造的理解にいたる継続的な相互作用のプロセスなのです。

パワポやメールなどITツールが発展して便利になったけど、かえって話が通じなくなったという話をよく聞きますが、それもこの考え方を適用すれば理解できます。
パワポやメールなどは基本的に一方的なコミュニケーションツールです。
それらを用いて、コミュニケーションをいくら積み上げたところで、相互理解は深まりません。
メーリングリストグループウェア社内SNSなどITツールはモノを伝達するには効果的であり、会議という名の報告会であればこれで代用すれば十分ですが、改革のような価値観の転換や破壊をともなう行為には不向きです。
そういったものこそ、場を共有し、意味を創造し、相互理解を深めることのできる双方向コミュニケーションが可能な会議が向いている。
会議は報告会ではなく、イノベーション創発する場と定義し、報告はITツールを活用すればいいのです。
組織の問題の多くがコミュニケーションに起因するのは、このように社会の変化にコミュニケーションが適合してコミュニケーションツールは発達する一方、情報への理解が不十分であることに原因があります。
社会が工業社会から情報社会にパラダイムシフトしたことで、情報量も飛躍的に増大し、階層レベルの異なる情報が玉石混淆し、コミュニケーションがミスマッチした情報は伝わらなくなったのです。
重要なポイントは、情報の階層レベルを見極め、そのレベルに合ったコミュニケーションを選択しなければならないということです。
一方的なコミュニケーションが必要な場面もあれば、双方向なコミュニケーションが必要な場面もあります。
ですが、情報社会が要請するイノベーションは、多様性のなかで生まれるものです。
多様性は、意味を創造・共有し、相互理解を深めていくコミュニケーションである対話なしには成り立ちません。

工業社会から情報社会へのパラダイムシフトは、必然的に学力観にも影響がおよびます。
工業社会で求められる能力は、「わかること」でしたが、情報社会で必要な能力はイノベーションに表象される「変わること」です。
学力とは、もはや個人の頭の中に知識やスキルを伝達することではなく、ものの見方や行動が変わり、それに伴い、自分の在り方も変えていくことなのです。
学習とは伝達ではなく、変容であり、変化こそ学びの本質である。
変化することを拒む学校文化は一掃しなければなりません。
でなければ、学校は学びの場ですらなくなります。
そのためにはなによりも、対話が必要だったのです。
学校の理念や価値観を、命令や規則のように押しつけるのではなく、それぞれの組織を構成する人々の日常的な経験に根ざしていて、共通の体験を語り合い、意味づけていく、つまり対話によって創造していくのです。
対話が人の成長と組織の在り方を変えるのです。

 学校改革を通じて私が学んだこと、それは「対話がすべてを解決する」ということだった。

 


※1詳しくは、前回の「最終講義 自立し、ともに学び続ける」(2021.2.9)にまとめた。
※2この4年間で、校長も副校長もそれぞれ3人変わりました。学校改革が進まない最大の理由はここにあるのかもしれません。
※3『イシューからはじめよ』の著者安宅和人さんが、同書において警鐘をならした「課題解決で陥りがちな罠」のことをいい、「解決しても、あまり誰にも喜ばれない、芯を食っていない、洗練された解決策」のことを指す。
※4先に課題を定義して、その解決策を考える問題解決手法
※5あるべき姿を定義して、その実現手段を考える問題解決手法
※6ローコンテクスト(low-context)とは、コミュニケーションや意思疎通を図る際に前提となる文脈や価値観が少なく、より言語に依存してコミュニケーションが行われること。ローコンテクストに対して、前提となる文脈の共有が多く「以心伝心」でコミュニケーションが行われることを「ハイコンテクスト」という。「アメリカの文化人類学エドワード・T・ホール氏が1976年に著書『Beyond Culture(文化を超えて)』で提唱した。

 

参考文献
中原淳・長岡健『ダイアローグ対話する組織』ダイヤモンド社 2009
沢渡あまね『仕事の問題地図』技術評論社 2017
ピョートル・フェリクス・グジバチ『パラダイムシフト 新しい世界をつくる本質的な問いを議論しよう』かんき出版 2020