ヴィパッサナー 〜エピローグ〜

11日ぶりにスマホの電源を入れると、指が思うように動かない。
この体験が風化する前に記録せねばとペンを握るが、思うように文字が書けない。
まるで身体が文明を拒絶しているかのようで、すっかり原始生活に順応してしまった。

辛かったけれど、贅沢な時間だった。
テレビもない、スマホもない、新聞もない、人と話せない、という情報が遮断された環境でできることといえば、ひたすら自分のことだけ考えることができる。
日々の生活の中で、たった1時間、いや10分でさえそんな時間を確保できているだろうか。
忙しさにかまけて、自分と向き合うことを避けていないだろうか。

人はやらない理由をいくらでも挙げることができる。
自分の世界観を信じて疑わない、または変えたくないからだ。
人は自ら望まなければ変わることはできない。
人は納得しなければ、いくら強制しても変わらない。
教育者としても肝に銘じて決して忘れない。

この修行を経験して、人生をいかに主体的に生きるかが今後のライフワークになると直感した。
そして、少しだけ穏やかになった。※1
それでも心が波立つときはもちろんある。
そういった時など自宅でもときどき瞑想を続けているのだが※2、やっぱり覚悟がないと1時間も集中がもたない。
だいたい15分から30分が限度だ。
スキャニングもせずに、ただ静寂の中に身をゆだね、静寂の一部になろうとすることで、リフレッシュになる。
だから、あれほど気になっていた神秘体験だが、修行以来一度も降りてきたことはない。

また修行することはあるだろうか。
それはわからない。
でも、瞑想のない人生は考えられないことだけは間違いない。※3




※1妻もこの境地に到達させ、怒られないようにしようと家庭円満化計画を企むが、失敗に終わる。修行したらダイエットできるというロジックで、なんとか説得を試みようともしたが、全然痩せていなったからだ。ダイエットのために修行するのはお勧めしない。
※2こう見えて私は根が真面目なんです。
※3最近はマインドフルネスといって瞑想も人気で、Googleインテル、ゴールマンサックスなどで研修に取り入れられている。アンビリバボー。