ヴィパッサナー 〜プロローグ〜

人生とは数奇なものである。
15年前のインドでの約束を果たす時がまさか来ようとは。

途切れ途切れのか細い記憶の糸をたどると、あれは、大学4年生の時に訪れたインドのガンジス河の夕暮れ時だったと思う。
記録的な大雨のせいでバラナシでの足止めをくらい、目もくらむほど有り余った時間を前にしてガンジス河を眺めて過ごすことくらいしかすることがなかった。
きっかけも内容も全くと言ってもいいほど覚えていないが、暇を持て余していた22歳の若者は、そこに現れたインド人のおじさんといつの間にか話し込んでいた。※1
それが10分だったか、1時間だったか、もはや定かではないが、「日本に帰ったら、君は修行に行きなさい」と言われたことだけはなぜか印象に残った。
しかし、世の常人の常で、若者は面倒くさいことなど聞き流してしまう。
そして、いつの間にか忘却の彼方にいってしまうのだ。
それがヴィパッサナーだった。
記憶を改ざんしている可能性もわずかに否定できないが、これは宿命だったとしか考えられない。
修行することは、あの時点で決まっていたのだ。
まるで運命の糸に引き寄せられるかのように、ヴィパッサナーと出会うべくして出会った。


15年という長い歳月の扉が開いたのは、偶然の産物だった。
1つは、親友が私より先にヴィパッサナーに行ってしまったことだ。※2
親友が経験したのは世界一周の旅の真っ最中だったから、もう8年以上も前のことである。
つまり、忘却の彼方から引き戻されてから8年以上放置していたことになるが、ただ手をこまねいていた訳ではない。
実は、その間に何度かヴィパッサナーのサイトにアクセスはしていた。
しかし、修行には最低連続10日間の日数を要するため※3、そんな都合よく休暇と修行の日程が合わなかった。
そうこうしているうちにあっという間に8年以上の歳月が流れていた。

ところが、今年の夏休みは2週間の休暇をとることができた。※4
そこに妻の幹部昇進試験が重なったことで、拍子抜けするほどあっさりと、単独行動の認可も下りた。※5
このタイミングを逃したら、次はいつになるかわからない日食のようなものだ。
まさに奇跡である。
条件は整った。
あとは、ヴィパッサナーに挑戦する人生とヴィパッサナーに挑戦しない人生、自分の人生に懐疑心を抱かない方を選ぶだけだ。

いつもの情景を思い浮かべる。
臨終の際にベットで横たわりながら、妻に「あの時にヴィパッサナーに行けばよかった」と愚痴るシーンだ。
聞くまでもない、もう答えは決まっている。
”やる。”
やると決めたら、万難を排して、断固たる決意でやる。※6
それが俺のポリシー、生き方だ。


15年もの月日を経て、ついに時は満ちた。
2018年8月4日から8月16日。
いよいよヴィパッサナーが始まった。


※1理由なんていらない。それが若者の特権だ。
※2この旧友は、そのインドにも一緒に行き、ヒッチハイクにも一緒にトライした仲で、私の人生に重要な位置を占め、最も大きな影響を与えたといっても過言ではない。しかし、私がインドでヴィパッサナーに出会っていたことは知らなかったらしく、偶然だった。
※3のちに前後1日必要なので、連続12日間拘束されることを知ったときは目が点になった。
※4できたというより、無理矢理捻出したという方が正確。
※5最初の難関が妻の承認を得ることで、恐怖との闘いだった。「10日間修行してきていい?」というワードは、「付き合ってください」に匹敵するほどドキドキした。
※6最大の敵部活動は、2か月以上前から修行宣言をすることで封印した。あっけにとられる同僚に反撃する余地はなかった。