ヴィパッサナー 〜エピローグ〜

11日ぶりにスマホの電源を入れると、指が思うように動かない。
この体験が風化する前に記録せねばとペンを握るが、思うように文字が書けない。
まるで身体が文明を拒絶しているかのようで、すっかり原始生活に順応してしまった。

辛かったけれど、贅沢な時間だった。
テレビもない、スマホもない、新聞もない、人と話せない、という情報が遮断された環境でできることといえば、ひたすら自分のことだけ考えることができる。
日々の生活の中で、たった1時間、いや10分でさえそんな時間を確保できているだろうか。
忙しさにかまけて、自分と向き合うことを避けていないだろうか。

人はやらない理由をいくらでも挙げることができる。
自分の世界観を信じて疑わない、または変えたくないからだ。
人は自ら望まなければ変わることはできない。
人は納得しなければ、いくら強制しても変わらない。
教育者としても肝に銘じて決して忘れない。

この修行を経験して、人生をいかに主体的に生きるかが今後のライフワークになると直感した。
そして、少しだけ穏やかになった。※1
それでも心が波立つときはもちろんある。
そういった時など自宅でもときどき瞑想を続けているのだが※2、やっぱり覚悟がないと1時間も集中がもたない。
だいたい15分から30分が限度だ。
スキャニングもせずに、ただ静寂の中に身をゆだね、静寂の一部になろうとすることで、リフレッシュになる。
だから、あれほど気になっていた神秘体験だが、修行以来一度も降りてきたことはない。

また修行することはあるだろうか。
それはわからない。
でも、瞑想のない人生は考えられないことだけは間違いない。※3




※1妻もこの境地に到達させ、怒られないようにしようと家庭円満化計画を企むが、失敗に終わる。修行したらダイエットできるというロジックで、なんとか説得を試みようともしたが、全然痩せていなったからだ。ダイエットのために修行するのはお勧めしない。
※2こう見えて私は根が真面目なんです。
※3最近はマインドフルネスといって瞑想も人気で、Googleインテル、ゴールマンサックスなどで研修に取り入れられている。アンビリバボー。

ヴィパッサナー 〜Something in the Way〜

「この境地に達した時、やっとこの苦行のなかに平静さを取り戻すことができるようになった。」
なんてカッコイイことを言ってみたものの、いまだ背中にはヘタレの象徴であるクッションが挟まれている。
そんなヘタレが何を言おうと全く説得力はなかろう。
ということで、後半戦を迎えたDAY6に意を決してクッションと決別することにした。
恐る恐る、ゆっくりと、補助輪をはずしていく。
足の組み方、クッションの座る位置、背中の角度、手の形など何度も何度もフォームの微調整を図り、大げさではなく決死の覚悟でもっていざ1時間の瞑想に再チャレンジした。

1時間の瞑想は潜水に似ている。
始まってしまえば目を閉じ一切動くことはなく、自分の内なる感覚世界へと、ただひたすら深く深く潜り続ける。
そして、1時間の瞑想の終わりを告げるゴエンカ師のお経が流れると※1、水面に浮上してくるイメージだ。
たった1時間の瞑想なのだが、ハーフマラソンを走ったくらいの疲労感がある。
フルマラソンだと補給しないと走れないが、ハーフマラソンだと補給なしで走れるギリギリの距離だからだ。
だから瞑想直後はいつも、息も絶え絶えに、フラフラの状態になる。※2
次の瞑想に備え、一刻も早く体を回復させねばならないので、その場(道場)にとどまることは決してない。
弱者の部屋と庭でリハビリに励んでは、瞑想。
瞑想しては、弱者の部屋と庭でリハビリ。
この繰り返しである。

実はこのルーティン化こそものすごく重要で、この修行を乗り越えることができたのもこの技術のおかげといっても過言ではない。
修行で何が一番辛いかというと、10日(正確に言うと12日)という暴力的なまでの空白に秩序(意味)を与えなければ、精神が耐えられないということである。
2・3日ならばただの我慢大会で終えることはできただろう。
しかし、10日(正確に言うと12日)という日数は我慢だけで乗り切るには絶望的な数字だ。
そこで無秩序に見える修行をフレームワーク化した。※3
まずは、12日を以下のように大雑把に三分割し、
DAY1〜3「アーナーパーナ」
DAY4〜6「クッション付きヴィパッサナー」
DAY7〜9「クッションなしヴィパッサナー」
(DAY10・11はおまけ)※4
それぞれの修行に意味をもたせるとともに、3日終えるたびに達成感を味わえるようにした。
さらに一日単位でも、同様の方法をとった。
もう一度スケジュールを確認すると、以下のようになっている。

4時〜4時30分 起床
4時30分〜6時30分 個人瞑想
6時30分〜8時 朝食
8時〜9時 グループ瞑想
9時〜11時 個人瞑想
11時〜13時 昼食
13時〜14時30分 個人瞑想
14時30分〜15時30分 グループ瞑想
15時30分〜17時 個人瞑想
17時〜18時 ティータイム
18時〜19時 グループ瞑想
19時〜20時30分 講話
20時30分〜21時 個人瞑想
21時〜21時30分 就寝

このなかで、①8時〜9時・②14時30分〜15時30分・③18時〜19時の3回のグループ瞑想だけは、一切の動作を禁じられる本気の瞑想タイムだ。
逆を言うと、これ以外の時間は基本的に何をしていてもよい。
だから、弱者の部屋は賑わいをみせることになったのだが・・・
だったら、このグループ瞑想をメインイベントにセグメント化しよう。
4時〜9時までを1セット、9時〜15時30分を1セット、15時30分〜19時を1セット、あとはおまけ。※4
1セットの時間が一様ではなく幅はあるが、1日3回の本気の瞑想を乗り越えることができるかどうかが修行の命運を握っているので、ここは内容でセグメント化した。
これが功を奏し、残り日数ではなく本気の瞑想をあと10回といった形で数値化できたことで、時間との戦いではなく自分との戦いにもちこむことできた。
いわゆる長期目標と短期目標を瞑想に取り入れたわけだが、この経験から根性も技術であるということを学んだ。
根性や運動神経やセンスといったものは持って生まれた天賦の才であるかのように考えられているが、決してそうではないことを最近この瞑想を含めいろいろな場面からそう思うようになった。
99%は技術である。
だから訓練すれば身につくということを身をもって知ることできた。

また、救いだったのは、終わりなき痛みとの闘いだった座禅と違って、瞑想は覚醒すれば痛みがなくなる。
あれからなかなか覚醒できないもどかしい日々を過ごしたが、DAY8に再び降りてきた。
この時は、座禅する自分自身のシルエットをダブらせた仏像が、宙に浮き、反転したり、縦横無尽に駆け回った。
さすがにこの時はヤバイと思って、無理矢理覚醒を中断してこちら側の世界に戻ってきたが、このころになるともうやりたい放題だった。
DAY9では、身体からあふれ出す光が仏像の殻をやぶって、部屋中にその光が放出された。
何が起きているのか自分でも全く分からず一抹の不安を感じたが、気持ちいいからやめられない。


そして、ついにその時がきた。
またしても異変を伝える高札の周囲に、黒山の人だかりができた。
聖なる沈黙を解除することを予告するお触れがでたのだ。
正式には”メッタ”と呼ぶらしいが、聖なる沈黙がDAY10の9:30頃に解かれた。
聖なる沈黙は最後まで続くものと思っていたので予想外だったが、聖なる沈黙のまま修行から解放すると、うまく世俗に戻れないというのが理由で、このDAY10とDAY11はその社会復帰のためのリハビリにあてられているらしい。
形の上では、修行は継続しているのだが、もうお祭り騒ぎである。
最後の瞑想の終わりを告げる鐘が鳴り、道場を出ると、最初は恐る恐る、めいめいそれぞれが声を掛け始めた。
おしゃべりタイムのスタートだ。
まずは寝食をともにした同部屋の人たちで自己紹介し、思い出を語り合った。
2時間くらいの休憩時間ノンストップでしゃべりっぱなし。
リーダーの寝言が半端なかった話、ラジャーのサボタージュ※4など10日間に起きた奇行・珍事件や、ゴエンカ師の説法に対するツッコミの嵐で笑いっぱなしの2時間だった。※5
話をしてはいけないと状況が面白さを倍増させていたのだろう。
今思い返すと、しんどさより面白さの方が少しだけ上回っている。
だからか、あんな辛い修行だったのに、脱落者は一人もいなかった。
このメンバーで一緒に修行できて本当に楽しかったと、心の底から思った。

しかし、本当に聞きたいことはそれではない。
神秘体験だ。
本当にあんな感覚は俺だけだったのか。
そんなわけはない。
リベンジだ。
途中、修行を挟みながら、休憩時間ごとに色んな人に質問攻めしていった。
ところがどうしたことか、白い光的なものを感じたという話を聞かない。
痛みがなくなったとか、楽になった程度の話だった。
DAY10のゴエンカ師の説法で白い光的なものを解放しなさいという話があって、その前日にそれを経験していたから、「ふむふむ」と確信を深めていたのだが、よくわからなくなってきた。
後日、親友に話を聞いてみたが、それらしきものは1度経験しただけと言っていた。
ますますよくわからない。

話は尽きない。
DAY10は就寝時間を後ろ倒しして、おしゃべりタイムが延長された。
俺はすでに日課となっていた夜のホットウォター(お湯)をすすりながら、流れ星を見上げていた。
すると、リーダーもそこにきて、一緒に流れ星を追いかけた。
アラフォーのおっさん二人がホットウォター(お湯)をすすりながら、「星がきれいだね」とか言いながら夜空を見上げる姿は面白すぎるでしょ。
しかし、その瞬間はくそ真面目に人生について語り合っているのだ。
何度思い返してもおもしろい。
そして最終日、いつも通り4:30〜6:30までの瞑想が終わると、これで全てのプログラムが終了となる。
預けていた物を返却してもらい、寄付が出来る人は寄付を済ませ、荷造りをし朝食を食べ部屋の掃除と、道場や食堂、キッチンやトイレ、シャワールームに外周りの草むしりまでセンターの大掃除を手伝う。
そうして近くのバス停まで順に送ってもらって、修行は終わりとなる。
あんなに辛くて早く終わることばかり考えていたのに、いざ終わってしまうと、センチメンタルな気持ちになる。
帰りのバスの窓が曇って見えたのは、雨のせいだけではなかった。



※1正確には、スピーカーとゴエンカ師のお経を流すipodを接続するときに「ガ・ガ・ガシィッ」という放送機器特有の音がした時に時間の経過を知った。終わるわずか数分前なのだが、この音をいつも今か今かと待ち構えていた。
※2この時悟ったのは、人は1時間動かないだけで死ぬほど苦しむ生物であるという当たり前のことだった。しかし、機械は動かなくても壊れない。人と機械の違いは、この身体性にある。だからこそ、人は行動し続けてこそ価値がある。とどまってはいけない。
※3マラソンにおける2.195kmのようなもの。ここまで来たら何とかなるから、楽観的に「おまけ」とラベリングした。
※4登場人物は「ヴィパッサナー 〜1日目かと思いきやまさかの1日にカウントされていない初日の記録〜」を参照。
※5やはり、皆同じことを考えるもんだ。女子のかわいい子とか、いつ帰る(けつをまくる)かとか。

ヴィパッサナー 〜”アニッチャー”をめぐる冒険〜

修行が始まる前、そして始まってからもずっとあることが気になっていた。
それは、”アニッチャー”である。
ヴィパッサナーに行く前日に例の親友に電話すると、
「先入観を与えたくないから何も言わない。ただし、1つだけ言っておく。”アニッチャー”という言葉だけは覚えておきなさい。あ、あと耳栓はマスト。」※1
と、ドラクエの町の住人のような謎めいたメッセージ。
どういう意味か聞いても、「修行が始まったらすぐにわかる」の一点張りで教えてくれなかった。
修行経験者がそういうのだからと、”アニッチャー”とやらにいつ出くわしても大丈夫なように初夜並みの受け入れ態勢で今か今かと待っていたが、待てど暮らせど”アニッチャー”はアナウンスされないまま、ただ時間だけが過ぎていった。

沈黙が破られたのはDAY4のことだった。
そのころには”アニッチャー”を思い出せないほど思考レベルは低下していた。
修行中に突如として特別イベントが発生することがあるのだが、俺たち修行者は江戸時代の高札よろしく、玄関前に張り出されたたった一枚の紙きれで知らされる。※2
その紙切れには、今日(DAY4)の午後の瞑想はとにかく重要な修行だから全員参加することを義務づける的なことが書かれているものの、何が行われるのか皆目見当がつかない。
会話も視線をあわせることも禁止されているため、その情報の真意を探ることすらできない。
疑心暗鬼のまま満身創痍の体にむち打って、とにかく高札の指示どおり道場に集合すると、日本代表監督の解任会見さながらの緊迫感に包まれていた。

いよいよここからがヴィパッサナーの幕開けである。
それは、いつもはくだらない与太話を垂れ流すゴエンカ師が、瞑想法について語り出すところから始まる。
ところが、次の瞬間耳を疑うような通告を突きつけられる。

「背筋を伸ばし足や手を開いてはいけません。そして瞑想を一度開始したらピクリとも動いてはいけません」
「痛くても、痒くても、くすぐったくても、痺れを感じてもいかなる場合でも身体を動かしてはなりません」

まさに、死刑宣告である。
というものも、この時背中の痛みはピークを迎え、修行どころの騒ぎではなかった。
背泳ぎ柔軟法※3に加えて、礼拝ポーズ※4やタオル柔軟法など思いつく限りのリハビリを試行錯誤しているにもかかわらず、全く痛みが軽減されない最中の出来事だったから、なおのことショックだった。
もうどんなにしんどくても体勢を変えたり、足をくみかえたり、体育座りで回復をはかったり、できないのだ。
俺は一人、天を仰いだ。
無情にも、そんな俺を無視して、指導は次のように続く。
「鼻の下にある意識を頭のてっぺん2cm四方以内に移動させなさい。そしてそこを流れる空気、感覚を観察しなさい」
さらに、頭のてっぺんの意識をおでこ→まぶた→目→鼻といったように細かく身体を分節し、その部位を次々に移動させ、最終的につま先に向かって全身を少しずつ移動するように指示される。
厳密に言うとこの時間までやっていたのは「アーナーパーナ」という呼吸法を主とした瞑想で、これから始まるのが「ヴィパッサナー」らしい。
いつまでも絶望していてもしかたないので、とりあえずものはためしに観察をはじめる。
でも、あまりの恐ろしさから、姑息な手段に手を染めてしまった。
最後列の恩恵をフルに活用して、背中と壁の間にクッションを挟みこみ、背中の痛みを少しでも軽減させるという、せめてもの抵抗だったが、おかげで心持ち修行に集中できるようになった。

はじめのうちは極めてゆっくり、ゆっくりと意識を頭からつま先まで移動させていった。
それぞれの部位で生じる感覚を感じたら、次の部位へと移動させていくことを4、5回繰り返すと、1時間が終わる。
集中しているときには1周30分ほどかかることもあった。
この時にイメージしたのは、WiiFitでからだ測定されるときに表れる画像(下の画像)で、全身を順番に輪切りにスキャニングしていった。

すると次へ次へと、意識を集中させた部位のみに様々な感覚が起こる。
いや本当は順番が逆だ。
何も知覚できないと次の部位に移動できないから、何とかして見つけようとする。
ともかく、ふだんならば感じないようなささいな身体の変化、いや変化と呼べるようなものではない、揺らぎと表現した方が近いかもしれないものが知覚できるようになり、どんな微細な感覚も逃さなくなっていった。
だから、大きな声では言えないが、デリケートな部分をスキャニングするときは自分磨きに近いものがあり、苦しい修行のささやかな楽しみだった。

ヴィパッサナーを手解きされたその日の夜のグループ瞑想で、異変が起きた。
瞑想をはじめて30分ほど過ぎた頃だっただろうか、突然全身から白い光があふれだし、身体と外界を分ける境界線が消えた。
あまりの快感に何が起きているのか混乱した。
初めての精通に匹敵するといっても大げさではない。
それまで悩まされてきた体の痛みも感じない。
たとえどれだけ言葉を尽くしたとしても、この時の衝撃を表現するのは難しい。
かといって精通だけで説明を終えるのも情けない話だが、スピリチュアルな話をしたところで体験していない人間にとって、語られれば語られるほどヤバイ奴になるのだから仕方ない。

この興奮を誰かに伝えたいが、聖なる沈黙という制約のため、誰にも伝えられない。
加えて覚醒してしまったため、なかなか寝付けない。
身もだえして寝れない夜を明かした。
ところが、翌日DAY5にチャンスが到来した。
瞑想中に先生が4名ずつ呼びだし、質問をする機会が定期的にあったのだが、ちょうどこの日が我々新しい生徒のカテゴリーだった。
先生は日本語が話せないので、ボランティアリーダーの方が通訳してくれるのだが、そこで現状を報告し、アドバイスを求めることができる。
つまり、修行中で唯一喋ることができる時間なのだ。
そこで、私はありのままに自分の身体に起きたことを話した。
「身体から光があふれ、真っ白になりました。」
しかし、先生は「ソウデスカ」とそっけない返事。
心の中で、「えー、違うの?間違っているの、俺?」と自問自答し、気のせいか通訳のボランティアリーダーも怪訝な顔で俺を見ている。
「なら、他の奴に聞いてみればいい。同じことを体験しているはずだ。」
とばかり、次の人にターンを譲ったが、他の3人ともそんな不思議体験をしていなかった。
「うそーーん。俺だけ?」
穴があったら入りたい。
ただただ辱めを受けた。
「あの感覚はなんだったのか、あれはマボロシだったのか。修行のせいで頭がおかしくなってしまったのか」
やり場のない気持ちを抱えたまま、弱者の部屋に戻った。
ところが、その日の夜の瞑想でまた覚醒した。
やはり、マボロシではなかった。
これだ、間違いない。
友人から聞いた話だと、麻薬そっくりの高揚感を得ることができるからヴィパッサナーの修行にはジャンキーも集まってくるらしい。
たぶん、これこそがジャンキーの求める脳内麻薬だ。
修行中に、ゲップしまくる奴がいて本気で殺意を覚えたことがあったが、一度目を開けじっくり観察してみると、ゲップを通り越してまるで痙攣をおこしている。
尋常じゃない様相だった。※5
もしかして彼もまた脳内麻薬によってエクスタシーを感じていたのかもしれない。
そう、麻薬と違って、覚醒のスイッチは自分で入れることはできない。
何度も何度もスキャニングする過程で、突然覚醒する。
覚醒しても、その状態を維持することも難しい。
まるでスーパーサイヤ人になりたての頃のサイヤ人だった。

俺自身が俺自身をコントロールできない。
しかし、それでいいのだ。
コントロールしようとしてはいけない。
ヴィパッサナーとは心を平静にただありのままに観察することなのだから。
痒み、痺れ、痛みといった身体に起こる様々な現象、それらは放っておけば消える、無常の現象。
それと同じように自分の潜在意識、心の深い部分に溜まっている怒り、妬み、憎しみなどの嫌悪な感情もやがては消える無常の現象。
どちらも自分の身体の内部に起こる無常の現象であり、これらにその都度、反応すること無く客観的に観察して常に自分の心を平静に保ち続ける。
感情も含めて自分の目にするすべての現実は、自分自身で作り出したものなのだ。
これまでは、そうしたものを理性でコントロールしようとしてきた。
なぜなら、感情を理性でコントロールすることが世の中では正しいとされているからだ。
そして、それ以外の方法を俺は知らなかったから、そう訓練してきた。
しかし、どれだけ訓練しても感情の嵐の中では理性の出る幕などない。
弱い人間だからと一蹴してしてしまえばそれまでだが、だって人間だもの。
感情に振り回されないためには、理性を磨くだけでなく、感覚によって嫌悪・渇望・無知といった感情を受け流せばいいのである。
諸行無常、常なるものはない。
とどまってはいけない。
これこそ”アニッチャー”なのである。
親友のメッセージの意味がやっとわかった。
この境地に達した時、やっとこの苦行のなかに平静さを取り戻すことができるようになった。




※1耳栓には本当に助けられた。もし、修行に行かれる場合はマストアイテムです。
※2本も読めない、文字もかけない、スマホもない原始的な生活をしている修行者にとって、情報は最大のエンターテインメントであって、高札の周りにはいつも人だかりができていた。
※3「ヴィパッサナー 〜まだまだ始まらないヴィパッサナー〜」参照
※4イスラム教徒の礼拝ポーズのようにして背中を伸ばす行為。弱者の部屋のメンバーは俺のことをイスラム教徒だと思っていたに違いない。
※5後日談で、この人には他の修行者も迷惑を通り越して心配するほどだったが、俺はあの異様な光景を思い出すと怖くて、おしゃべりタイムでも話しかけることができなかった。

学校改革推進部長(ソーシャルデザインラボ所長)講話2019

ヴィパッサナーシリーズを小休止して、いつもの講話を1回はさみます。


あけましておめでとうございます。
今年はすぐにもう一回「あけましておめでとうございます。」と言わなければなりません。
何のことかわかりますか?
去年から耳にタコができるほど聞かされている「平成最後の・・・」が思い浮かんだ人は勘が良い。
君たちが生まれて初めて経験するビッグイベント”改元”が行われます。
元号が変わるということは、平成という時代が終わるということです。
それに呼応するかのように、社会は変わりはじめています。
働き方改革
これはまだ君たちにはあまりピンとこないかもしれません。
これならどうでしょう?
大学入試改革。
高校1年生にとっては他人事じゃないですよね。
学校改革。
○○高校でまさに現在進行中です。
このように、世の中のいたるところで改革がすすめられていて、○○高校も無関係じゃありません。
このように社会が変わりはじめた背景には、またしても耳タコの”少子高齢化”という問題があります。

少子高齢化はその名の通り、2つの大きな変化をもたらします。
1つめは、少子化によって生産人口が減少し、国力が低下するということです。
国力を表す指標の1つであるGDPですが、2018年現在日本はアメリカ・中国に次いで世界3位です。
しかし、約30年後の2050年にはどうなっていると思いますか?
ある機関の予測によると、2050年のGDPランキングは1位中国・2位インド・3位アメリカ・4位インドネシア・5位ナイジェリア、日本は8位にまで後退しているそうです。
M−1のジャルジャルネタで笑っている場合ではありません。
日本がインドネシアの後塵を拝する時代がすぐそこまで迫っているのです。
日本はもはや豊かな国ではなく、貧乏な国へとゆるやかに衰退しています。
すでに身近な変化として、巷にあふれかえる観光客が挙げられます。
中国が豊かになったから観光客が増えた。
たしかにそうですが、それだけではありません。
日本は世界から見たら、お得な国なのです。
東京の物価は高いというのは過去の話で、外国人は誰もそんな風に思っちゃいません。
日本は安くてよいサービスを提供するお得な国だから、外国人が殺到しているのです。
2つめは、高齢化です。
2018年現在、100歳以上の方は何人いると思いますか?
答えは、69,785人です。
これは○○市2つ分の人口に匹敵します。
1963年にはわずか153人、1980年でさえ968人しか存在しなかったのだから、恐ろしいほどの勢いで高齢化が進行していることが分かります。
しかし、高齢化はとどまるところを知りません。
西暦2000年以降生まれ、つまり君たちの世代です、の2人に1人は100歳以上生きると予測されています。
これが”人生100年時代”といわれる所以です。
18歳の君たちの人生はあと80年も続くのです。
80年後の未来が想像できますか?
私には全く想像できません。
しかし、歴史に携わる者の端くれとして、未来は予測できなくとも過去ならば想像できます。
今から80年前とは、1939年です。
第二次世界大戦が勃発した年です。
1939年の日本人の誰が、紅白歌合戦で「 USA! USA! カーモンベイビーアメリカー!」(手の動きはいいねダンスで)なんて歌う時代がくると想像したでしょうか。
当時の日本なら非国民と誹られ、下手すれば治安維持法で逮捕されてしまうかもしれません。
そんな日本(大日本帝国)は滅び、新しい日本が誕生しました。
つまり、80年後は国家があるかどうかすらわかりません。
ましてや現在の基幹産業である車やテレビやスマホだって存在するかどうかわかりません。
現在の常識や技術だけでは太刀打ちできない世の中になっていることだけは間違いありません。

では、この予測不可能な時代をどう生きたらいいのでしょうか?
答えはすでに君たちは知っています。
新しい時代を主体的に生きるコンパスこそ”○○高校CAN-DOリスト”です。
「人を思いやる力」「人とつながる力」「協働する力」「挑戦する力」「未来とつながる力」「知識を活用する力」。
この6つの力こそ時代を超える普遍的な力です。
2学期にCAN-DOリストの振り返りを実施しましたが、全学年共通して低い力が1つありました。
何だかわかりますか?
それは「未来とつながる力」です。
5級「自分の学力について、得意・不得意を理解している」「経験のないことに対しても、興味をもって取り組むことができる」
4級「自分の職業・学問適性を理解している」「現代社会の課題について、日常的に情報を収集している」
3級「自分や他者の経験を元に、進路について考えることができる」「現代社会の課題について、自分と関連させて考えることができる」
このように「未来とつながる力」とは、基礎的な部分は自己理解と社会理解といった要素から構成される力です。
この力が低いということは、○○高校生はヤムチャ化しているということです。
ヤムチャというのは『ドラゴンボール』のキャラで、とにかくよく負けます。
なぜそんなに負けるかというと、相手の戦闘力を見誤り、自分の能力を過信するからです。



自分と向き合おうとしない、社会のことを知ろうとしない、未来とつながらない○○高校生は、まさにヤムチャに他なりません。
ここで提案があります。
3学期はヤムチャ撲滅キャンペーンをやってみませんか?

「ゴーンが逮捕されたらしいな」→「は?除夜の鐘がどうしたん?」→「はい、ヤムチャ
「昨日新聞見た」→「見てへん」→「はい、ヤムチャ
「もう、受かりそうな大学でええわ」→「はい、ヤムチャ

このように、日常生活のなかで時事問題にボケをかますシーンや自分と向き合わないシーンに遭遇したら、もぐらたたきのように「ヤムチャ」と指摘しあうのです。
半分冗談ですが、半分本気です。
揺らぎ続ける自己を理解するには、その足場となる社会を理解する必要があります。
変化し続ける社会を理解するには、新聞などを通じて日常的に情報をアップデートし続けなければなりません。
つまり、みんなの心に巣くうヤムチャを退治するには、日々学び続けるしかないのです。
繰り返しになりますが、これからの”人生100年時代”を生き抜くためには学び続ける姿勢が最も重要となります。
このことを私は、スイミングスクールから学びました。※1
しかし、話始めると長くなるのでまたいつかの機会に話すことができればと考えています。

というわけで突然ですが最後に、コンピューターの父と呼ばれているアラン・ケイの名言で締めくくりたいと思います。
「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」
偶然にも未来とつながる力1級も同じような内容でした。
現代社会の課題について、周囲と協働して解決を目指すことができる。」
未来がどうなるかではなく、未来をどうするかと考えることで、未来は変わります。
未来に目を閉ざすのではなく、未来を自分で切り開くという強い気持ちとたゆまぬ努力ができる〇〇高校生が、一人でも増えることを期待して学校改革推進部長の講話とさせていただきます。



※1「LIFE SHIFT(2018-12-15)」参照

ヴィパッサナー 〜まだまだ始まらないヴィパッサナー〜

いきなりやらかしてしまった。
時計をみると、5時半をまわっていた。
これが何を意味するかというと、最初の瞑想タイムをすっぽかしたということだ。
というのも、基本的な瞑想のプログラムは以下の通りで、※1

4時〜4時30分 起床
4時30分〜6時30分 個人瞑想
6時30分〜8時 朝食
8時〜9時 グループ瞑想
9時〜11時 個人瞑想
11時〜13時 昼食
13時〜14時30分 個人瞑想
14時30分〜15時30分 グループ瞑想
15時30分〜17時 個人瞑想
17時〜18時 ティータイム
18時〜19時 グループ瞑想
19時〜20時30分 講話
20時30分〜21時 個人瞑想
21時〜21時30分 就寝

起床時間はとっくに終わっていても、聖なる沈黙のせいで誰も起こしてくれない。
不運は重なり、目覚ましをセットしていたものの、同部屋の寝言対策のために耳栓をして寝ていたため、肝心の目覚ましが聞こえないという痛恨のミス。
あせりまくった俺だが、なんと同部屋のインド人のラジャーも部屋で瞑想をしていた。※2
ラジャーの姿に安心したのもあり、今から道場にいくのもバツが悪いため、このままラジャーと一緒に部屋で瞑想をすることにした。
しかし、弱者の部屋というだけあって、数日後には時間通り起きて、時間通りに4時半から修行する方が珍しくなる。※3
鐘がなっても、部屋の住人がモソモソし始めても、起きる意志すら示さない。
この時あせりまくった自分は何だったのだろう。

修行はサボったくせに、メシ※4だけはちゃんと食う。
メシは早いもの順に取り放題なので、少しでも遅れると渋滞にはまり込む。
特に朝飯はパンを食べることができるので、オーブントースターの前で大渋滞が起きる。
それを嫌ってメシは常にラジャーと先頭争い。
こうなってくると、先発ピッチャーと同じ気分。
まっさらなマウンドに立ちたい。
誰も手に付けていないご飯を食べたい。
それに俺にとってメシが唯一の楽しみであり、空腹は恐怖だった。
空腹を感じても腹を満たすものは何もないから、食える時に食っておかないとひもじい思いをすることになるという恐怖に駆り立てられての行動だったのだが、後日談で、ご飯めっちゃ食うって指摘された。
たしかに、晩飯・お酒抜きなのに全然痩せていなかった。


個人瞑想とグループ瞑想の違いはあれど※5、鐘が鳴り休憩、また鐘が鳴り瞑想。
それが夜までひたすら続く。
トータルすると1日12時間の修行。
ただし、休憩時間中は手洗いだが洗濯もできるし、シャワーも浴びることができる。
眠ければ部屋で寝てても良い。
また、水や冷茶は飲み放題で、たまにハーブティーもふるまわれることもあった。※6
芝生のエリアを歩いたりする事もできる。
俺は全身の痛みをほぐすために、エアー背泳ぎをしながら芝生エリアを周回していた。
はたからみたらヤバイ奴だが、皆同じような状態だし、聖なる沈黙のため何も気にならない。
とにかく次の瞑想に耐えうる身体に回復させるのが最優先だった。

瞑想漬けの修行の中で異色な時間が、毎晩19時から始まる「講話」の時間。
「ゴエンカ師」の録音テープが流れる。
内容は瞑想法について、ブッタについて、その他諸々が録音されているが、時に録音とは思えない話をする時がある。※7
例えば、

「夜ご飯が食べれないので昼に夜の分まで食べてやろうと腹一杯食べていませんか?」
「こんな事してて意味はあるのか?途中で帰ろうかな?などと思っていませんか?」

など、全て図星をつかれてビックリする。
考えていることは皆同じなんだろう。
しかし、一番ハッととしたのは、残りの日数をカウントした時だった。
「2日目が終わりました。あと9日です。」
10日間の修行の筈なのに、おかしい。
何度数えても数があわない。
納得いかないが、聖なる沈黙のため誰にも聞くことができず、次の放送を待つと、
「3日目が終わりました。あと8日です。」
やはり、聞き間違いではなかった。
どうやら、10日間というのは丸10日間の修行のため、前後1日が付随するのだ。
めまいがした。
前回のブログのタイトルどおり、1日目かと思いきやまさかの1日にカウントされていない初日が存在し、予定より二日ほど余分に修行することになったのだ。
フルマラソン走った後に、あと10km走らないとゴールじゃないよって言われるようなものである。
心が折れる寸前だったが、どうにもならない極限状態であればこそ、人間の真価が問われる。※8
つまり、人生に期待を問うのではなく、人生が自分に期待していることを問う。
生きる意味についてのコペルニクス的転換をすることで、絶望の淵からなんとか這い上がることができた。


想定外の試練に見舞われたが、前半の3日間の瞑想では“自分の呼吸を客観的に観察し続けること”だけに集中した。
それが瞑想の基本らしい。
呼吸をひたすら観察し続ける。
しかし、観察しろと言われても素人には皆目見当がつかない。
そこでまずDAY1は鼻で呼吸する練習、DAY2は上唇を底辺とした鼻の周りの三角形を知覚する、DAY3は鼻の下と上唇の間の呼吸を感じる、といったように少しずつレベルを上げて観察法を学んでいった。
前半の3日間は、本当にただそれだけを言われ続け、一日中そればっかりやり続ける。
「たったそれだけのことか、簡単じゃん」と思われただろうが、ところがそれが難しい
とにかく心はおしゃべりで、まったく集中できない。
花びら大回転の雑念エンターテインメント状態。
挙句の果てには、お笑い芸人の「いつでもここから」が特攻服姿で登場し、「コノヤロオメェ、バカヤロコノヤロオメェ」と叫びだす始末。※9
かと思いきや、いつの間にか意識を失っていたりする。
ほとほと困り果てた頃にやっと、呼吸に集中できるようになり、息を吐けば鼻の穴を通って流れていくのが分かるし、息を吸えば鼻の穴を通って入っていくのが分かるようになった。
舞台は整った。
いよいよヴィパッサナーが始まる。※10




※1ごくまれに特別イベントがあり、その場合は宿舎の玄関に張り出される。
※2この時は足を組み、キチンと瞑想していたように見えた。のちに起きることすらしなくなる。あの時、感謝した気持ちを返してほしい。
※3最後まで脱落しなかったのは私・ロンブー中田・リーダー。(ただし、私は初日のミスがあるのでコンプリートしていない)
※4参考までに食事のメニュー。
朝食
白米or玄米orお粥orパン。めちゃくちゃ塩分の効いた梅干しのおかげで何杯でもご飯を食べることができた。なにげに嬉しかったのはコーヒーがあったこと。(もちろんインスタント)
昼食
白米or玄米に加えサラダやスープ、おかず一品が付く。おかずはキャベツの胡麻和え、ひじき、豆腐、八宝菜風のもの、おでん、おでんをスープにしたもの、トマトソースのパスタ、トマトソースのパスタをスープにしたもの、トマトソースのパスタをグラタン風にしたものなど。おそらく残飯を出さない為に残った食材が無くなるまで似たものが続く。
夕方のティータイム
バナナ1本とリンゴ半分を食べることができる。それだけでは不安な俺は、ひたすら砂糖を入れた紅茶を最低2杯飲むことで、カロリーを確保した。ただし恐ろしいことに「古い生徒」にティータイムが訪れることはない。
※5個人瞑想は選択科目、グループ瞑想は必修科目のようなもので、個人瞑想時間は道場にいなくてもよい。弱者の部屋はどうなったかは言うまでもない。
※6炭酸中毒者の俺にとって水のみの生活は苦しかったが、慣れてくると、ホットウォター(ただのお湯)を飲むとリラックスするまでになるのだから、驚きだった。これも修行の成果の1つ。
※7しかし、翻訳のためかとにかく長く、基本的に退屈。たまにいいこと言うが、メモできないため忘れる。また、ブッタとかゴエンカの話がメインなので、他人事なのでいくらいい話でも基本的に響かない。いかに、聞き手のジブンゴトとして語れるかがプレゼンの肝であることを再確認する。
※8このことを私はヴィクトール・フランクルの『夜と霧』から学んだ。「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである」
※9とくに好きな芸人でもないのに、なぜ?
※10厳密に言うとこの時間までやっていたのは「アーナーパーナ」という瞑想法で、これから始まるのが「ヴィパッサナー瞑想」らしい。

ヴィパッサナー 〜1日目かと思いきやまさかの1日にカウントされていない初日の記録〜

まず最初に、「ヴィパッサナーって何?」という人のために、ヴィパッサナーについてネットの力を借りてまとめておきます。
日本ヴィパッサナー協会によると、

ヴィパッサナーとは「ものごとをありのままに見る」ための、インドの最も古い瞑想法のひとつです。ヴィパッサナー瞑想法は合宿の十日間コースで指導されます。合宿コースは、日本にあるヴィパッサナー瞑想センターで行われます。日本にはセンターが二ヵ所あります。京都府船井郡京丹波町ダンマバーヌ・センターと千葉県長生郡睦沢町ダンマーディッチャ・センターです。合宿コースは寄付のみによって運営されております。合宿の参加費用は食費、宿泊費を含めて、一切請求されません。

ツッコミどころ満載だが、ここはあえて無視して話を進めます。

場所は、わざわざ千葉まで行く必要性がどこにも見当たらなかったので地元の京都を選択し、万難を排してネット申込受付初日に申し込む。
まるで人気コンサートさながらである。
申し込む際に、「新しい生徒」か「古い生徒」を選ぶ項目があり、「古い生徒」というものに違和感を抱くが※1、初めてだし老人でもないので「新しい生徒」を選んだら、無事参加が認められた。


そして、いよいよ当日。
JR二条駅から園部方面行きの電車に乗って約30分、「園部駅」で下車。
ここからバスに乗るようにホームページでは指示されているものの、駅前はバスが来るとはとても思えないほど閑散としていた。
同じ目的と思われる一団がいたので、少し距離を置いて待っていると、ほどなくして本当にバスが来た。
この時点ですでにド田舎なのに、さらにそこから路線バスに乗って約50分、「桧山バス停」で下車。
さらにさらにそこからセンターに電話をして迎えに来てもらう。
送迎ワゴンが来て、それに乗って約20分でやっとセンターに到着した。
これだけ俗世から遠ざかると、いよいよ修行感が高まってきた。
修行には、やはり、人里離れた山奥がよく似合う。


センターに到着すると、まず財布や携帯電話、書物など戒律で禁止されている物を全て預ける。
それから戒律やプログラムの説明を受け、戒律を守る事、絶対にコースの途中でリタイアしない事などを誓う誓約書にサインをする。
戒律とは主に次の4つことで、

戒律①10日間誰とも話してはいけない
戒律②10日間誰とも目を合わせてはいけない
戒律③10日間字を読めない
戒律④10日間字を書けない
(ということはもちろんスマホ没収)

だが、個人的にはこの戒律に勝るとも劣らなかった大きな不安材料が、禁欲を除く以下の3点である。

不安①食事は午前中のみ(晩飯なし)
不安②飲み物は基本的に水(お酒なし)
不安③寝るときクーラーなし
(当たり前)禁欲

くいしんぼうの俺が、晩飯抜きの生活が耐えうるのか。
職場にコーラの類を常備するほど炭酸大好き人間の俺が、お酒と炭酸なしの生活が耐えうるのか。
くそ暑い京都の真夏にクーラーなしで寝ることなんてできるのか。
戒律の恐ろしさを知らない世間知らずな俺にとっては、不安材料の方が恐ろしかった。
なにせ人が生きていくためには衣食住が必要だが、その「食」と「住」が脅かされているのだ。
生命の危機といっても過言ではない。

しかし、初日は特別ということで夕食に蕎麦が用意されていた。
シャバならとても美味しいとは言えない代物だったが、この先食べれないことを考えたら不安で、一生ぶんくらいの蕎麦を食べてしまった。

腹ごしらえを済ませると、荷物を10日間お世話になる部屋に置きに行く。
どうやら俺が一番最後だったようで、俺以外の住人5人全員がそろっていた。
そう、部屋といっても6人一部屋で、一人が占有できるスペースは布団のみ。
6枚の布団を敷くと足の踏み場もない位狭い部屋だった。※2
そこで10日間暮らすのだ。
嬉しい誤算は、俺に割り当てられたスペースの目の前に扇風機があったことだ。
この僥倖に心の底から神に感謝した。
これで不安③に対する心配がだいぶ軽減された。
実際に扇風機がなかったメンバー⑤(下のメンバー紹介参照)は、声を出すことが禁止されているにもかかわらず、「あつい、あつい」と一晩中うめいていた。※3
しかし、誰も扇風機を貸してあげることはできない。
なぜなら、それは自らの死につながるからだ。
まさに地獄だった。


ここで、「弱者の部屋」の仲間を紹介しよう。※4

メンバー①アランfromカナダ
宮崎県の高校のALT。最初は真面目だったが、この部屋のせいか、徐々に怠惰になっていく。
メンバー②大久保さん
京都府城陽市在住のレゲエ好きなフリーター。個人瞑想の時間は基本的にこの部屋で寝ていた。しかし、底抜けにいい奴。
メンバー③ロンブー中田
この部屋で唯一ストイックに修行する求道者。長髪を後ろで束ねた姿はまるで旅人になった中田英寿のよう。クールなスカした野郎かと思いきやナイスガイ。
メンバー④ラジャーfromインド
本場インドからの参戦。大物感満載だったが、こけおどしのサボり名人。禁止されているスマホをいじっていたときは部屋の誰もが殺意を抱いた。
メンバー⑤リーダー
福岡より参戦した介護士。寝言が尋常ではない。チャリで本気で脱走しようと企む。

これだけバラエティに富んだメンバーが集まった部屋はここだけで、つらい思い出のはずだったが、どれも今となっては楽しい思い出だ。
ただし、これらの情報はすべて修行最終日に知りえたことであって、修行中は戒律のために話すことも、目を合わすことさえできなかった。
この行為は「聖なる沈黙」と呼ばれ、のちにさまざまなハプニングを引き起こした。※5



部屋に荷物を置いた後、ボランティアスタッフの紹介や瞑想法についての説明などを聞き、さっそく瞑想ホールで1時間ほど初めての瞑想を行う。
瞑想ホールは前方中央に先生が座り、向かって左側が男性、右側が女性と別れている。
その脇にはそれぞれボランティアスタッフ男女各5名ほどが座る。
そしてその手前に今回参加する生徒、男女それぞれ約30名ほどが座る。
前列から「古い生徒」が座っていき、新しい生徒ほど後ろの方に座る。
ここで二つ目の僥倖、またしても神に感謝することになった。
なんと俺の座席は最後列だったのだ。
これは何を意味するかというかと、背中に壁があるということだ。
辛くなった時、何度この壁に助けられたことだろう。
この壁がなかったら、厳しい修行を乗り越えることはできなかったかもしれない。

とにかく、修行が始まった。
なんとも言えない緊張感とこれから始まる10日間に対する皆の不安な気持ちがホール全体に漂う。
瞑想中は目をつむり、足はあぐら。
基本的に座禅によく似ているが、座禅では目はつむってはいけず、半眼にすることが求められた。
なぜなら、目をつむると眠るからだが、確かに瞑想始まったばかりの頃はよく寝ていた。
というより、長い修行時間を少しでも短くするために眠ることでサボっていた。※6

早速この状態でじっとしていることの辛さを痛感する。
足、背中、首、身体の各部が痛みだし、ホール内には痛みを和らげる為にあーでもない、こーでもないと体勢を変えた時に出る音が響き渡る。
とにかく楽に座れるフォームを確定することが喫緊の課題で、修行中ずっと試行錯誤していた。
野球選手のフォーム固めと基本的には同じだ。
フォームが大事なのだ。
時には座布団の数を増やし、時には座布団を太ももの下に挟んでみたり、手の位置を変えてみたり、前半の修行は修行どころではなく、フォームづくりといってもよかった。
そうこうしているうちに「カーン」と言う鐘の音が3回鳴る。
そう、コース中は全てこの鐘が合図となる。
朝4時の起床、夜21時の就寝の知らせ。
瞑想中であれば休憩の知らせ。
休憩中であれば瞑想の知らせ。
初日は初めて聞くこの鐘の音が就寝を知らせる音だった。
座禅と同じだ。
この鐘の音に支配された世界を生きていかねばならないのだ。
暗澹たる気分で、用意された自分の部屋に行き布団を敷いて就寝する。



※1のちに「新しい生徒」か「古い生徒」は重要な意味をもつことを知る。そして、old studentを直訳したら「古い生徒」と呼んでいることも。誰か「経験者」に訂正してあげればいいのに。
※2部屋にはいろいろなタイプがあり、他にも2名部屋、ベッド完備の部屋などいくつかの部屋に分かれていた。「古い生徒」ほど優遇されるシステムで、最上級の生徒には個室が与えられていた。だからといって誰も何度も修行に来てランクを上げたいとは思わない。
※3あまりのことに見かねたのか、メンバー④が夜中にどこからか小型の扇風機を見つけてきて与えたので、翌日以降は「あつい」とは言わなくなった。しかし、メンバー⑤の寝言ははてしなく続いた。
※4「弱者の部屋」というのはその名の通りで、この部屋はまるで部活動の部室のように修行をサボるための部屋と化した。この部屋にいるとダメ人間になるので、戒めもこめて俺の心の中だけで「弱者の部屋」と名付けた。
※5聖なる沈黙事件
消灯後、寝ぼけまなこでトイレ行くと、電気もついていない。慣れのせいもあって、目をつぶったまま便器に向かい、ズボンを下した。すると、そこにはメンバー⑤リーダーが。リーダーは小便をひっかけようとする俺をとめようとするが、話してはいけないので口をパクパクし、必死のアピールをしていた。すんでのところで回避したが、非常事態ですら戒律を優先する修行者の姿は滑稽だった。
※6 5日目くらいからやっと目をつむっても眠らなくなった。これには自分が一番驚いた。まさしく修行の成果。

ヴィパッサナー 〜プロローグ〜

人生とは数奇なものである。
15年前のインドでの約束を果たす時がまさか来ようとは。

途切れ途切れのか細い記憶の糸をたどると、あれは、大学4年生の時に訪れたインドのガンジス河の夕暮れ時だったと思う。
記録的な大雨のせいでバラナシでの足止めをくらい、目もくらむほど有り余った時間を前にしてガンジス河を眺めて過ごすことくらいしかすることがなかった。
きっかけも内容も全くと言ってもいいほど覚えていないが、暇を持て余していた22歳の若者は、そこに現れたインド人のおじさんといつの間にか話し込んでいた。※1
それが10分だったか、1時間だったか、もはや定かではないが、「日本に帰ったら、君は修行に行きなさい」と言われたことだけはなぜか印象に残った。
しかし、世の常人の常で、若者は面倒くさいことなど聞き流してしまう。
そして、いつの間にか忘却の彼方にいってしまうのだ。
それがヴィパッサナーだった。
記憶を改ざんしている可能性もわずかに否定できないが、これは宿命だったとしか考えられない。
修行することは、あの時点で決まっていたのだ。
まるで運命の糸に引き寄せられるかのように、ヴィパッサナーと出会うべくして出会った。


15年という長い歳月の扉が開いたのは、偶然の産物だった。
1つは、親友が私より先にヴィパッサナーに行ってしまったことだ。※2
親友が経験したのは世界一周の旅の真っ最中だったから、もう8年以上も前のことである。
つまり、忘却の彼方から引き戻されてから8年以上放置していたことになるが、ただ手をこまねいていた訳ではない。
実は、その間に何度かヴィパッサナーのサイトにアクセスはしていた。
しかし、修行には最低連続10日間の日数を要するため※3、そんな都合よく休暇と修行の日程が合わなかった。
そうこうしているうちにあっという間に8年以上の歳月が流れていた。

ところが、今年の夏休みは2週間の休暇をとることができた。※4
そこに妻の幹部昇進試験が重なったことで、拍子抜けするほどあっさりと、単独行動の認可も下りた。※5
このタイミングを逃したら、次はいつになるかわからない日食のようなものだ。
まさに奇跡である。
条件は整った。
あとは、ヴィパッサナーに挑戦する人生とヴィパッサナーに挑戦しない人生、自分の人生に懐疑心を抱かない方を選ぶだけだ。

いつもの情景を思い浮かべる。
臨終の際にベットで横たわりながら、妻に「あの時にヴィパッサナーに行けばよかった」と愚痴るシーンだ。
聞くまでもない、もう答えは決まっている。
”やる。”
やると決めたら、万難を排して、断固たる決意でやる。※6
それが俺のポリシー、生き方だ。


15年もの月日を経て、ついに時は満ちた。
2018年8月4日から8月16日。
いよいよヴィパッサナーが始まった。


※1理由なんていらない。それが若者の特権だ。
※2この旧友は、そのインドにも一緒に行き、ヒッチハイクにも一緒にトライした仲で、私の人生に重要な位置を占め、最も大きな影響を与えたといっても過言ではない。しかし、私がインドでヴィパッサナーに出会っていたことは知らなかったらしく、偶然だった。
※3のちに前後1日必要なので、連続12日間拘束されることを知ったときは目が点になった。
※4できたというより、無理矢理捻出したという方が正確。
※5最初の難関が妻の承認を得ることで、恐怖との闘いだった。「10日間修行してきていい?」というワードは、「付き合ってください」に匹敵するほどドキドキした。
※6最大の敵部活動は、2か月以上前から修行宣言をすることで封印した。あっけにとられる同僚に反撃する余地はなかった。