マスターズ

マスターズ選手権に出場した。
マスターズといっても、もちろんゴルフの大会のことではない。
「LIFE SHIFT」やトライアスロンシリーズでお察しの通り、ここんとこ私は水泳にのめり込んでいる。
84歳のおじいちゃんを紹介したように、生涯スポーツである水泳には、シニア世代がその成果を競う大会としてマスターズというカテゴリーが存在する。
有名なのは、フィンスイミングワールドカップマスターズ2015で銅メダルを獲得したオードリーの春日だろう。
そのおかげで私もマスターズの存在そのものは知っていたが、自分の人生とは関係のないものだと思っていた。
それもそのはずだ。
わずか1年前は、まともに泳げもしなかったのだから。
それが、もののはずみとはいえマスターズで泳いでいるのだから、人生とはなんとも数奇なものだ。
 
私にとって水泳はあくまでトライアスロンの手段の1つに過ぎないから、「最長100mのマスターズなんて楽勝!楽勝!」と、気楽な気持ちで申し込んだ。のんきなもんだ。
ところが、大会が近くなり、マスターズに出場することがスイミングスクールの面々に知れ渡ると、「すごいですね」「私なんて無理」と声をかけられるようになった。
その時は内心「たった100mで、大袈裟すぎやしないか」と訝しんだものだが、大会が始まってすぐに理由がわかった。
 
出場したのは、50m自由形・100m平泳ぎ・100m自由形リレー(25m×4人)の3種目だが、しょっぱなの50m自由形で早くも洗礼を浴びた。
トライアスロンを完走し、練習でも限界まで追い込んでいるつもりだったが、甘かった。
たった50mがこれほど苦しいとは想像さえしなかった。
フォームを気にかける余裕もなく、ただ死に物狂いに手足を動かす。
疲労感は1.5kmのトライアスロンに匹敵するといっても過言ではない。
 
100m平泳ぎは想像を絶するほどの地獄だった。
平泳ぎを苦しいと思ったことはこれまで一度もなかったから、申込用紙の前で「平泳ぎだったら楽だし、100mくらい泳がないと物足りないだろう」と思っていた自分に腹が立つ。
練習の倍ぐらいのスピードで泳いでいるつもりなのに、差はみるみる開いていく。
追いつこう追いつこうとすればするほど、苦しさは増す。
あまりの苦しさに悶絶寸前だった。
息も絶え絶えにやっとこさ100mを泳ぎ切るものの、ゴールには誰もいない。
他の選手よりも30秒近く遅かったため、他の選手はもう帰っていた。
思い出したのは、オリンピックで自国にプールのない国の選手が周回遅れで泳ぐシーンだ。
ただでさえ打ちのめされているのに、追い打ちをかけるかのような羞恥プレイに身も心もボロボロになった。
コーチには、「平泳ぎは実は一番苦しい種目だから、私も出場するのを控えたのに、すごいですね」と慰められるが、「苦しいなら、苦しいって早く言ってくれよ」とひとりごちてみたところで、後の祭りだ。
 
最後の100m自由形リレー(25m×4人)の頃には、思考力も低下していたようで、スタートの合図の意味が分からなくなっていた。
「テイクユアマーク ピッ」でスタートするのだが、「ピッ」って鳴ったあと、「あれっ、いつスタートするだっけ?」とよそ見をしてしまった。
1秒ほど遅れて慌てて飛び込むも時すでに遅し。
まともに泳いでもついていくのがやっとの私にとって25mの1秒は致命傷で、チームとしても最後までその差を取り返すことはできず、最下位でフィニッシュした。
「楽勝!楽勝!」と余裕をかましておきながら、見事なまでの足手まといっぷりに合わせる顔もない。
圧倒的な最下位にもかかわらず、世代別では参加者1名だったので与えられた平泳ぎの金メダルをカバンにしまって、トボトボと帰路についた。※1

かくのごとく、ほろ苦デビューとなってしまったマスターズだが、それを補って余りあるほどの成果もあった。
ブレイクスルーを経験できたのだ。
「僥倖っ……!!圧倒的僥倖……!!!」

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悪夢のような100m平泳ぎだったが、自分にはまだこんな力が眠っていたのかという、限界の果てにある世界にたどり着くことができた。
一度ブレイクスルーを経験すると、苦しかったはずのそれまでの練習がぬるく感じられるようになった。
身体があの世界を知ってしまったから、世界が一変してしまった。
レベルが上がったというより、見える景色が変わったという感覚だ。
たとえ練習で何百km泳いだとしてもたどり着けなかっただろう。
練習はあくまで練習なのだ。
無意識のうちに、自分の力をセーブしてしまう。
試合という挑戦が、未知の力を引き出す。
ラグビーの2015年の南アフリカ戦はその典型だ。
何百時間練習を積み重ねたところで、あの80分での経験にはかなわない。
日本ラグビーはあの1戦を経験したことでブレイクスルーした。
 
ノートや教科書を完璧に覚えるまで問題集を解かない生徒がいるが、えてしてそういう生徒は伸びない。
問題集を解くことで、初めてノートや教科書が有効活用できる。
ただ漫然とノートや教科書を眺めることに意味はない。
ブレイクスルーの神様は、挑戦する者にしか微笑まないからだ。
教育現場にも、ブレイクスルーを。
そのためには、教育という名のもとに管理された温室ではなく、社会という現実の中で挑戦することを大人がもっと支援していく必要がある。
 
試合には負けたけど、勝敗より大切なことを学ぶことができた。
40歳を目前にして、この名言を使う日がくるとは思いもしなかった。
やはり人生とは数奇なるものだ。

※1記録的には60代の人と同タイムだった。やはり、100mは誰にとってもしんどいらしく、エントリーするだけで一目を置かれるようだ。無知とは恐ろしい。