トライアスロンを始める前に

まだいよ線※1を片足跨ぐ年齢になったが、全く実感がない。
中身が20代から大して変化していないからだろう。
だけれども、当たり前だが時が止まることはない。
過ぎゆく時間を懐古するのはまだ早いと言われるが、30代があっという間に終わろうとしている。
おそらく40代はもっと高速化するだろう。
人生100年時代といえども、これからますます時の流れが加速していくことを考えると、まだいよ線どころかデッドラインもそう遠くない未来としてリアリティを帯びてくる。
少し前の話だが、唐突に「この人生でやっておきたいなあ、と思うことは?」と聞かれる機会があった。
20代の頃だったら、希望に満ちた質問にしか感じられなかっただろう。
「あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい」とブルーハーツの曲がBGMとして流れるぐらいご機嫌な質問だ。
しかし、同じ質問であっても、今の僕にとっては人生の残り時間をいやがうえにも意識させる質問で、やりたいこと1個1個、人生の残り時間でできるかどうかをいちいち天秤にかけないと、やりたいことすらできない年齢なのだと気づいてしまった。
おもわず固まってしまったことを覚えている。
ところが、そんな思いをあざ笑うかのように、答えに迷いはなかった。
トライアスロン
それは自分でもとても意外な答えだった。
というのも、人生を賭してでもやりたいことはもっとソーシャルなものであると思っていたし、どちらかというとプライベートではないビジネス領域にあると思っていたからだ。
もちろん、トライアスロンに対して潜在的な憧れはあった。
しかし、トライアスロンといえば、キングオブスポーツとも言われる最高峰のスポーツであり、自分とは無縁のスポーツだった。
例えば高校生の僕に、「おまえ20年後にトライアスロンやってるぜ」と言っても、鼻で笑われただろう。
なんせ高校生の僕は、部活にすら所属せず、中二病をこじらせまくった、心身ともに不健康そのものだったからだ。
そんな僕がトライアスロンを初めて意識したのは、ウルトラマラソンを完走した2013年だったと思う。
まあ、不思議なことはない。
当然の流れだ。
しかし、だからといっておいそれとできるものじゃないのが、トライアスロンだ。
なぜなら、トライアスロンはとにかく金がかかる。
まず、大会に出場しようがしまいが、トライアスロン協会に登録する必要がある。
年間4000円。
エントリー料は、マラソンの倍となる20000円台が相場だ。
日帰りできる場所で開催されるとは限らないので、宿泊費と交通費もかさむ。
大会に出場するだけで、下手したら50,000円程度の出費となる。
さらに腰が引けるのが、装備だ。
ランニングのようにTシャツ一枚で走れればどれだけ楽かと、何度思ったことか。
トライアスロンウェア、さらにはウェットスーツだけで、軽く数万円。
極めつけはロードバイクだ。
全てゼロからそろえるとなると、最低でも20万円程度はかかる。
初期投資が大きすぎて、おいそれとは手がでない。
一説によると、トライアスロン競技者の平均年齢は42.7歳で、アイアンマンレース出場者の平均年収は約25万ドルと言われている。※2
「高い金払ってまで、よくそんな苦しいことできるもんだ」と驚嘆されることが多いが、たしかにお金をもらってもやりたくない人が大半なのに、酔狂にも程がある。
トライアスロンキングオブスポーツと言われる所以は、体力より、経済力によるところが大きいのではないかと邪推していたところ、あながち間違いでもない気がしていた。
それどころか核心をつくアイデアに思え、頭から離れなくなった。
 
トライアスロンは、まだいよ世代にとってこれからの人生に必要なライフスキルが凝縮されたスポーツではないか?
 
まず、マラソンからは習慣という武器を。
習慣化は目標を達成するための最強のツールであり、何かを成し遂げようとおもったら、習慣化してグリッドすればいい。
僕は、10年間欠かすことなく続けている早朝ランニングから、そのことを学び、多くのものを手に入れることができた。
水泳からは客観性というメタ認識を。
水泳というとスピードに価値が置かれがちだが、本来水泳は、イメージと身体を同調させる能力を開発することを目的とした訓練だと僕は考えている。
ということに気づいたのは、バタフライのおかげだ。
バタフライは、第一キックと第二キックという二種類のキックに加えて、うねりを組み合わせた複雑怪奇な動きで構成される。
水泳教室の初級コースに通う水泳素人集団にとって、習得が難しく、ひたすら疲れるだけのバタフライは不可解な泳法でしかなく、「バタフライは何のために存在するのか」という哲学的な水泳談議に花が咲くことがあるくらいだった。
速く泳ぎたいならクロールで十分だし、平泳ぎや背泳ぎなら大して疲れない。
どちらでもない中途半端なバタフライのレーゾンデートルとは何か。
考え抜いた末に僕が導き出した結論が、逆説的だが、バタフライが異質なのではなくバタフライこそ水泳の本質を体現した王道であるということだ。
なぜなら水泳の本質はフォームにあるからだ。
バタフライの動きが複雑怪奇すぎるので、正しいフォームを強調しやすいからクローズアップしてみたが、バタフライに限らず、正しいフォームを身につけるためには、まず動きそのものを徹底的に観察して理解し、イメージ化する必要がある。
理想的な身体運用をイメージ化できたら、イメージと身体を同調させていく作業を繰り返し、正しいフォームを身体に覚えこませていく。
この身体と思考のフィット&ギャップを通じて客観性が磨かれる。
水泳で陥りがちなピットフォールが、自己流で泳ぐことだ。
体力や筋力にまかせて、ただやみくもに練習しても上手くはならない理由はもうお分かりだろう。
客観性なき水泳は、水の中でおぼれているのと大差はない。
最後の自転車はもう説明はいらないだろう。
財力という社会的信用を。
ロードバイクを所有しているということは、それだけの可分所得をもつことの証明となる。
 
40代を主体的に生きるライフスキルが何かは議論があるだろうが、習慣と客観性と財力であると言っても異論はないと思う。
それらが、トライアスロンを通じて手に入る。
そして、当然ながらそれらすべてのベースとなる体力(健康)も。
トライアスロンをやらない理由を探す方が大変なくらいで、トライアスロンがあれば40代も楽しく生きることができそうだ。
いっちょやってみっか。
 
 
※1リトルトゥースにしか通用しないであろうフレーズ。「まだまだ30代」と「いよいよ40代」というライン。
※2「自分を極限まで追い込み、ゴールすることで高い満足感が得られるトライアスロンは、ハードなビジネスと共通する部分もあり、仕事で成功を収めた経営者が熱中するケースも多い」かららしい。