トライアスロンをやってみた

トライアスロンを始める前に、と言っておきながら全然始まらず申し訳ございません。
トライアスロンはもう終わっているのですが、ブログをなおざりにして、トレーニングに明け暮れていました。
朝10km走り、昼間ジムで筋トレ、夜プールで2kmスイムなんて日もある。
自分でも思わず「アスリートかっ!」ってツッコんでしまうほどのめり込んでいる。
一体私はどこに向かっているのだろう?

記念すべき人生初のトライアスロンは、京都丹波トライアスロンと決めていた。
というのも、私は初代チャンピオンだからだ。
またおかしなことをぬかしてやがると思われるだろうが、嘘は言っていない。
嘘は身を亡ぼすということをお笑い芸人から最近学んだばかりだからだ。
人生初のトライアスロンと言っておきながら、それにはカラクリがあって、過去に一度だけチームエントリー部門で出場し、見事に優勝しているのである。※1
第一回大会だから、もう5年も前の話だ。
この時の私にとって、汚い保津川を泳ぐことや、バカ高いロードバイクを所有することなどありえないことで、表彰式をすっぽかしてプロレス観戦に行ってしまうくらい程度の関心しかなかった。※2
だからといってトライアスロンを馬鹿にしているわけではなく、同じアスリートとしてリスペクトの念を禁じ得なかった。
トライアスロンという競技を目の当たりにしたのは初めてだったが、その後もなかったことを考えると、この経験がなんらかの影響を私に及ぼしたことは間違いない。
今となっては、強引に誘ってくれた同僚に感謝しかない。
私のトライアスロンの原体験ともいうべき京都丹波トライアスロンこそ、人生初のトライアスロンにふさわしい。
月日は流れ、もう40歳も近くなってしまったけれど、やっとスタートラインに立つことができた。
ここにたどり着くまでの思い出が走馬燈のように駆け巡る。
 
特に大きな問題を抱えていたのがスイムだった。
1.5kmなどとてもじゃないが、泳げる気が微塵もしない。
何とかしようと、パーソナルトレーナー接触を試みるも、練習場所が折り合わず、断念。
ジムのトレーナーに「トライアスロンに挑戦してみたい」と相談してみるものの、とりあえず泳ぎを披露すると、やれやれといった感じで「死にたいの?」と突き放された。
もちろん声には出してないが、態度でわかった。
彼の心はこう言っていた。
「てめーがトライアスロンに挑戦するなど100年早いんだよ」
振り出しに戻った。
そこから先の詳しい話は「LIFE SHIFT」に書いた通りだ。
これが今から1年半ほど前の出来事である。
 
感慨深く想いがこみ上げ、スタートを待つ保津川の中で武者震いした。
というのは、嘘だ。
恐怖で震えていた。
ウォーミングアップの時間が設けられていたが、足が地面につかないことにすっかり怖気づいてしまい、早々に陸地に退散してしまった。
足がつかないことがこれほど恐ろしいものだと知らなかった。
まさにSWIM or DEAD。
スポーツで初めて死を意識した。※3
1.5km泳ぎ続けるしかない、できなければ死ぬ。
動揺する私をよそに、時は無常に過ぎていく。
胸の動悸が加速する。
そうこうしているうちに始まってしまった。
まずは、スタートラインに移動するのだが、これだけでも初心者にとって簡単なことではない。
足がつかない場所でスタートを待たなければならないからだ。
できるだけ待たなくてすむように最後尾で出発するもののかえって気ばかり焦る。
緊張からか胸の鼓動がおさまらない。
メルカリで買ったサイズが合わないウェットスーツが、さらに締めつける。
前日のメディカルレクチャーで教わった低酸素血症が脳裏をよぎる。
とにかく酸素を体内に送り込まければ、死ぬ。
スタート直後のはやる気持ちにのまれてはいけない。
タイムより大事なのは命だ。
生命の危機を脅かされた私は、ひとかき毎に息継ぎする作戦に変更した。
そのため、とにかく遅い。
トライアスロンにはプールのようにコースなど存在しないため、次から次へ、後続の選手が襲いかかる。
これは大げさな表現ではなく、泥水で視界はゼロのなか、ノーモーションで人の手足が襲いくる。
腹と頭を蹴られたら、おぼれて死ぬと直感し、ガードを固めながら泳ぐため、さらにスピードはダウン。
万が一に備えて、中央に浮かぶたった1本のコースロープの横のポジションを死守した。
最悪何かあったとしても、コースロープにつかまれば一命をとりとめることができると考えたからだ。
しかし、死守するのは文字通り命がけだった。
後ろから体を引っ張られるのは日常茶飯事だし、上に乗りかかられることもあった。
少し目を離すと、いつの間にかコースロープから遠ざかっていることもままあった。
必死になってコースロープに戻るも、また流される。
その繰り返し。
暗闇の中でまっすぐ泳ぐことは至難の業だ。
トライアスロンはただ泳げるだけではダメだ。
野生の中で戦う覚悟と技術と戦略なき者には、ただただ地獄だった。
コースは保津川500mを3周するのだが、1周目は気が遠くなるほど長かった。
f:id:tokyonobushi:20191011182321p:plain
(こんなコース)
感覚的には2周目の倍くらい泳いだ気がする。
特に、折り返しからの250mは川を逆流するのだが、まったく進まない。
何度も確認するが、折り返しのコーンは一向に近づいてこない。
だって、自分の人生で川を逆流するなんて考えたこともなかったんだもん。
絶望的な思いで必死に腕を動かし、何とかスタートに戻ってくることができたが、疲労の色は隠せない。
逆流の反対、いわゆる順流というらしいが、少し余裕のできた2周目に「上流から下流に下る追い風状態でクロールは必要ないのでは?」と気づいてしまった。
というのも、私の場合、クロールと平泳ぎのタイムにほとんど差がない。
迷子にならずに、浮かんでいるだけのクロールの方が合理的ではないかと考え、ただ一人急遽クロールを捨て平泳ぎに変更し、体力の温存を図った。
これが自分の首をしめることになるなろうとは想像だにしなかった。
 
とにかく必死にクロールで逆流し、平泳ぎで優雅に下るという戦法で3周目を終え、やっとこさスイムフィニッシュにたどりついた。
最大の関門であるスイムをフィニッシュした達成感に浸りながら、とりあえず自分一人では脱げないウェットスーツのチャックを下ろしてもらっていると、「何やってんだ」とばかりに追い立てられた。
あと3秒で足きりだったのだ。
余裕をぶっこいて平泳ぎをしている場合ではなかった。
この一年の努力が、あと3秒で水の泡になるところだった。
どうりで周りに人がいないはずだ。
文字通りの最下位からのバイクスタートとなった。※4
 
ここからのバイクとランで怒濤の100人抜き。
スイムの足切り事件を除けば、ほぼレースプラン通りの展開になり、タイムも目標の3時間ジャストの3:00:01。
 
公式記録は以下の通り。
水泳 320位(49:57) ほんまにあと3秒!
自転車 208位(1:22:11) 自分ではバイクは早いと思っているのだが、タイムが平凡なのが不可解だ。
長距離走 110位(47:53) 冷水は頭からかぶるより、背中にかける方が効果があることを知る。
トータル 216位(3:00:01)

また一つ不可能を可能にした。
しかし、これはゴールではない、スタートなのだ。
向かうべき先は、世界一過酷と言われるアイアンマン。※5
次の不可能を可能にするためにレーニングをまだやめるわけにはいかない。

 

※1もちろん私はランナー、スイムとバイクは職場の同僚(下の写真)。実はさらにカラクリがあって、エントリーチーム数はたったの2チームだった。
※2この当時はプロレスにハマっていた。「プロレスにハマる」「プロレス教育論」「プロレス正義論」と立て続けにブログを更新している。
※3トライアスロンがスイム→バイク→ランの順番なのは、死亡する確率が高い順らしい。
※4のちに分かったことだが、この大会の最高齢は80歳オーバーで、スイム最下位ということは、私のスイムは80歳より遅いということが判明した。
※5スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195km