プロレス教育論

今年はプロレス型授業なるものに挑戦している。※1
趣味が高じて本業になるとは、まさにこのことだが、「遊ぶように仕事し、仕事をするように遊ぶ」ことをモットーとする私にとって、趣味と仕事は切り離すことができない。※2
ラソンだって、仕事のパフォーマンスをあげることが第一義※3であって、伊達や酔狂でやっているわけではない。
趣味のように見えるだろうが、趣味が仕事なのか、仕事が趣味なのか、本人にすらよくわからないというのが本音のところかもしれない。



僕は授業に魔法をかけたいと本気で思っている。
僕にとって、理想の授業とは「再現不可能な授業」であって※4、その場、その時間、そのメンバーでなければ奏でることのできないハーモニーをつくることだからです。
そんな授業では、僕は生徒のまなざしに吸い込まれ、僕の言葉は生徒の内面に深く侵食し、主客合一した幸福なる一体感が生み出され、まるで教室に魔法がかけられたかのような錯覚に陥いるのです。
それは奇跡のようなもので、年にそう何回もできるものではありませんし、なぜそうなるかレシピもマニュアルも存在しません。
というのも、トートロジーになりますが、「再現不可能な授業」だからです。
ですが、それを追い求めるのが教師の性であって、それを放棄するのは、チョークを置くときです。


そんな僕がプロレス型授業と言い出すほど、なぜプロレスに惹かれたのか。
答えはこうだ。

「イヤァオ!」※5

ごめんなさい。
ただ言ってみたかっただけです。
冗談はさておき、ヒントはリングにあります。
プロレスのリングは6m50cm四方のロープで囲まれています。
意外かもしれませんが、そのサイズは教室と大差ありません。※6
闘いの場の偶然なる一致。
もちろんそれが答えではありません。

プロレスのリングにも、魔法がかかっているからです。

プロレスラーは、ロープに飛ばされたらわざわざ返ってくるし、飛んでくる相手の技をよけたりせずに受ける。※7
その応酬によって、リングは宇宙空間と化す。
他のスポーツとは違って、プロレスは相手を倒すことが目的ではありません。
プロレスは、エルボーにはエルボーで返し、ライアットにはライアットで返すという意地の張り合いのようなものがあって、そればかりか相手の強烈な必殺技さえも受けなければならない。
よければいいじゃないかという問いは愚問である。
よけて試合に勝っても、それは勝負に負けたことを意味し、観客の心をつかむことはできないからです。
一方的な勝利はむしろ二流とされ、互いの技量を認め合う信頼関係があってこそ名勝負は生まれていくのです。
この「受けの美学」なしにプロレスは語れない。
プロレスでは、大技を繰り出した時と、その大技をくらっても立ち上がった時を比べてみると、後者の熱量は、前者をはるかに凌駕する。
相手が繰り出す技を全て受け、何度も何度も立ち上がる。
その姿が観客の心を熱くし、その積み重ねが一体感を生む。
相手の得意技を受け、特色を生かし、持ち味を引き出すことで、「人間的な強さと度量の大きさ」が体現され、闘いの果てにある意味や美しさを求めて、人はプロレスに惹きつけられる。
総合格闘技のように目の前の相手をぶちのめし、強ければいいってのはある意味楽なことであって、相手の良さを全て引き出したうえで、相手を凌駕するのがプロレスにとっての強さなのです。
プロレスは闘いですが、暴力ではありません。
つまり、プロレスは"最強"をめざすスポーツではないということです。
プロレスは"最高"をめざすスポーツなのです。
「PLAY BY EAR」。
レスラーは、そのときの会場の空気を感じながら、その場その場でどうふるまうかを常に意識して、"最高"な試合を演出しているのです。

授業も同じです。
問いの応酬によって授業に魔法をかけていく。
生徒の良さを最大限引き出したうえで、それを超える。
予想もしなかった発問や回答が、僕のポテンシャルを引き出す。
そのときの教室の空気を感じながら、その場その場でどうふるまうかを常に意識して、"最高"な授業を演出していくのです。
まさに「PLAY BY EAR」です。
勘違いしている生徒も多いのですが、授業とは先生だけで作るものではありません。※8
生徒の反応は、教師を生かしもし、殺しもする。
プロレスが決して一人ではできないように、授業も教師1人では成立しません。
生徒の存在があるからこそ、教師が輝けるのです。

教師は、もはや一方的に知識を伝達する"最強"な存在ではありません。
答えなき問いに対して、双方向で合意形成していく"最高"な存在であることを求められています。
それは、アクティブラーニングなどの教育改革やPISA型の学力観などからも自明のことです。
今後ますます教育は、各人の能力や才能を引き出すプロレス的な要素を強めていくことは間違いありません。
日本の未来はプロレスにかかっていると言っても過言ではない。




※1去年は、落語型授業を公言していた。つまり、落語のように、「マクラ」と 「サゲ」のある授業のこと。お察しの通り、去年は落語にハマっていた。
※2オードリーの若林も、「趣味は自分の本業を客観的にみられるきっかけになる」と論じている。『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』
※3いす-1GPで優勝するためというのが2番目の理由。
※4「教えること」参照
※5「イヤァオ!」は新日本プロレス中邑真輔のパフォーマンスで、主に試合終了後に発される雄たけび。イヤァオ!の意味は各々が考えればよく、何をあてはめてもよい。
※6妻が初めてプロレスを見た感想は、「なんでよけないの?」だった。
※7目測で教室は10m四方の空間だった。もしかしたら人の能力を引き出す人類学的叡智なるもので通じているのかもしれない。
※8そういう生徒に限って、授業への不平不満が多い。