プロレスにハマる

誰からも、「なぜ今更?」と半ば呆れ顔で問い返されるが、齢35にしてプロレスにハマっている。
どれだけハマっているかというと、新幹線に乗って東京へ長距離移動する直前に、無意識に売店で『週刊プロレス』を購入するくらいハマっている。
ハマる直接のきっかけは、オードリーのオールナイトニッポンで、若林が「プロレス知って人生が10倍楽しくなった」と発言したことだった。
ご存知の方もおられようが、こう見えても私はかれこれ3年近く毎週欠かさずオードリーのオールナイトニッポンを聴くへヴィリスナー(リトルトゥースと呼ぶ)である。※1
若林も齢36にしてプロレスを知ったわけだが、そのハマっぷりは、リスナーにとって青天の霹靂で、新生若林の到来を予感させた。
そのとき私は全くプロレスに興味がなかったが、プロレスの魅力以上に、プロレスの魅力を語る若林がとても魅力的だったことだけは覚えている。

そもそも私がなぜ、リトルトゥースになったかというと、加齢のせいである。
加齢に伴う生活習慣防止のために、5年程前から走り始めた。
今では、マラソンは私の生活の一部と化しているが、マラソンは孤独なスポーツである。
一回の練習で10km程度を、黙々と走る。
レベルがあがるにつれて、練習で20km程度走る必要がでてくる。
いくら風光明媚な京都を背景にランニングしようとも、さすがに、20kmは苦痛で、退屈である。
そこで、音楽を片手に走ることにしたのだが、私のiphoneにある音楽などたかがしれていて、何巡かしたら飽きてしまった。
信じられないだろうが、爆風スランプの「RUNNER」が流れても、全くテンションがあがらなくなるのだ。
次の手を考える必要があった。
走り続けるためには、走ることが楽しくなければならない。
走りながらできることで、楽しいこと。
まずは、落語を聴きながら走ってみるものの、よく話が聞き取れない。
試行錯誤の結果、導き出した答えは、高校時代によく聞いていたナインティナインのオールナイトニッポンだった。
驚いたことに、高校時代から15年近く経っているのに、その番組は続いていた。
そして、15年近くも経っているにもかかわらず、まるで昨日まで聴いていたかのように、すんなりとリスナーに戻ることができた。
気がつくと、ナインティナインだけでなく手当たり次第、iphoneの許容量をはるかに超えるほどの番組を録音していた。
それが、伊集院、有吉、おぎやはぎバナナマン、そしてオードリーだった。
それぞれにおもしろかったのだが※2、結論から言ってしまえば、オードリーが一番私にフィットした。
それは、同年代のお笑い芸人だったというのが一番大きな理由かもしれない。
加齢とともに興味の対象が、ダウンタウンミスターチルドレンイチローのように自分より年配のスターへの憧れから、スポーツ界ではベテランとよばれ、お笑いでは中堅のポジションに、企業ではリーダーとして奮闘する同年代に移ったからかもしれない。
もしかしたら自分がそうなっていたかもしれない姿を見ているのかもしれない。
自分ならどうするか考え、楽しむだけでなく、見える世界を共有することで、芸の肥やしにできるからかもしれない。
とにかく、過剰に年齢に反応してしまう自分がいる。

なかでも同年代のお笑い芸人であるオードリーの、つまり同じ時代を生きた者にしかわからない、共感や笑いや下衆さがツボにハマった。
すぐに虜になった。※3
それから、3年近く毎週欠かさず聴いている。
オードリーのオールナイトニッポンを聞くために、走っているといっても過言ではない。※4
こうして、プロレスにハマる前に、私はまずオードリーにハマった。


その若林が、人生が変わるほどおもしろいというのだから、きっと私の人生も変わるに違いない。
ところが、いざプロレスの世界に足を踏み入れようにも、レスラーと言っても猪木と馬場くらいしか知らないし、テレビで放映もされていなければ、指南役もいないし、一緒にプロレスを見に行ってくれる人さえいない。
どうすればいいのか、途方に暮れた。
でも、こういう経験は初めてではない。
僕は、新しい世界に踏み入れるとき、原体験として、いつもあの光景を思い出す。
小学6年生で、お年玉をはたいて、近くのジャスコ(現イオン)でCDラジカセを買った時のことだった。
しかし、CDラジカセなど、CDがなければただのゴミである。
その発想がなかった私は慌てた。
そうであれば、歌謡曲に全く興味のなかった私であったが、併設されていたCDショップにいかざるをえない。
今思えば、たった2・3坪の小さなCDショップだったが、その当時の私にとって、その2・3坪の空間は、まるで宇宙のように、果てしない無限大のように感じられた。
どうすればいいのか、途方に暮れた。
というより、恐怖を感じていた。
目の前に広がる無限にあるCDの中から、自分にふさわしいCDを発見することは不可能のように思え、ただただ絶望的な気分になった。
結局、なぜか、嘉門達夫の「替え歌メドレー」という不可解な歌と、『101回目のプロポーズ』も見たこともないのにオリコンシングルチャート1位という安易な理由だけで、CHAGE&ASKAの「SAYYES」を購入したが、ほとんど聴くことはなかった。
そんな私であったが、18歳で上京する頃には、在庫数8万枚を誇る渋谷の8階建てのまさにタワーレコードさえ、臆することなく、自分にふさわしいCDを探せるようになっていた。
その間の6年間は、手探りで「HEY!HEY!HEY!」や「CDTV」や音楽雑誌などを通じて、ちょっとずつちょっとずつ、音楽という宇宙を開拓していった。
成長の歩調と同じ歩幅で少しずつ前進していくことで、等身大の自分自身を歌詞に投影し、何度も自分を奮い立たせ、何度も歌に救われ、多くの出会いをえて、世界はより豊かになった。
ビギナーの憂鬱とも呼ぶべき、その絶望感に恐れをなして、扉を開かなかったらと思うと、身の毛もよだつ思いがする。
それから、未知の領域に踏み込むときの、何から入って、どこから探したらよいか、どこまでいけばよいのか、という絶望感は、新しい世界を手にする期待感に変わった。
そこから次々と、映画にハマり※5、東京砂漠をさまよい、クラシックを知り、落語などに手を出していった。
そのたびに途方に暮れ、ビギナーの憂鬱に襲われるものの、ワクワク感がそれに勝り、そのようにして世界を堆積していくことで初めて、人間性をパンプアップし、自分を悠久なる歴史の中に位置づけることができることを学んだ。
それらは、授業などでは学べない多くのことを教えてくれる人生の教科書だった。

そして、齢35にして、満を持して人生の教科書の新しい1ページに、プロレスという親愛なる4文字が加えられた。


※1
授業でも公言し、職場では『社会人大学人見知り学部卒業見込み』や『週間プロレス』を回覧しているのだが、一向に人口に膾炙せず、プロレスと同様、この喜びを共有できる仲間を未だに持てずにいる。
※2
小木の初体験の話には大爆笑した。
※3
オールナイトニッポンには、「オードリー以前/オードリー以後」という分水嶺があって、2時間の番組で一切音楽を流さなかったり、30分以上続くオープニングトークなど、いくつかの革新性にも魅了された。
※4
私は不文律として、走るときしかオールナイトを聞かないようにしている。そうしないと、走る動機が失われてしまうからである。
※5
違う映画に、同じ俳優が出てくることに驚いたほど、何も知らない、ショービズ界のズブの素人だった自分が懐かしい。