江戸滞在記

江戸滞在記とたいそうなタイトルをつけたが、1泊2日の東京旅行記に過ぎない。
だが、この旅は僕にとって浅くない意味を持つ出来事であって、自己に対する観照にいくつかの新しい要素を付け加えることになるという確信がある。
それは、「ニューヨーク滞在記」や「ウルトラマラソン」の延長線上にある何かであることは間違いない。

そもそも、なぜ東京に行くことになったかというと、理由は明白で、東京マラソン2015に出走するためだ。
プライベートでしか東京に行く機会がない身分になってから、東京に行くということは、金銭的にも、精神的にも、僕にとって特別なもので、そうやすやすと行ける場所ではなくなっていた。
だから、東京マラソンは絶好の言い訳だった。
旅行には、仕事なり、興味なり、用事なり、ある種の理由というか、必然性を必要とするが、僕の場合、マラソンがかなり大きな必然性をもつことは、衆目の一致するところであり(特に、東京マラソンは10倍以上の競争率でしか当選しないので、次はいつ当たるかわからないため、必然性は指数関数的に高くなる)理由としては申し分ない。
そういうわけで、大手を振って妻公認で東京に行った。

一般的にマラソンを走るというだけで、十分特別な理由となるのだろうが、ただ僕の場合、マラソンは特別なものではなく、日常の一部なので、東京でしかできないことをやらねば、高い新幹線代とホテル代を払う意味はない。
ならばということで、スーツで東京マラソンを完走することにした。
でも、これは最低条件。
別に、大阪でも、京都でもできることだから、東京でしかできないことをする。
それが旅を特別なものにする。

ということで、朝一番の新幹線で東京に移動し、さっそく、親友と神田で鮟鱇鍋ランチ。
18歳で大学入学した直後に出会ってから、はや17年の付き合いで、人生のパートナーと言うと語弊があるが、合わせ鏡のような存在。
若かりし頃、安い居酒屋や、家に食材を持ち寄って、さんざん飲み明かしたが、今は鮟鱇をつつきあいながら、昼間っから酒を飲む仲に。
何も飲んべいだから、昼から酒を飲んでいるわけでなく、親友が仕事の関係で夕方のフライトで南スーダンに行かねばならないからだ。
南スーダンとは、外務省のホームページによると、首都のジュバを除き全土が「退避勧告」で赤く塗り潰されており、NGO国際危機グループ(ICC)によると、民族間紛争によって死者は10万人以上に上り、「生き地獄」と表現される国である。
比較にならないが、こちらはテロの恐怖が伝えられる東京マラソンをスーツで走ろうとし、あちらは地獄の南スーダンに向かおうとしている。
大学時代に一緒にだらだらぐだぐだしていた二人が、互いに死と隣り合わせの状況を楽しんでいるとは、隔世の感がある。
何の変哲もない普通の大学生だった2人なのに、今では、自他共に認める“変人”になってしまった。
近況報告もそこそこに、「なぜ二人は“変人”と呼ばれるのか」について議論が始まる。
結論としては、人は生きていると、様々な理不尽に巻き込まれる。
そうした現実という名の理不尽さと理想の落差から逃れるために、人は辻褄を合わすように型にはまっていくが、二人はそういうものを、インドか歌舞伎町か中野かどこだか分からないが、どこかで失くしてしまったのだろうということだった。
普通であることにコンプレックスを抱いていた二人だったから、余計にというより、過剰にそういうものに染まらなかったのかもしれない。
コンプレックスさえいわばモチベーション。
しかし、いくら齢を重ね、飽くなき挑戦をしようが、変わらない性格のようなものがあって、そこからは逃げることができない。
でも、それが自分の支えでもあって、“変人”じゃない部分ともいえる。
その自覚があるから、“変”なことに挑戦できるんじゃないだろうか。
勇敢と無謀は全く異なるということは自覚しているということで、普通の人は、勇敢なことさえ無謀なこととして処理してしまっているのかもしれない。
なんてことを語り合っているうちに、あっという間にフライトの時間に。
後ろ髪をひかれつつ、再会を約して、千鳥足で互いの駅に向かう。

神田を後にして、次は東京マラソンのエントリーをするために、東京ビックサイトに移動。
毎度のことながら、ひとたび東京に足を踏み入れると、その人の多さと、スピードに圧倒される。
東京に住んでいたときは全く感じなかったのだから不思議だ。
人はたぶん、そういう感覚を抱いたときに、東京人でなくなるのだろう。

今回の東京滞在で、事前に決まっていた予定はこれだけだったので、スマホに“東京なう”とつぶやくと、夜に高校時代の友人と会うことになった。
何て便利な社会だ。
が、まだまだ時間がある。
そこで、フェイクブックで最近動向を知った大学時代の友人の水タバコ屋に、アポなし訪問をすることをした。
しかし、水タバコ屋なるものが、どういうもので、何時に開店するのか、全くわからない。
(不親切にもホームページには開店時間を案内していない。そのことで友人を追及すると、あまり繁盛すると忙しくて嫌だから、てきとーな時間にてきとーに働きたいという理由からだった)
分かっているのは、高円寺のshisha cafeはちグラムという店の名前と、友人が10歳年下のかわいらしい女性と結婚したということだけだ。
おそらく、あまり早くても店が閉まっているだろうから、時間をつぶすために、丸の内線を途中下車し、大学・社会人時代を過ごした中野へ。
駅を降りると、10年ぶりなのに、まるでタイムスリップしたような感覚で、当時の記憶が溢れ出す。
足は自然と3年ほど過ごしたボロアパートに向いた。
夜遅くに素振りをしていた神社や、好きな子に告白した公園や、よく使っていたスーパーや、バイク事故で死にかけた場所に残した塀の傷跡。
下宿先へのわずか5分程度の家路は、まるで宝探しのような至福の時間だった。
僕の歴史がそこにあって、僕の中の何かが回復していくような気がした。
ところが、終わりは突然訪れる。
下宿先は取り壊され、デザイン事務所のような外観をしたモダンな建物に変貌していた。
僕の一部を失ったような気持ちになった。
大した思い出はないが、あの場所で、僕は生活し、恋をし、アホなことをし、少しだけ勉強をした。
時間は僕とは無関係に時を刻み続け、無慈悲に僕の歴史を奪っていった。
呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
巻き戻した時間を元に戻すには、歩くしかなかった。
僕は1つ先の駅まで歩くことにし、おそらく何千回と通り過ぎた街並みを再び愛でることで、心象世界をアップロードしていった。
そうやって時計のねじを巻きなおすことで、再び時間は動き出した。


高円寺に到着すると、大学時代の旧友がいた。
時間は再び15年前まで巻き戻される。
旧友は15年たったとは思えないほど、あのころのままの風貌だったから、客で溢れかえる店内でも旧友を発見することはたやすいことだった。
旧友は、一見さんが来たと思い、一瞥もせず、常連さんらしき人と話し込んでいた。
しかし、それではわざわざここまで来た意味がないし、この摩訶不思議な空間に自分の居場所を発見できそうもないので、あけすけに、「久しぶり」と声をかける。
怪訝な顔をみせるも、徐々に表情に色彩が浮かび、嬉しいことに、フルネームで俺の名前を呼んでくれた。
何しろ、お互い15年ぶりの再会だ。
積もる話もあるのだが、思っていたより店が繁盛していて、なおかつ店主の緩慢な動きのせいか、一人手持ち無沙汰に店内をきょろきょろ眺め回す挙動不審の変人。
向かいに座った女性は、気味悪かったのか、10分くらいで別の席に行ってしまった。
水タバコの準備ができると、旧友は僕に気を使って、(他のお客さんもほったらかして、というか、基本放置プレイなお店)学生時代は吸っていなかったタバコを吸いながら、僕の所に戻ってきた。
互いの近況報告を断片的にし(ほったらかしと言っても、断続的に客が入店し、水タバコの準備もあるし、会計もする必要があって、それを一人でやっていた)、他の友達のことを報告しあったりしながら、この15年の空白を少しだけ埋めていった。

その間、忙しい店主を独占するわけにもいかないので、相席した名古屋のアパレル関係者と大いに話が盛り上がる。
そして、間接的に(相席した人を経由)近況報告を続ける。
その相席した鈴木君(26歳)は、いたく東京の開放性に感動していた。
見ず知らずのおっさん(俺)と、30分近く話しているのだから、そりゃ東京は出会いの宝庫だと誰だって思うだろう。
俺だって思っている。
おもてなしというとちゃっちいが、東京は異邦人に対して寛容な場所なんだろう。
生活すると不快な部分が目立つが、旅行者としてはとてもエキサイティングで、フレンドリーな街なのだ。
俺も気をよくして、「東京は若いうちに経験しとくべきだよ」なんてありふれた言葉を恥ずかしげもなく言うと、鈴木君も「そうですよね〜」と吹っ切れたような表情を浮かべていた。
1時間半ほど滞在したはずだが、あっという間に時間が過ぎた。
ここは、喧騒の新宿や品川が嘘のような空間で、まさに異次元と呼ぶにふさわしい場所だった。
旧友はスローモーションがかっているほどのっそりとしていたし、効率性とか売り上げとか、接客とか経営の常識が皆無にみえた。
水タバコだって完成するのに、30分以上かかっているし、そもそも注文聞きにくるのかさえ、怪しいほどだった。
時間感覚が完全に狂う、まるで「精神と時の部屋」だったが、とても新鮮で、なおかつ楽しかった。
自分や社会とは違う価値観がここにもあった。
旧友には、伝えたいことの1/10も伝えられなかったが、また来ればいい。



すっかり日も暮れたころ、子連れの高校時代の友人と合流し、俺のリクエストでゲイのメッカ新宿二丁目に。
子どもの教育上好ましいのか、好ましくないのかはひとまず置いといて、35歳でゲイバーデビューする男(俺)と、若干2歳でデビューのみおちゃん(友人の娘)とその父(友人)の3人で、女装家の集う「マスカレードカフェ」へ。
マツコデラックスのように、もっと攻撃的な人達だと思っていたが、子連れでゲイバーに来店する物珍しさからか、店内にいる人は皆ものすごくフレンドリー。
店内には女性らしき人が3人と、男性客らしき人が3人。
しばらくすると、男性らしき客は1人を残して消え、女の格好をしている人だらけになる。
しかし、誰が男で、誰が女なのかはわからない。
うかつに発言できない緊張感がある。
会話をしていく中でわかったことだが、そこにいた本物の女性は1人だけで、あとはみおちゃんを除くと全員男だった。
一般社会では、最もベーシックなカテゴライズである性差すら、曖昧なる空間。
それもそのはずで、そこで女装されいる方々は普段は男性の格好で仕事をしていて、性という境界線をあっちこっち行き来しながら生活しているとのことだった。
女の格好をするだけで、世界が180度違って見えるらしい。
男から見える世界と、女から見える世界と、オカマから見える世界は、同じ風景であっても、全く違った世界だった。
世界が混在し、トランスする場所。
価値観は揺らぎ、常識とか正しさとかのものさしがめきめきと音を立てて軋んでいる。
というか、この空間ではそんなものが存在するのかどうかさえ覚束ない。
大いに盛り上がり、とてもマラソン前日とは思えないほど酒をのみ、そのせいか、価値観が混同しているからか、頭はぐわんぐわんしたまま、午前様で就寝。


二日酔いの残る重い体をのっそりと起こし、そそくさと準備をし、スーツを着て東京都庁に向かう。
スーツでスタート地点向かう僕に、テロを警戒するピリピリムードの警察官はあんぐり。
係員たちからは、「かっこいい」の絶賛の嵐。
ランナーたちは、遠巻きに私の格好をまじまじと眺める。
(走っているときはいいのだが、スタートまでの誰からも声をかけられず、スーツで放置されているのは死ぬほど恥ずかしい)
実は、スーツの上着を着て走るべきかはスタート直前まで悩んだが、一体のガチャピンが目の前を通り過ぎたとき、上着を着る決意を固めた。
着ぐるみという、スーツよりはるかに暑い、灼熱の42.195km走る奴が目の前にいることに勇気付けられたのだ。
ガチャピンにできて、俺にできないわけがないと、気持ちが奮い立った。

紙吹雪の舞う中、スタートの号砲が鳴った。
案の定、スーツのせいで、靖国通りを抜けるころには(わずか3km走っただけ)汗だく。
でも、追い抜くランナーに「カッコいいすね」と声をかけられ、気分は悪くない。※1
着ぐるみというと、多種多様な仮装は、東京マラソンの風物詩となっている。
定番のドラえもんガチャピンから、本格的なサイヤ人(おそらくべジータ)、妖怪ウォッチルパン三世、食パンマン、マイケルジャクソン、ももクロ
子供たちの人気はアニメキャラにかっさらわれたが、(スーツは子供に見向きもされない)大人たちの声援は、マイケルジャクソンに次ぐ人気ぶり。
やはり、応援には感情移入できる対象が必要なのだ。
沿道の人たちは、応援するために、寒い中長時間突っ立ったままという、ある意味ランナー以上の苦行をしている。
スーツを着用するということは、応援対象の最有力候補の1人としてカウントされたということで、俄然応援にも熱が帯びる。
プロ野球と同じ原理だ。
特定のごひいき球団をもたずに、ペナントレース140試合ちかくを観戦する数奇な人はいない。
応援する対象の球団があるから、長丁場のプロ野球を見続けることができる。
だから、仮装するということは、マラソンチャリティが売りの都市型マラソンには欠かせない要素なのだ。
(一方、応援が地に足が着いていない地方マラソンでスーツで走っても、覚めた目で見られるだけで、延々と羞恥プレイが続く)

何回走ろうが、マラソンはいつもつらく、そして心地良い。
都市マラソンを楽しむためには、タイムを追い求めてはいけないことを、奈良・大阪・京都といった都市マラソンを走ったことで学んだ僕は、京都マラソンと同じ、30kmまで体力を温存し、30kmから応援の熱をエネルギーにして、一気に加速するという作戦でレースに挑む。
30kmまでは、放っておいても目立つスーツ姿を応援の目に触れないように、群集にまみれて、身を隠すようにして走る。(スーツ姿で遅くては格好悪いから)
浅草寺を通過した30km付近で、一気にギアチェンジ。
自分の体の奥から、ガチャという音が聞こえる。
伸びきったゴムから放たれたパチンコ玉のように、弾き飛んだ。
文字通り飛ぶように走った。
翼が生えたかのようだった。
沿道からはサラリーマンの大合唱。※2
「サラリーマン、ちょーはえぇぇぇぇ」、「サラリーマン、かっけえぇぇぇ」、「サラリーマン遅刻するなよ」(!?)と驚愕の走りに賞賛の嵐。
そう、サラリーマンのかっこよくあらねばならない。
サラリーマンが憧れとなるような走りをしなければならない。
という一種の使命感を帯びた快走劇となった。※3
たぶんラスト10kmでは一人も抜かされず、何千人というランナーを抜いた。
あの疾走感と、爽快感こそ、都市マラソンの醍醐味。
これが私の都市マラソンの走りの流儀であり、今後もサラリーマンスタイルを貫くことを決意。


東京マラソンを存分に堪能したところで、20時の新幹線まで時間があるので、タイムスリップツアーを再開し、早稲田へ。
大学がロックアウト中という肩透かしにもめげず、疲れた体を癒すために大学近くの銭湯に向かう。
学生時代何度も往復した早稲田通りにある松の湯に初めて入湯。
あのころは当たり前だったものが、いまでは当たり前でないから、かけがいのない、感傷的な気分になるのだろう。
そして、学生時代を過ごした場所というのは、いつまでたっても特別な場所だ。
これから先、何十年後かにこの場所を訪れても、きっと同じような気分になるんだろう。


濃縮された1泊2日を終え、新幹線で京都に向かうと、たぶん疲れきっていたのだろう、深い眠りから目覚めることができず、新幹線を乗り過ごすという、人生で二度目の失態。
(あと5分起きるのが遅かったら、岡山まで行くところだった。)
新幹線の終電時間を終えていたため、心優しいJR西日本の駅員さんのアドバイスに従って、在来線で京都に戻る。
不幸中の幸い。
はからずも帰宅したのは午前様で、2泊3日の旅路となってしまったが、僕の中で大きな地殻変動が始まろうとしている。
閉ざされたドアの向こうにある新しい何かを探す終わりなき旅が始まったのだ。
数日後、卒業を迎える生徒たちに最後のホームルームをするのだが、私自身が異なる価値観に飛び込み、別人になるための終わりなき旅に出発したことを、自分の言葉で伝えたいと思う。
そして、それは君たちが想像しているよりずっと、楽しくて素晴らしいということを。

「人生に必要なもの、それは勇気と想像力と、ほんの少しのお金さ。戦おう、人生そのもののために。生き、苦しみ、楽しむんだ。生きていくことは美しく、素晴らしい」という言葉を添えて。




※1
でも、見かけほどスーツはしんどくない。もちろん革靴で走るわけでもないし、ネクタイを締めてはいるが、その下には、高機能伸縮性のランニングウェアとCW-Xを着用しているし、テーピングまで施しているのだから、昨晩のゲイではないが、人は見た目に惑わされるのだ。
※2
スーツ姿のランナーは思ったより少なく、希少価値が高いので、応援の量も半端ない。
(42km走って、スーツで走っていたのは、僕以外に1人しかいなかった)
※3
ただ、僕はサラリーマンではありませんし、僕の周りのランニングシャツで走っている人たちの8割以上はサラリーマンなのなぁと思ったり、たしかに、驚異的な走りを見せているが、すでにタイムは4時間を回っていることを考えれば、これまでお前は何してたんだという批判があってしかるべきなのになぁと考えたりする冷静な自分もいた。