最後のホームルーム

これから君たちに教師として、最後の話をしたいと思います。
君たちと決別するこの最後のホームルームで何を語ればよいのか1ヶ月ほど前からずっと考えていましたが、一向にアイデアが湧いてきませんし、過去に経験もないので、何を語ればよいのか途方に暮れました。
しかたなく、14年前の自分の卒業式を思い出してみましたが、残念ながら何も覚えていませんでした。
驚くほど何も。
内容はもちろん、その時僕が笑っていたのか、泣いていたのか、あまつさえ担任が誰だったかさえ覚えていないのです。
たぶんその時の僕の気持ちは、4月から始まる東京での新生活でいっぱいだったのでしょう。
(その後、男10人ほどでカラオケにくり出し忸怩たる思いしか残らなかったことは、今となっては良い思い出です)
ということは、これから僕が語ることもきっとみんな忘れてしまうのでしょう。
それは大型補強した巨人が優勝する確率よりはるかに高い確度だと断言できます。
「でも、それでいい」と思えた時、僕は語る決心がつきました。
砂上にあってなお砂上の楼閣を積み重ねる作業、それこそが僕の仕事だから。


この三年間を振り返ると、ため息の連続でした。
やれ授業をサボる、やれ模試にこない、やれ放課後教室がゴミだらけ、やれ生徒指導だ、やれ友達地獄だ、数え上げればきりがありません。
心穏やかに過ごせた日など数えるほどしかありませんでした。
なかでも、一番腹立たしかったのは、最小限の努力で最大限の成果を得ようとするさもしい考え方でした。
限界にぶち当たって初めて人間は成長する。
なのに、君たちは限界のはるか手前で白旗を上げる。
それが一番腹立たしかったのです。
僕たち大人が経済合理性を追求した結果であることは重々承知ですが、それでも君たちにはそんな人間にはなって欲しくありませんでした。
だから、僕はうっとしいくらい、口が酸っぱくなるほど、言い続けました。
でも、君たちは一向に変わりませんでした。
僕が語ったことなど忘れてしまったのでしょう。
それでも僕は語り続けたいと思います。
僕が愚直に語り続けるのは、僕には君たちに言葉しか残すことができないからです。
でも、それこそまさしく僕の仕事なのであり、僕のプロとしての誇りでもあるのです。
鉋が大工の命であるように、僕が言葉を放棄するということは教師としての僕の自殺行為です。
だから、これからプロとしての僕の最後の仕事として、語りたい。
それが僕にできる最後の教育であり、君たちへの最大の贈与だからです。

(コホン)

困難な時代を生きる君たちへ。
3.11以後露わになった、困難な時代を君たちはこれから生きてゆかなければなりません。

その困難さの原因の1つは、グローバル化した世界では努力と報酬の間の相関関係が崩れ、自分の運命を自分でコントールできなくなったことにあります。
世界各国各地域の経済活動が緊密にリンクしてしまったせいで、労働者ひとりひとりの個人的な能力や努力と、その人の市場内在的な流通価値のあいだのリンクが切れてしまいました。
それは、タイの洪水で工場が閉鎖して失業したり、円高の影響で企業が閉鎖したり、財政赤字で給料カットされたり、個人の努力とは無関係に、はるか遠くで会ったこともない人の行為や思惑が僕たちの生活にいきなり死活的な影響をもたらす世界であることを意味します。
理不尽に思えるでしょう。
努力なんてしても無駄だと思うかもしれません。
でもここで僕が言いたいのは、無駄な努力などないということです。
『はじめの一歩』の鴨川会長の言葉を借りれば、「努力した者が全て報われるとは限らない。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる」のです。
先ほどの話にもつながりますが、努力をすることを決してやめないで下さい。
そして、一見何の価値もないと思えるものに努力を注げる愚か者であって下さい。
故スティーヴ・ジョブズのカリグラフィー(書道)の話、タイポグラフィーの美しさというコンセプトをはじめてパソコンに持ち込んだというのは有名な話です。
カリグラフィの授業を受けたという経験がなければ、僕たちはたぶん今でも複数の「フォント」から好きな字体を選んで字を書くということはなかっただろうとジョブズは言ってます。
これはジョブズに限った話ではありません。
学校中にポスターが貼ってありますが、これは業者が作ったものではなく、僕がつくったものばかりです。
昔、広告に興味があってかたっぱしから広告を研究し、デザインや構図のアウトラインは頭にたたき込みました。
そして、以前勤めた会社でパワーポイントを自在に操作できるようになりました。
学生時代から年間100冊以上の本を読み続けています。(つまり、1500冊以上の本を読んでいるということです)
これらのコラボレーションから生まれたのがこのポスターです。
いずれも教師には必要のないスキルだと一蹴することもできたものばかりです。
もちろん当時は、それらがいずれ何かの役に立つとは考えもしませんでした。
将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。
できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。
だから、僕たちはいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかありません。
そしてつながるのです。
今僕が京都で教師をしているのも、あらかじめ決まっていたものではありません。
点と点がつなぎ合わさったからです。
しかし、その点がなければつなぎあわせることはできません。
ただし、その点を刻むことができるのは努力だけです。
だから、君たちは決して努力をやめないで欲しい、そしてさもしくなく真摯に努力して欲しいと強く願うのです。


原因の2つ目は、社会から大きな物語がなくなり、自分で生きる意味を探さなければならなくなったことです。
村上春樹大きな物語とそれ以後の時代について、次のように述べています。

「1969年にはまだ世界は単純だった。機動隊員に石を投げるというだけのことで、ある場合には人は自己表明を果たすことができた。現在は、隅から隅まで網が張られている。網のそとにはまた別の網がある。何処にもいけない。石を投げれば、それはワープして自分のところに戻ってくる」

このように、かつてはイデオロギーによって国家が国民の生を意味づけることができました。
だから、「富国強兵」、「鬼畜米兵」、「一億総中流」という大きな物語が人口に膾炙したのです。
しかし、現代ではそれはほぼ不可能に近い。
ご存じの通り、まじめに受験勉強をして、いい大学を出て、一流企業に就職したり資格や免状を手にすれば、幸せになれるという人生設計どおりにはいかない世の中になりました。
現代は、等身大の生活世界における人間関係において承認を獲得することなしに、アイデンティティを確立することは困難になりました。
つまり、自分自身で自分の生を意味づけなければならない時代なのです。
物語のスケールが「大きい」か「小さい」かということは、どちらがより重要かということを意味しません。
何が違うのかというと、語り手である「わたし」の位置取りが違うということなのです。
「大きい」物語では、「わたし」はただ背景のひとつとして視野のどこかに現れるにすぎません。
そこでは「わたし」の願望や、意思というものはほとんど問題にはなりません。
しかし、「小さい」物語を紡ぐには、必ず「わたし」がその物語を引き受け、どのように行動し、どこまで責任を負うのかということが重要になります。
ソーシャルネットワークが隆盛を極める現状もこのことと無関係ではありません。
一人一人の小さな物語は、ソーシャルネットワークの例をだすまでもなく、人や社会との関係性がきわめて重要な役割を果たします。
主人公がたった一人だけで進めるゲームなどおもしろくも何ともないように、敵がいたり、仲間がいたり、イベントがあったり、九死に一生を得る経験をするからゲームに彩りが生まれるのです。
だから、君たちには金科玉条として「冒険をすべし」、「出会いを大切にすべし」を持ってほしいと思います。
冒険には、当然危険が伴います。
絶望的なまでの孤独、異邦人に対する奇異のまなざし、暴力・詐欺・病気などの身体的危機、理不尽な世界に、自分の価値観などはアッという間に崩壊してしまうでしょう。
しかし、人間は生存危機に瀕すると、まるで死の淵から蘇ったサイヤ人のように驚くべき力を発揮します。
僕自身、インドやロシアから帰ったとき、まるで超サイヤ人のような気分になりました。
それがあなた自身の物語の貴重なワンピースになるとともに、物語を紡ぐ求心力にもなります。
もちろん、冒険に出会いは付きものです。
それに加えて日常の中にあるありふれた出会いも大切にしてください。
1本の映画が人生を変えてしまうかもしれない。
目の前にいる奇抜な青年が、一生の友となるかもしれない。
絶望の淵に救いの手をさしのべる言葉があるかもしれない。
僕自身、多くの出会いに導かれて、今この場所にいます、今の自分があります。
君たちも飾らずにその言葉が言えたとき、それはもう立派な物語となっています。
つまり、生きる意味を手にしたということです。
君たちが“真”に旅立つ時を心待ちにしています。


そして、最後の困難さの原因は、右肩上がりの時代が終わってしまったということです。
これから、右肩下がりの時代が待ちかまえている、というよりもう始まっているやもしれません。
つまり、今以上に豊かな生活はもう望めないということです。
そういう時代に君たちはどう生きればいいのでしょう。
僕に言えるのは一つだけです。
どんな学問や仕事を選ぶにしても「努力することそれ自体が楽しい」ことを基準にして下さい。
日々の努力そのものが幸福な気分をもたらすなら、多少給料が少なくてもいいじゃないですか。
僕自身も守銭奴のような生活を送ったサラリーマン時代とは打って変わって、教師生活では給料をほとんど気にしなくなりました。
今の僕より10年ほど前の若造の頃の給料の方が多かったにもかかわらず。
君たちはそのことがいつも疑問だったでしょう。
なぜ、給料の多い有名企業を辞めて、きつくて給料の少ない教師などをやっているのかと。
その答えはもう分かりましたね。

自分の仕事を愛してやまないからこそ、前進し続けられるのです。
君たちも大好きなことを見つけてください。
仕事でも恋愛でも同じです。
仕事は人生の一大事です。
やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。
そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。
好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。
決して立ち止まってはいけない。
本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。
すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。
だから、探し続けてください。
絶対に、立ち尽くしてはいけません。

君たちも「それが何の役に立つのかわからないけれど、どうしてもやりたい、やっていると楽しい」ことをみつけてください。
そうすれば、「努力したけれど報われなかった」という言葉だけは口にしないで済むはずです。



この三つの話の意味を理解し、自分のものにできたとき、君たちは困難な時代を愉快に生きていけるでしょう。
なぜなら、それは僕がいつも言っている信頼と習慣を手に入れた大人になることと同義だからです。
でも、途中苦しくなることは何度もあるでしょう。
そんなときは、一歩違う世界に移ってみて下さい。
すると、一体あの時自分が何で悩んでいのか馬鹿らしくなることすらあります。
自分が全てだと思っている世界は想像より狭いんです。
人は思い込む生き物です。
そして苦しくなると視野が狭くなり、今生きている範囲の中で手詰まりになるともう終わりだと思ってしまう。
でも、一呼吸置けば大丈夫です。
自分にしかできない仕事がある、そのことに関しては決してあきらめないで下さい。


長くなりましたが、教師として最後の仕事をようやく終えることができました。
これから先は、教師としてではなく、ひとりの人間として君たちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。
そして、胸を張って「大人になれた」と言えた時、また会いに来て下さい。
でもそれは、もう僕の仕事ではありません。
三年間担任をした僕のささやかな望みです。
三年間ありがとうございました。(泣いてません)


ただ、野球やフットサルの人数が足りないときは気軽に声をかけて下さい。
三年間本当にありがとう。