今日で君たちの前で授業するのも最後となりました。
最終講義などと仰々しい表題を掲げてみましたが、一度使ってみたかっただけです。
私から君たちに贈るささやかなエールだと思って聞いて下さい。
日本(世界)はこれからどのような道を歩むのか?
すでに始業式の講話※1で、少子高齢化をキーワードに国力の低下と人生100年時代については説明しましたが、今日は一応日本史の授業中なので、歴史を切り口にアプローチしていきましょう。
未来学者の、そんな職業があるんですね、驚きです。
それはともかく、その未来学者のアルビン・トフラーの理論をあてはめると、人類の歴史は農業革命、産業革命、情報革命という3つの大きな社会構造革命によって特徴づけることができます。
歴史学では、古代→中世→近世→近代→現代にセグメント化するのが定説なのに対して、トフラーはたった3つの革命で説明したのだからとても大胆ですが、それゆえに核心的と言えます。
革命とラベリングしただけあって、革命以前と以後では、世界そのものが一変しました。※2
つまり、革命によって社会のコードが塗り替えられるのです。
分かりやすくするために板書しながら説明していきましょう。
農業革命を規定するコードは農本主義とよばれ、農業が主要産業となるので当然土地をどれだけ持っているかが権力となります。
日本史で言うところの縄文時代から弥生時代にかけて起きた転換がそれに該当します。
次に、産業革命によって資本主義が始まると、お金が権力の源になります。
明治維新というより、厳密には江戸時代のペリー来航が日本史における転換期と言えるでしょう。
ラストの情報革命は、なうです。
つまり、君たちは革命の真っ只中にいるということになります。
それは、私の感覚では1995年から始まりました。
1995年に何があったかというというと、すぐに思い出すのは阪神大震災と地下鉄サリン事件でしょう。
この2つの事件によって国家が描く大きな物語が社会から瓦解していきました。
しかし、忘れてはいけないのは、Windows95が発売された年でもあるということです。
Windows95によって、コンピュータを個人が所有する時代が始まり、コンピュータの普及はインターネットの発展を促しました。
インターネットの出現によってもたらされた情報革命によって、情報そのものに価値があることが初めて認識されるようになりました。
それが知識主義です。
ところがそれも長くは続きませんでした。
情報そのものの希少性が失われていくにつれて、感性主義という共感ベースのコミュニケーションの価値が高まっていったのです。
その時代の波に乗ったというか、その時代を切り開いたのが、GAFAです。
Google・Apple・Facebook・Amazonのことですね。
現代において、これらの企業とまったく関わりをもたずに生活している人は、おそらくほとんどいないでしょう。
そこではフォロー数やいいね!に表象されるエンゲージメント※3が価値をもちます。
有名なところでいうと、キングコングの西野やホリエモンなんかが、そのような生き方を体現しているといえます。
彼らはよく「お金に興味はない」と発言していますが、正確にはお金より信用の方が価値がある時代だと言っているのです。
ここまで説明せずとも、お金だけで価値が決まる時代ではないことは、スマホ世代の君たちの方が強く実感していることだと思います。
問題なのは大人の方です。
洗濯機や冷蔵庫のない世界など想像できないように、我々は、もう産業革命以前の世界には戻れません。
同じことが情報革命にも言えます。
しかし、大多数の大人たちは、この変革をいまいち理解できていません。
理解できないだけならましなのですが、彼らは既得権益を握り、離そうとしません。
そして、まるで変化などなかったかのように振る舞います。
あるいは取るに足らないことだと無視することもあります。
変化を拒むということは、チョンマゲで街を歩くことと大差ありません。
時代遅れもいいとこです。
人口減少という局面にもかかわず、いまだに経済成長モデルから脱却できないのがいい例です。
そのため若者たちが社会に出たとしても、本来ならば社会を変えるために使われるはずのエネルギーが、変わるべきはずの古い社会に適合するために無駄遣いされています。
だからいつまでたっても社会がアップデートされない。
そんな大人たちに業を煮やし、最終手段として改元という名の強制シャットダウンを行おうしているのではないかと邪推したほどです。
元号は世の中が変わったことを集団的に合意するための伝統的な装置として非常に有効なツールです。
今このタイミングで元号を変えるということは、「時代は変わった、価値観も変えないとだめだ」というメッセージに他なりません。
そこまでしないと、大人の目は覚めないのです。※4
だから、君たちは「いい子ちゃんをやめろ」。
いい子ちゃんとは、先生にとって、大人にとって都合の良い生徒です。
右向け右と言われたら、きちんと右を向くことしかできないように鍛えるのが未だに教育の前提となっています。
管理するためです。
君たちはとても礼儀正しい。
身だしなみも完璧だし、気持ちの良い挨拶もできる。
半面、大人に忖度して自分たちの気持ちを押し殺すのが日常茶飯事になっていませんか。
私の目には、大人の言うことに疑問をもちながらも抵抗もせず、望んで管理されようとしているように見えます。
それはまるで、ピイピイと口を開けて、親鳥が餌を運んでくれるのを待つひな鳥のようでした。
その方が楽なのでしょう。
しかし、先ほど申したとおり、大人たちが描く未来はもはや時代遅れなのです。
大人が管理する未来は明るくありません。
そこはレッドオーシャンです。
私も管理の一端を担っていたので心苦しくもありますが、情報革命後の世界では指示されたことしかできない人間は必要なくなります。
そうした人材はコモディティ化し、AIとロボティクスの進化により、代替されていくからです。
AI脅威論が流布していますが、AIとはつまるところ、指示されたことしかできないダメ社員にすぎません。
おそるに足りません。
ただし、指示されたことに対しては極めて優秀です。
だったら、同じ指示されたことしかできないダメ社員ならコストの安いAIに分があります。
従順であることにもはや価値などありません。
先日、就職活動をしている卒業生とバッタリ会いました。
そこでどんな会社に就職したらよいか尋ねられたので、受け売りですが※5、こう答えました。
「ママの知らない会社に入社しなさい。」
今知っている有名な会社は、ピークアウトします。
1950年代に製鉄で働いていた人たちはいまどうなっているか。
1960年代に重工業系に携わっていた人たちはどうなっているか。
20年前GAFAは無名に近い存在でした。
それが今では4社の時価総額は合計で3兆ドルを超え、GDP世界4位のドイツと肩を並べるほどになりました。
たとえママが知っている会社であったとしても、中身はもはや別物です。
今年の正月に掲載された2つの新聞広告をみてください。
日本を代表するナショナルカンパニーであるトヨタとPanasonicの広告です。
トヨタはクルマをつくる会社ではなく、モビリティ・カンパニーになるとあらためて強調しています。
Panasonicももはや家電の会社ではなく、「くらしを、世界をアップデート」する会社と再定義されています。
君たちは、世界観・自分観・人生観そのどれをとっても、親の世代とは決定的に異なる人生を歩むのです。
親をないがしろにする気は毛頭ありませんが、親を喜ばせるために生きているのではありません。
君たちは、君たちの人生を自分でデザインして生きていかねばなりません。
親世代のようなレールはどこにもありません。
あなたの人生はあなたが決めるのです。
親から「あんたのことはよう分からん」と言われるようになったら一人前です。
それは勲章のようなものです。
私は、その勲章は遊ぶことによってしか手に入らないものだと考えています。
もちろん勉強を否定しているわけではありません。
遊びとは、他に目的を持たない行為であって、人によっては勉強もそこに含まれるでしょう。
あとさき考えず、何かをしてみて、未知の心の動きを味わう。
それが遊ぶということ。
経済合理性で測ることはできないものです。
ただそのことがおもしろいというものを見つけ、世界や日本を舞台にして遊んで欲しい。
そこで出会ったモノや人や体験は、きっと君たちの人生をデザインする時に役に立つはずです。
最後に、変化を恐れてはいけません。
変化を楽しんでください。
君たちのわくわくする気持ちを大切にしてください。
2年間ありがとうございました。
※1「学校改革推進部長(ソーシャルデザインラボ所長)講話2019」参照
※2この理論のさらにおもしろいところは、それぞれの革命によってライフスタイルは一変し、再定義されるということです。コミュニティとなる人の拠り所は、農業革命→産業革命→情報革命と連動して、ムラ→会社(組織)→ネットへと移行していきました。当然家族形態にも影響は及び、イエ→核家族→シェアハウスへと変態しています。さらに驚いたのが性の変遷です。先日『ボヘミアン・ラプソディー』という映画を見たのですが、感動的な余韻に浸っているときに、ふとあることが気になりました。最近やけにLGBTをテーマにした映画が多いなということです。そう、LGBTも情報革命の賜物だったのです。このように、革命以前・以後では家庭・仕事・余暇などもすべてが再定義されていくのです。
※3SNSにおけるエンゲージメントはファンやフォロワー、コンテンツを見た人との「つながり」や「絆」をあらわす
※4昭和から平成にかけて行われた強制シャットダウンでは、大人はバブルという夢から目をさますことはなかった。
※5元・グーグルの村上憲郎の言葉。出典は『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?』日野田直彦