僕が僕であるためのマネジメント論

進路部長をやることになりました。
8名と小さいながらも、長であることには変わりありません。
一昨年の学年部長とは全然違ったプレッシャーがありますが、ただ楽しみでもあります。
そのポジションでしかできない仕事があるからです。
期待半分不安半分といったところですが、久しぶりのチャレンジにワクワクしています。
その楽しみの1つが、組織デザインの再設計という仕事で、これは部長でなければできない仕事の典型です。※1
昨年は、進路副部長という立場上、部長を慮って組織運営にはほとんど口出ししませんでした。
上司を立てるよう配慮するという、いわゆる御輿をかつぐことで部下の心得を遵守していたつもりです。※2
こう見えて、僕も立場というものを考慮して振舞えるようになったみたいです。※3
ですが、ただ太鼓もちしていたわけではありません。
仮想部長として虎視眈々とアイデアをしたためていました。
僕もこれほどの大役に何の準備もせずに臨むほど勇敢ではありません。


教師という職に就いて一番驚いたのは、ハンドメイドな組織です。
サラリーマン時代は大企業というのもあって、システムが細分化され、組織が誰によって運営されているのか、ルールがどのように生まれたのか、全貌を全く窺い知ることができませんでした。※4
システムは強固で冷たく得体の知れないもので、従業員がシステムに接触するには、手続きという手順を踏むことを義務付けられていました。
しかし、学校という組織は、ほぼ100%現場の教員によってシステムが構築されています。
大げさに言えば、学校は教員の善意によってかろうじて成立している、フラジャイルな組織です。
学校の開門閉門に始まり、空調管理も、ルールも、行事も、インフラからソフトまでほぼ100%現場の教員が担っています。
私の場合、教員になって初めてやった仕事が、校内のIT環境の整備で、LANをひくために机の下を這い回り、サラリーマン時代に触ったこともないサーバーを管理していました。
現場の教員が管理を怠れば、いともたやすく瓦解するシステムであることに関しては、僕が生き証人です。
しかし、逆をいえば、熱可塑性がきわめて高く、教員の熱意1つで組織は如何様にも変えることができるのです。
現に、僕がこの高校に赴任してからこの4年間で、職員室環境や学校行事、生徒指導のルールなど劇的に変わりました。

もちろん、教員を志望したくらいですから、最初から分掌業務といわれる組織運営に熱を上げる者は皆無です。
その熱は、最初は目の前の授業や生徒に向けられます。
僕自身も授業準備ばかりして、分掌業務をおろそかにしないよう注意されていました。
その頃は、教員は授業が全てと思って、反発したものです。
誰かの善意のシステムで授業ができていたことに気づこうともしませんでした。
しかし、『教えること』でも指摘したように、年を重ねるうちに、後輩ができます。
誰かが、善意のシステムをマネージメントしないといけない。
その誰かのお鉢が僕に回ってきたのです。
しかし、ものは考えようです。
僕1人では200人程度の生徒にしか関わることができませんが、単純計算で教員10人いれば2000人の生徒と関わることができるのです。
どちらが子どもたちにとって幸せか。
低い確率で僕と出会うのと、高い確率で人畜無害な教員と無為な時間を過ごすのと。
答えは考えるまでもありません。
前者の確率をあげればよいのです。
そのために僕は、組織的なアプローチを選んだし、そうなることを求められました。
最大多数の最大幸福を選んだといえば、カッコつけすぎでしょうか。


組織には、2通りの人間がいます。
制度の中で慎ましく生きることを美徳と考える人間と制度を超えるものと出会うことを美徳と考える人間です。
僕はその後者の方です。
与えられた仕事を完璧にこなすより、仕事を自ら創りだす方に喜びを感じる性分であることを、自覚できる歳にもなりましたが、部長という仕事は決められた仕事をミスなくこなすことが大前提にあります。
というのも、学校という惰性を帯びた組織では、制度を超えることを美徳としない文化が強くあるからです。

つい先日、5年前から参戦している「いす1グランプリ」※5が開催されましたが、そこで初めて教え子と直接対決が実現しました。※6
戦いが終わると、教え子は僕の方へ歩み寄り、「先生のおかげで馬鹿になれました」と言った。
その目にはうっすらと涙が浮かんでいました。
教師冥利に尽きるとはこのことです。
僕は授業がしたくて教師になったわけではなく、人間を育てたかったんだと、教師としての原点を思い出すと同時に、僕自身の生き方も思い出しました。
僕は、授業で生徒に先入観にとらわれず、自らの可能性に挑戦するよう伝えてきました。
スティーブ・ジョブスよろしく「馬鹿であれ、ハングリーであれ」と。
そのためには、教師自身が努力し続けなければならないので、僕も挑戦し続けてきました。
その1つが、この「いす1グランプリ」です。

リーダーになったからといって、自分の生き方を変える必要はない。
組織を運営することばかりにとらわれて、制度の中で慎ましく生きることを美徳と考える人間になってはいけない。
小さくまとまってはいけない。
現状維持は後退である。
教え子が、馬鹿であることの大切さを教えてくれました。
これからも遊び心を持って教師という仕事、部長という仕事を続けていく決意ができました。
遊び心がなければ、いまいる窮屈な世界からは、なかなか飛び出すことができません。
学校では教師が真面目すぎるからうまくいかないことがいっぱいあります。
常識に縛られない、遊び心のある教師も必要なのです。
遊びを知らない教師は、ほころびがあってはならないという狭い感覚で仕事をしがちです。
規範から逸脱した上司のもとでは、部下もちょっとだけ規範から逸脱します。
学校という組織を変えていくには、遊び心のある部長が必要なのです。

そして、そもそも仕事とは楽しいものです。
僕たちが生真面目に、難しく考えすぎて、楽しくなくなってしまっているのかもしれません。
教師が楽しい学校が、生徒にとって楽しくないわけがありません。
僕たちはもっと真面目にふざけてもいい。
ふざけることに真摯になればなるほど、いまいる構図は無意味化する。
学校的リアリズムに埋没しない、そんな組織でありたい。
そうすれば、熱狂的なスタッフが自然と集まってくる。
担任ではなく、進路指導部で働いてみたいと思える人が増えれば、最大多数の最大幸福の原理によって、僕は自己増殖され、組織は活性化する。
壮大な野望の第一歩が始まった。


※1部長であっても、前例主義が蔓延していて、新しいことに挑戦する人はあまりいません。単純に仕事が増えるのも原因でしょうが・・・
※2当然部下の心得があるように、上司の心得もあります。
※3サラリーマン時代に、社長にダメだしをするという越権行為をしたとは思えぬほどです。
※4僕の能力も原因でしょうが・・・
※5『いす−1GP』参照
※6直接対決は互いに一歩も譲らず、周回数109周で引き分けに終わりました。