母校

約5年ぶりに早稲田に帰った。

東京という街は、僕がいた頃に拍車をかけて記号化がすすみ、
記号を身にまとい、記号的な言語が飛び交い、記号が街中に付着していた。
(東京から来た教え子と全く同じ言語運用する25歳の青年がカフェの隣に座って、たいそう驚いたと同時に気味悪かった)
ここでは、貨幣は王様で、消費がコミュニケーションです。

はるか昔には、
早稲田という街には田んぼしかなかった。
高田馬場には、馬が走っていた。
しかし、その名残はもう地名にしか残っていない。
ここも、貨幣こそが支配者であることにかわりはありません。
しかし、その場にありながら、
母校だけサムシングスペシャルなものとして際立った存在感を放っていた。
この場は、言語化や、数値化できないものに守護されている、まさに、聖域なのです。


おそらく、ここでは無為な時間を過ごすことができるからでしょう。
やることがないから、とりあえず図書館にいくだとか、
カフェテリアで知り合いが通りかかるのを待つだとか、
お茶だけで何時間も馬鹿話を続けるだとか、
掲示板を端から端まで目を通すなど、
目的もなく、無為な時間をキャンパスの中で過ごすしても誰にも咎められません。
まるで、結界でも張り巡らされているのかと錯覚してしまうほどはっきりと、
大学の中は外の世間と違う時間が流れています。


そして、今もそこに「わけのわからない人たち」がいて、
その「わけのわからない人」にひっかき回されている人がいて、
いつの間にか「わけのわからない人」になってしまう場所でもあります。

社会に出ると、「合理的に生きる技術」を教え込まれ、
ものすごいスピードでそれを吸収しましたが、
「何が何でも生き延びる技術」は教えられませんでした。

幸いにも私は、「全力を尽くさなければ生き延びることができない状況」があるということをその「わけのわからない人」たちに教えられました。
そして、自分が「わけのわからない人」になっていく過程で、
「全力を尽くさなければ生き延びることができない状況」に自ら身を投じていくようになったのです。


そんな場所は、日本でそこしかありません。(私にとって)
自分を武装解除し、自分が無知、無垢、無防備であるという状態を許容してくれる一方、この知識や技術や経験を欠くことが自分の生存に深刻な危険をもたらすだろうと先駆的に確信させ、野性的な学びを起動させる。
早稲田は私にとってそういう場所でした。


私は早稲田大学立命館大学の2校を卒業しているのですが、
費用対効果で測定するならば、
立命館大学では、早稲田よりはるかに高い学術的パフォーマンスを発揮し、
特待生としてより安い費用で学ぶことができ、数値的にみれば、立命館大学の方が良い大学のはずです。
しかし、それは、入学前から予見できた未来の自分の姿でした。
つまり、入学前と卒業後で使用している尺度が同じなのです。

ところが、早稲田大学では、大したとりえもない普通の学生でしたが、
卒業後の自分の姿を想像だにできませんでした。
帰省する度に、母が、「おまえのことはようわからん」と言う回数が増えていったことに象徴されるように、そこで、脱皮し、別人となったのです。



人はそういう特別な時間を過ごした場所を母校と呼ぶのです。
そして、5年ぶりだろうが、母校はいつまで経っても母校です。
やっぱりいいな、母校って。