追悼橋本治

師匠が亡くなった。
師匠と言っても僕が勝手にそう呼んでいるだけで、当人はご存知ない(はず)。
そんな一度もお会いしたことはない方をどうして師匠と呼ぶに至ったのか、それはすこしややこしい話になる。
けれど、ややこしい話は師匠の十八番だったので、弔いにはうってつけに違いない。
追悼の意を込めて、このブログを捧げたい。

僕が橋本治という名を初めて知ったのは、忘れもしない、今から約20年ほど前。
なぜそんなことを覚えているかというと、大学に入学して初めて購入した本が『貧乏は正しい』だったからだ。※1

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大学の生協に平積みされたあまたある文庫本のなかでも、ひと際目を引くそのタイトルに惹かれてジェケ買いした。
バブルの残り香が漂う時代にあって、「若い男は、本質的に貧乏である」という一文から始まる本書は明らかに異彩を放っていた。
僕にとっては、貧乏であることを肯定してくれた唯一の理解者であった。
ただ正直その時は内容をあまり理解できなくて、一読して、そのまま本棚に放置しておいた。
捨てなかったのは、タイトルがカッコよく、本棚がばえた(映えた)からだ。

本当の意味での出会いは就職活動の時だった。
就活というビッグイベントにのぼせていた僕は御多分に漏れず、就活ゲームの頂点に君臨する電〇だの、博〇堂といった広告会社を、大してよくも知りもしないのに志望した。
ただどうやらそれなりに本気だったらしく、業界研究の一環として月刊誌『広告批評』という、明らかにその筋の人しか読んでいなさそうなマニアックな雑誌を3年生の冬休みくらいから購読しはじめた。
広告業界との縁はあっけなく就職活動が始まってすぐに切れてしまったが、『広告批評』との付き合いだけは廃刊する※2まで続いた。
その『広告批評』で「ああでもなくこうでもなく」という時評を論じていたのが、橋本治だった。
もちろん『広告批評』という雑誌そのものも面白かった。
そうでなければ購読し続けなかっただろうし、バックナンバーを集めたりもしなかっただろう。
だが、私の購買意欲を掻き立てたのは「ああでもなくこうでもなく」に負うところが大きかった。
テレビなどで論じられる時評にはない”何か”があった。
コメンテーターが御託を並べることができるのは、僕らがアクセスできないような情報(たとえばワシントン筋の話だとか、中国の裏事情など)を入手しているからで、それは単なる物知りに過ぎない。
しかし、橋本治は僕らとほとんど同じくらいの情報量しか持たずに、いやそれどころかスポーツ新聞の情報だけを頼りに、同時代の出来事を論じていた。
いつも「わからない、わからない」といいながら、いつの間にか真理に到達している。
それが知性とよばれるものであることに気づくのはのちのことであるが、これこそ僕がずっと探し求めていたものだということだけは一目でわかった。
それから手に入る限りの橋本治の本を読み漁った。
学生時代『貧乏は正しい』たった1冊だった橋本治の書籍は、今では下の写真のような有り様だ。

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橋本治フリークっぷりは世界でも10本の指に入るのではないとかという自負がある。※3
数えてみたところ本棚には113冊※4の橋本治本があった。
113冊も所有している僕も僕でどうにかしているが、それ以上の本を世に出していることの方が驚異的だ。※5
ジャンルは多岐にわたる。
「ああでもなくこうでもなく」のような時評や本業の小説以外にも、古典の現代語訳である『双調平家物語』『窯変源氏物語』『桃尻語訳枕草子』や『三島由紀夫とはなにものだったのか』『小林秀雄の恵み』などの評論といったアカデミズムの王道を進むかと思いきや、
『男の編み物』というセーターの本や恋愛論、イラストなどジャンルが多岐にわたるというより、ジャンルという概念そのものがない。
歴史学・文学・宗教学・経営(組織)学・経済学・社会学・美術史まだまだ他にもありそうだが、学問の枠組を超越し、人文科学そのものを体現した、まさに知の巨人である。

大いなる知性の持ち主である橋本治と同じ時代に生きられたことに感謝しかない。
こういう人が同時代にいるというのは、本当に幸福なことだと思った。
そのことを誰かに告げたかったが、まわりには誰もそれを言う相手がいなかった。
いなかったし、言ったとしても本当に不思議なことに、橋本治の偉大さを共有できた体験は数えるほどしかなかった。
だから、僕と橋本治は常にマンツーマンの関係だった。
今思い返すと、とても楽しい個人レッスンに思えてきた。

社会人になると不真面目な学生時代の反動で、世の中のことを知りたいという好奇心を抑えきれなくなった。
世界の成り立ちについてもっと知りたい、何で世の中にはこんな仕組みになっているのか、どうして人間はこんなふるまいをするのか、それを理解したい。
でも、自分にはまだわからない、だから知りたい。
そういう自分自身の無知と無力さに対する不全感の塊のような状態だった。
しかも、何から学べばよいのかわからない。
誰から教えてもらえばよいのかもわからない。
会社と家を往復しているだけの生活の中でいくら周りを見渡しても師匠と言えるべき人はどこにも見当たらなかった。
だから、独学で学び始めることにした、いや、学ぶしかなかった。
まずは、なぜか宗教のことを知りたいと思った。
そのころは、インターネットビジネスだの株だのが流行した当時で、「宗教のことを勉強してなんの役に立つんだ」と直接誰かから言われたわけじゃないが、そういう冷ややかな視線にさらされていたことだけは覚えている。
お金も嫌いじゃないが、直感的に宗教のことを理解する必要があると感じた、そうとしか言いようがない。
あえて理由をあげれば、高校時代に見聞きしたオウム真理教が影を落としていたのだろう。
それに、僕たちはすでに2001年9月11日以後の世界を生きていた。
だが、この時の直感は今でも正しかったと思う。
スティーブ・ジョブズが言うように、「あなたの心と直感は、あなたが本当は何になりたいかを知っている(they somehow know what you truely want to become)」のである。
宗教を理解するにあたって、無数にある宗教本のなかから僕が選んだのは偶然にも『宗教なんてこわくない!』だった。
橋本治宗教学者でもないし、『宗教なんてこわくない!』はベストセラーでもない。
でも、なぜか手元には『宗教なんてこわくない!』があった。
本当に不思議なことである。
内田樹は「本当に強い不全感を持っている子供は必ず「この人について行けば大丈夫」、この人なら、本当に自分が何をしたいかを教えてくれるという直感が働きます。」と言っているが、まさにその通りでした。
ここから私と橋本治の関係性は変わった。
恋に夢中になったときは『ぼくらのSEX』※6を読み、会社内で不条理を感じた時は『上司は思いつきでものを言う』を読んで溜飲を下げた。
歴史を生業とすると決めた時に出会ったのが『江戸にフランス革命を!』で、『窯変源氏物語』は挫折したけれど、『双調平家物語』を全巻読破することで歴史的思考力が磨かれた。
ミスターチルドレンの『1999年、夏、沖縄』じゃないが、「平和とは自由とは何か、国家とは家族とは何か」なんてことを考えるときもすぐそばにいてくれた。
このころの僕の読書ノートは1冊まるまるほぼほぼ橋本治で埋め尽くされている。
会社の社員寮の誰もいない食堂で消灯になるまでノートに一心不乱に書き続けた。
それを不憫に思った寮長が部屋用にテーブルをくれたのはいい思い出だ。
全然勉強しなかった学生時代が嘘のように、寸暇を惜しんで橋本治まるごと、つまり、文体はもちろん思考そのものをインストールしようと激しく勉強した。※7
単位がもらえるわけでも、給料が増えるわけでもないし、資格を手に入れられるわけでもない。
学ぶことに理由なんていらなかった。
なんだか分からないけど、「これがやりたい。これを学びたい。この人についてゆきたい。」と思ってしまったのだ。※8
こうしていつのまにか橋本治は師匠のような存在となった。※9

足かけ10年も続くこのブログのタイトルをああでもなくこうでもなくとしたのも、もちろん師匠へのオマージュが込められています。
今回の訃報を受けて、あたらめて著作の一部を読み返してみましたが、驚いたことにそこに自分がいました。
今の自分のマインドセットやワーディング、思考そのすべてがそこにありました。
僕自身を語るにあたって、いまや橋本治を抜きには語られないほど大きな存在となっていることに、改めて気づかされました。
教育の効果は事後的にしか分からないとは、まさにこのことでした。


ありがとうございました。
教育の意味を言葉にできるぐらいには成長できました。
僕も誰かにとっての橋本治になれるよう知性を追い求めていきます。
安らかにおやすみください。

 

※1嘘のような本当の話で、我ながら自分の学びセンサーの感度はあなどれない。ただ『貧乏は正しい』というタイトルは、高度消費社会のただなかに取り残された金ももたずアイデンティティも確立できていない苦学生の僕を肯定するのにぴったりの言葉だった。
※2このときの喪失感も大きなものだった。
※3書籍化されてない雑誌の投稿も、大学の書庫をひっくり返して探し出すほどハマった時期もあった。
※4もちろん出版された本を全て持っているわけではないので、おそらく著作は200冊はくだらないと思う。
※5橋本治も言っているが、知性には体力が必要だ。
※6この本はカバーをせずに持ち歩くのが恥ずかしかったけれど、肌身離さず持ち歩いた思い出深い本だった。
※7昼休みが始まると、一目散に一人で公園にいって、ひたすら橋本治を読んでいたことを思い出す。
※8その知性を手に入れたい(間近で見てみたい)と本気考え、サラリーマンを辞めた頃、一度本気で助手になれないか思案したほどだ。
※9内田樹も、「書物を読んで、「あ、この人を師匠と呼ぼう」と思って、会ったことのない人を「師」に見立てることも可能です(だから、会っても言葉が通じない外国の人だって、亡くなった人だって、「師」にしていいのです)。」と言っているが、まさにその通りです。