最後のホームルーム2

これから君たちに教師として、最後の話をしたいと思います。
幸運なことに、私はこのような人生の門出の日に話をするのは、2回目です。
前回はちょうど3年前に、前任校で3年間担任した生徒に話をしました。
今回も同じく3年間担任した君たちに話ができることをとても光栄に思います。
というのも、後で述べますが、これこそ教師の醍醐味であって、私にしかできない仕事だからです。

ですが、正直に白状すると、3年前もそうでしたが、君たちと決別するこの最後のホームルームで何を語ればよいのか1ヶ月ほど前からずっと考えていましたが、伝えたいことがありすぎて何を語ればよいのやら、ズルズルと今日という日を迎えてしまいました。


しかたなく、もう一度17年前の自分の卒業式を思い出してみましたが、当たり前ながら何も覚えていませんでした。
3年前にも同じ作業をして、思い出せなかったのだから、当然の結果です。
ですが、思い出したことが1つあります。
それは、私の進路が決定した時、恩師から2冊の本を手渡されたことです。
1冊は『深夜特急』です。
今思えば、僕の人生に大きな影響を与えた本ですが、その当時の読後感として、ワクワクしたのは覚えているのですが(マカオのギャンブルの件は特に)、僕の人生とは関係のない、誰かの物語でしかありませんでした。
まさか、自分が同じようにバックパッカーになろうとはそのころの僕は夢にも思いませんでした。
もう1冊はタイトルを思い出すことができないのですが、在日朝鮮人のノンフィクションのような本でした。
当時もそうでしたが、いまだになぜ、そのような本を私に渡したのか、今の自分の人格形成にどのように関与しているのか、いくら内省しても答えがでません。
おそらく、きっと(今教師をしている立場から好意的に解釈をすると)「答えのない問いを持ち続けなさい」というお茶目な恩師の意地悪なメッセージだったのでしょう。

これから私が語ることは、17年前の私のようにきっとみんな忘れてしまうでしょう。
でも、そのことに悲観しているわけではありません。
むしろ楽観しています。
今は理解できずとも、「いずれこれがわかる人間にならなければならない」という有責感が根付く言葉を残せばいいからです。
コンスタティブ(事実確認的)な言葉ではなく、パフォーマティブ(行為遂行的)な言葉を語ることで、その言葉は体内に異物となって沈殿し、僕が旅に出たように、僕が自問自答し続けたように、いつか意味を帯びるかもしれない。
いや、きっと意味が生まれるでしょう。

そう考えた時、僕が語るべきものが見つかりました。
だから、これからプロとしての僕の最後の仕事として、語りたい。(ちょっと長くなるかも知れませんが、我慢して下さい)
それが僕にできる最後の教育であり、君たちへの最大の贈与だからです。

(コホン)

絶望の国の幸福な若者たちへ。
相変わらず、意味不明なことを口走っているなと訝しむ気持ちはよくわかります。
卒業というおめでたい日に、絶望という言葉は前途を言祝ぐにはふさわしくないのかもしれません。
でも、長い付き合いなので、僕の不可思議な言動に耐性はできているでしょう(ニヤリ)

はっきりいって、君たちの未来は、思っているより明るくありません。
“絶望”という言葉が適切なのかはわかりませんが、従来の意味での希望がなくなったことは間違いありません。
つまり、いい大学に入学して、いい会社に就職し、結婚し、一軒家を建てて、車を所有し、子どもを育てるという安定した生活モデルは軋み、将来のライフスタイルを思い描きがたいという意味での社会不安が慢性化しています。
なぜそんなことになったかは、僕の日本史の授業で講義した通りですが、もう少し詳しく説明します。

冷戦という言葉は、当然知っていますね?
もし知らないなら、もう1年高校生活を延長してもらいます(笑)

君たちがこの言葉を実感を持って理解できる世代ではないことに驚きを禁じ得ませんが、20年ほど前までの世界の秩序でした。
自由主義アメリカと、社会主義ソ連という傘のもとに世界は二分され、互いを牽制しあうなかで、世界は奇妙なバランスを保ち、社会民主的な発展を遂げることができました。
ところが1991年のクリスマスに、ソ連が崩壊することで、冷戦は突然、あっけなく終わってしまいました。
その後、冷戦に取って代わって、新しい秩序として君臨したのがグローバリズムです。
そのグローバリズムによって、市場中心主義的な自由主義が世界を動かす唯一の価値観となり、この20年で地球全体は単一な経済圏に統一されていきました。
世界が1つになり、経済圏・価値観がグローバルに統一されたということは、外部が消滅し、逃げ場のない閉塞状況にあるということでもあります。

それによって、何が起きたか?

価値観を否定され、蹂躙された人々は、世界中でテロという方法で異議申し立てをするようになりました。
イスラム国などは、もっとラディカルに、グローバリズムという価値観を放棄し、近代が自明としてきた国民国家を解体してしまいました。
また、一方でグローバリズムを選択した国々でも、経済以外のものさしが有効性を失い、格差問題は悪化の一途をたどっています。
日本でも、首相の語ることは、経済ばかりです。
そのようにして、カネが価値を表す指標として万能性を高めていくことで、権威というものも形骸化していきました。
もう誰も、政治家を尊敬などしていないし、先生や医師や弁護士もクレームの対象です。
ただし、カネを持っているから絶対に幸福かというと、そうでもありません。
グローバリズムによって、世界の問題が、身辺的な地域社会や学校や会社といった中間社会領域をとばして、ダイレクトに個人に関わるようになったからです。
グローバル化した世界では努力と報酬の間の相関関係が崩れ、自分の運命を自分でコントロールできなくなりました。
それは、タイの洪水で工場が閉鎖して失業したり、円高の影響で企業が閉鎖したり、財政赤字で給料カットされたり、個人の努力とは無関係に、はるか遠くで会ったこともない人の行為や思惑が僕たちの生活にいきなり死活的な影響をもたらす、不可視で不可知な危機が偏在する世界であることを意味します。


どうでしょう?
絶望的な気分になりませんか?
でも、なぜ私は、絶望のあとに、“幸福な若者”という言葉を付け加えたのでしょう?

内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、2010年の時点で20代の70.5%が現在の生活に満足していると答えていて、現代の若者の生活満足度や幸福度は、ここ40年間の中で一番高くなっているのです。
絶望的な世界情勢、国内経済に関わらず、変ですよね。
僕は職業柄、ずっと若者たちを見てきていて、たまに授業で幸福かどうかを質問したりするのですが、この数値は私の実感に近いものと言えます。
そうなんです。
絶望的な世界情勢、国内経済に関わらず、若者たちは幸福なのです。
なぜでしょう?
それは、人はもはや将来に希望を描けないときに、「今は幸せだ」「今の生活が満足だ」と感じる生き物だからです。
若者たちにとって、少子高齢化の日本が経済縮小していくことは自明のことで、社会に対する期待値は低く、無関心といってもよいほどであることは、選挙の投票率の低さを見るまでもなく、自明のことです。
タテ社会が動揺しまくっているなかで、若者たちは、私的なセーフティネットとして、ヨコ社会での支えあいを強化するようになっていきました。
同じく、内閣府がおこなった「国民生活選好度調査」では、充実感や生きがいを感じる時に「友人や仲間といるとき」と答える若者が、なんと74%前後となっていることからも、繋がりや絆といったヨコ社会の仲間意識こそ、幸福の源であることがみてとれます。
僕が高校生だった時より、その風潮が高まっていることを、君たちを見ていて強く思います。
ONE PIECE』やSNSの流行も、そういった社会背景があってのことでしょう。
君たちは、社会という大きな世界には不満はあるけれど、自分たちの小さな世界には満足している。
抗うことを放棄した諦観の上に成り立った村意識が、若者達の幸福感を醸造しているのです。


でも、それが本当の幸せかというと、僕は疑問を抱かざるを得ません。
確かに気心の知れた仲間達とワイワイと過ごすことは、楽しいでしょう。
しかし、閉塞した空間で、キャラを演じたり、その場の空気を窺ってばかりいては経験できない世界があります。
青春というかけがいのない時間は、もっと豊かで美しいものです。
「経験という牢屋」から飛び出して、別人になることでしか、見えない世界があるのです。
君たちには、小さな幸せを捨てる勇気を持って欲しい。
別人になることを恐れないで欲しい。
それが、絶望の国を生きる術だと、私は考えるからです。


ご存じの通り、私は早稲田大学立命館大学の2つの大学を卒業しています。
立命館大学では、早稲田よりはるかに高い学術的パフォーマンスを発揮し、特待生として半額程度の費用で学ぶことができました。
ところが、早稲田大学では、無為な時間ばかりを過ごし、授業の代返など当たり前で、彼女もいない、大したとりえのない普通の学生でした。
費用対効果で測定するならば、立命館大学の方が良い大学のはずです。
でも、私にとって母校は、早稲田大学なのです。
立命館大学で学んだことは、今の教師生活でもとても役に立っていて、足を向けて寝れないほどですが、しかし、それは、入学前から予見できた未来の自分の姿でした。
つまり、入学前と卒業後で使用している尺度が同じなのです。
早稲田大学では、卒業後の自分の姿を想像だにできませんでした。
帰省する度に、母に「おまえのことはようわからん」と言われる回数が増えていったように、脱皮し、別人となったのです。
僕は、母校で生きる術を学んだのです。
立命館では、技術や知識を手に入れただけでした。
だから、立命館大学は履歴書上では母校であっても、人生の母校とは成り得ないのです。
君たちがこれからおそらく4年間過ごす大学が、僕にとっての早稲田のような場所であって欲しいと切に願っています。

勉強することでもいい、友人を得ることでもいい、遊び尽くすことでもいい。
大学という時空間で、自分の世界観を相対化しうるような異質な人々や知識と出会う機会をもって欲しい。
自明性や常識や自我といったこれまでの狭隘な価値観を壊して、本当の世界に身を投じて欲しい。
自分のものさしを後生大事に抱え込んでいる限り、自分の限界を超えることはできません。
「こことは違う場所、こことは違う時間の流れ、ここにいるのとは違う人たち」との回路を穿つことで、新しいものさしを手に入れるのです。
それが、別人になるということであり、成長するということなのです。


サラリーマン金太郎』で金太郎の上司である黒川社長が「人間を大成させる三大条件は、刑務所、悪妻、病気」と言っていますが、この3つに共通することが何か分かりますか?

そうです。
孤独です。

孤独はネガティブなもので恐れるものでもなく、自分を磨き、豊かにし、そして深めていくための時間です。
本校では“社会に通じる力”を教育目標の1つに掲げ、コミュニケーション能力の向上をいささか過剰に煽ってきました。
ちゃぶ台をひっくりかえすようですが、別人になるためには、孤独であることを恐れないで欲しい。
青春とは、孤独を直視することでもあるのです。
先ほども例に出した『ONE PIECE』ですが、仲間の至上性をテーマにしたマンガであるにも関わらず、「マリンフォード頂上戦争」で敗北してから、2年もの間、ルフィーたちは、“各々の島”で修行をしています。
つまり、ここでも成長するために、ルフィーたちは、孤独を選択しているのです。

思い返せば、私の大学生活も孤独の連続でした。
東京砂漠の一人暮らしでは、全く口をきかずに終えた日も少なくありませんでした。
立命館大学時代は、歳が5つ以上も離れた若者達に囲まれ、寂寥感に支配されていました。
富士通時代も、志を共にする者を持たない不幸な一人ぼっちの日々を過ごしました。
しかし、実際に孤独になることで、単独者というものに目覚め、つるむというやり方では到達できない地点があることを実感しました。
私が、バックパックで世界中を一人旅したり、一人で自転車日本横断したり、一人で100kmマラソンを走ったりするのもそういう理由からです。
村上春樹ウルトラマラソン完走後、「その結果としてあなたの人生の光景は、その色合いや形状を変容させていくことになるかもしれない」と言っていますが、このような日常性を大きく逸脱した負荷を与えると、自分の価値観などはアッという間に崩壊してしまいます。
瓦礫の中で、頼るべきものもないという生存危機に瀕すると、人は己のリミッターを解除し、まるで死の淵から蘇ったサイヤ人のように驚くべき力を発揮します。
このように、何度も何度も自分自身の檻を壊すことで、人は別人に変貌と遂げていくのです。
私も、このようにして脱皮してきて、今の自分があり、これからも脱皮し続けていきたいと思っています。
また、私は一時期、自分を孤独に追い込み、本当に必要なものを見極めるために、携帯電話や社会から断絶したことがあります。(携帯電話を持たなかった1年間は、会社を辞め、進路も決まっていない社会的にも最も孤独なフリーターの時期とシンクロしています)
それによってさまざまな弊害もありましたが、この時手に入れたもの(手離さなかったもの)は、今の自分の根幹をなしています。
親友はもちろん生涯の伴侶である妻、今では生業となった歴史、読書や旅を通じて世界を獲得すること、ヘビィローテーションだったMR.CHILDRENは今でも特別な存在ですし、「ハングリーであること、愚かであること」という僕が僕であるための精神性や世界観は、この時期がなかったら、形成されていなかったでしょう。
孤独は、自分自身の可能性を開拓し、精神の独立という境地にたどりつくためのイニシエーションなのです。


ただし、孤独は取り扱いを間違うと劇薬になります。
独善的にならぬよう、独りよがりにならぬよう、謙虚であることだけは忘れないでください。
そして、ときに孤独は人を蝕みます。
意味のない世界を生きていけるほど人は強くありません。
だから、たとえ孤独であったとしても、「努力することそれ自体が楽しい」ことを基準にして下さい。
日々の努力そのものが幸福な気分をもたらすなら、多少孤独だろうが、多少給料が少なくてもいいじゃないですか。
僕自身も守銭奴のような生活を送ったサラリーマン時代は、まるで苦役でしたが、教師生活では、打って変わって、給料をほとんど気にしなくなりました。
今の僕より10年ほど前の若造の頃の給料の方が多かったにもかかわらず。
君たちはそのことがいつも疑問だったでしょう。
なぜ、給料の多い有名企業を辞めて、きつくて給料の少ない教師などをやっているのかと。
その答えはもう分かりましたね。

自分の仕事を愛してやまないからこそ、前進し続けられるのです。
君たちも大好きなことを見つけてください。
仕事でも恋愛でも同じです。
仕事は人生の一大事です。
やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。
そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。
好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。
決して立ち止まってはいけない。
村上春樹の言葉を借りるならば、「踊るんだ。踊り続けるんだ。」
本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。
すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。
だから、踊り続けてください。
絶対に、立ち尽くしてはいけません。


でも、途中苦しくなることは何度もあるでしょう。
そんなときは、一歩違う世界に移ってみて下さい。
すると、一体あの時自分が何で悩んでいのか馬鹿らしくなることすらあります。
自分が全てだと思っている世界は想像より狭いんです。
人は思い込む生き物です。
苦しくなると視野が狭くなり、今生きている範囲の中で手詰まりになるともう終わりだと思ってしまう。
でも、一呼吸置けば大丈夫です。
自分にしかできない仕事がある、そのことに関しては決してあきらめないで下さい。


最後に、私の好きなチャップリンの『ライムライト』から。
「人生に必要なもの、それは勇気と想像力と、ほんの少しのお金さ。戦おう。人生そのもののために。生き、苦しみ、楽しむんだ。生きていくことは美しく、素晴らしい。」

別人になる勇気を持ってください。
想像力を武器に、孤独という苦しみを、生きるエネルギーに変えてください。
努力自体を楽しんでください。
想像力をもち、世界のルールを知り、勇気ををもってそこに踏み込めば、ほんの少しのお金で、世界は美しく、素晴らしいものとなるでしょう。
そして、そう感じられたならば、自分自身の弱さを知り、自分自身への信頼を獲得することができたということであり、本当の幸せとは、そんな人の足元にしかないと、僕は思っています。


長くなりましたが、教師として最後の仕事をようやく終えることができました。
これから先は、教師としてではなく、ひとりの人間として君たちに陰ながら寄り添っていければ嬉しく思います。
そして、胸を張って「別人になれた」と言えた時、また会いに来て下さい。
それまで僕も君たちの壁であり続けたいと思います。
チケットはもう君たちに手渡しました。
僕に、「変わってへんなぁ」と言われることがないことを願っています。
でもそれはもう仕事ではなく、三年間担任をした僕のささやかな望みです。
三年間ありがとうございました。(泣いてません)