ええ加減のすゝめ

「濡れたタオルを布団の上に置きっぱなしにするなってなんべん言えばわかんの?」
と何度怒鳴られたことだろうか?

「先に起きて、ドタバタするやめてってなんべん言えばわかんの?」
と何度不機嫌な寝起きに遭遇したことだろうか?

「窓が開いている!この隙間から蚊が入ってくるってなんべん言えばわかんの?」
と何度メルトダウンが発生したことだろうか?


「あなたのそういういい加減な所が、2番目に嫌い」
と捨て台詞をはかれても、もう傷つかない。
たとえ1番目に嫌いな所を想像したとしても、もう大丈夫だ。
なぜなら、それは強い予祝の言葉だからです。


私は、ええ加減であることを通して、
あなたなしでは生きてゆけない」よう自己設計していたのです。

というのも、何でも完璧で、
自分で金を稼ぎ、自分でご飯を作り、自分で繕い物をし、
自分で掃除をし、自分で洗濯をし、自分でPCの配線をし、自分で買い物をする。
それはつまり、「あなたなしでも生きていける」ということです。
だから、価値観が一致しなくなれば、いつでも別れる準備ができているということです。(こんな別れ話、芸能人に多いですね)

自慢ではありませんが、
私は、自分一人で服を買うこともできないし、自分一人で柔軟体操もできないし、
ご飯も、裁縫も、片付けも、外国人と挨拶も、自分ひとりではできない。
自分一人で朝起きることすら怪しい。
(一度妻が出張中に、寝坊して遅刻しそうになった)
えへん。
つまり、妻なしでは生活できない駄目人間です。


いや、学生時代はそうではなかったので、
根っからの駄目人間だったわけではありません。
(こう見えて一人暮らしを7年以上していたので、
その間、家事全般をひとりでこなしていました)
それが、結婚してから急激にええ加減になったのです。
まるで別人になったかのようです。
自分でもそう自覚しているのですから、
からしたら怒り心頭でしょう。
騙されたと思っているかもしれません。


昔、ホームドラマかなにかで、
「おーい、俺のパンツどこにしまった?」という台詞を聞いて、
自分で自分のものも管理できない奴が、
会社では威張ってるなんて、
あんな大人にだけはなりたくないと思ったものですが、
まさにそんな大人になっていたのです。


ですが、それはそれで、極めて高度な成熟を果たした証だったのです。


『ワンピース』という漫画の中で、ルフィーという主人公が「おれは剣術を使えェんだコノヤロー!!!航海術も持ってねぇし!!!料理もつくねェし!!ウソもつけねぇ!!おれは助けてもらわねぇと生きていけねぇ自信がある」と叫ぶ感動的なシーンがありますが、この漫画では、自立していることによってではなく、「あなたなしには生きてゆけない」という仲間への依存によって、海賊達は爆発的にその能力を開花させています。
つまり、依存によってパフォーマンスを高めるのです。
守るべきものがあるという家父長的な価値観ではなく、
無防備なまでの絶対的な信頼が潜在能力を開花させ、
それが子どもを大人たらしめるのです。



人間は、「一人では生きられない」から共生するのがデフォルトです。
そして、「一人では生きられない度」の高さがその人間の成熟度と相関しています。
赤ちゃんは一人では生きられないが、母親がひとりいれば、「赤ちゃん的必要」の過半は満たされる。
子どもが成長すると、「友だち」が必要になる。「先生」も必要になる。「好きな異性」も必要です。
青年になると、「天敵」とか「ライバル」とかひとひねり効いた「友だち」が必要になるし、渡世上の「親分」とか「上司」とか「師匠」とか「兄貴」とかも出てくるし、教化的にはぜひ「反面教師」も欲しいし、「悪役」もいるとスパイシーだし、異性も「恋人」のほかに「遊び友だち」「情人」「ワンナイト・スタンド」など、各種取り揃えておけるものなら揃えておきたい。
ビジネスをするなら「ビジネス・パートナー」や「クライアント」が要るし、ピンの芸だって「観客」や「ファン」や「愛読者」が要る。
というふうに、成長につれて、人間の「ひとりでは生きられない」度は高まるのです。
平たく言えば、その人が愉快に生きてゆくためにどれくらい多くの他者の存在を必要としているかが、その人の社会的成熟度の数値的な指標になるということである。

あなたなしでは生きてゆけない」というのはたいへん純度の高い愛の言葉である。
恥ずかしながら、私はええ加減であることを全身全霊で表現することで、妻への愛を告白していたのです。


妻は分かってくれるかしら。
それとも、ただの言い訳かしら。