トライアスロンをやってみた

トライアスロンを始める前に、と言っておきながら全然始まらず申し訳ございません。
トライアスロンはもう終わっているのですが、ブログをなおざりにして、トレーニングに明け暮れていました。
朝10km走り、昼間ジムで筋トレ、夜プールで2kmスイムなんて日もある。
自分でも思わず「アスリートかっ!」ってツッコんでしまうほどのめり込んでいる。
一体私はどこに向かっているのだろう?

記念すべき人生初のトライアスロンは、京都丹波トライアスロンと決めていた。
というのも、私は初代チャンピオンだからだ。
またおかしなことをぬかしてやがると思われるだろうが、嘘は言っていない。
嘘は身を亡ぼすということをお笑い芸人から最近学んだばかりだからだ。
人生初のトライアスロンと言っておきながら、それにはカラクリがあって、過去に一度だけチームエントリー部門で出場し、見事に優勝しているのである。※1
第一回大会だから、もう5年も前の話だ。
この時の私にとって、汚い保津川を泳ぐことや、バカ高いロードバイクを所有することなどありえないことで、表彰式をすっぽかしてプロレス観戦に行ってしまうくらい程度の関心しかなかった。※2
だからといってトライアスロンを馬鹿にしているわけではなく、同じアスリートとしてリスペクトの念を禁じ得なかった。
トライアスロンという競技を目の当たりにしたのは初めてだったが、その後もなかったことを考えると、この経験がなんらかの影響を私に及ぼしたことは間違いない。
今となっては、強引に誘ってくれた同僚に感謝しかない。
私のトライアスロンの原体験ともいうべき京都丹波トライアスロンこそ、人生初のトライアスロンにふさわしい。
月日は流れ、もう40歳も近くなってしまったけれど、やっとスタートラインに立つことができた。
ここにたどり着くまでの思い出が走馬燈のように駆け巡る。
 
特に大きな問題を抱えていたのがスイムだった。
1.5kmなどとてもじゃないが、泳げる気が微塵もしない。
何とかしようと、パーソナルトレーナー接触を試みるも、練習場所が折り合わず、断念。
ジムのトレーナーに「トライアスロンに挑戦してみたい」と相談してみるものの、とりあえず泳ぎを披露すると、やれやれといった感じで「死にたいの?」と突き放された。
もちろん声には出してないが、態度でわかった。
彼の心はこう言っていた。
「てめーがトライアスロンに挑戦するなど100年早いんだよ」
振り出しに戻った。
そこから先の詳しい話は「LIFE SHIFT」に書いた通りだ。
これが今から1年半ほど前の出来事である。
 
感慨深く想いがこみ上げ、スタートを待つ保津川の中で武者震いした。
というのは、嘘だ。
恐怖で震えていた。
ウォーミングアップの時間が設けられていたが、足が地面につかないことにすっかり怖気づいてしまい、早々に陸地に退散してしまった。
足がつかないことがこれほど恐ろしいものだと知らなかった。
まさにSWIM or DEAD。
スポーツで初めて死を意識した。※3
1.5km泳ぎ続けるしかない、できなければ死ぬ。
動揺する私をよそに、時は無常に過ぎていく。
胸の動悸が加速する。
そうこうしているうちに始まってしまった。
まずは、スタートラインに移動するのだが、これだけでも初心者にとって簡単なことではない。
足がつかない場所でスタートを待たなければならないからだ。
できるだけ待たなくてすむように最後尾で出発するもののかえって気ばかり焦る。
緊張からか胸の鼓動がおさまらない。
メルカリで買ったサイズが合わないウェットスーツが、さらに締めつける。
前日のメディカルレクチャーで教わった低酸素血症が脳裏をよぎる。
とにかく酸素を体内に送り込まければ、死ぬ。
スタート直後のはやる気持ちにのまれてはいけない。
タイムより大事なのは命だ。
生命の危機を脅かされた私は、ひとかき毎に息継ぎする作戦に変更した。
そのため、とにかく遅い。
トライアスロンにはプールのようにコースなど存在しないため、次から次へ、後続の選手が襲いかかる。
これは大げさな表現ではなく、泥水で視界はゼロのなか、ノーモーションで人の手足が襲いくる。
腹と頭を蹴られたら、おぼれて死ぬと直感し、ガードを固めながら泳ぐため、さらにスピードはダウン。
万が一に備えて、中央に浮かぶたった1本のコースロープの横のポジションを死守した。
最悪何かあったとしても、コースロープにつかまれば一命をとりとめることができると考えたからだ。
しかし、死守するのは文字通り命がけだった。
後ろから体を引っ張られるのは日常茶飯事だし、上に乗りかかられることもあった。
少し目を離すと、いつの間にかコースロープから遠ざかっていることもままあった。
必死になってコースロープに戻るも、また流される。
その繰り返し。
暗闇の中でまっすぐ泳ぐことは至難の業だ。
トライアスロンはただ泳げるだけではダメだ。
野生の中で戦う覚悟と技術と戦略なき者には、ただただ地獄だった。
コースは保津川500mを3周するのだが、1周目は気が遠くなるほど長かった。
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(こんなコース)
感覚的には2周目の倍くらい泳いだ気がする。
特に、折り返しからの250mは川を逆流するのだが、まったく進まない。
何度も確認するが、折り返しのコーンは一向に近づいてこない。
だって、自分の人生で川を逆流するなんて考えたこともなかったんだもん。
絶望的な思いで必死に腕を動かし、何とかスタートに戻ってくることができたが、疲労の色は隠せない。
逆流の反対、いわゆる順流というらしいが、少し余裕のできた2周目に「上流から下流に下る追い風状態でクロールは必要ないのでは?」と気づいてしまった。
というのも、私の場合、クロールと平泳ぎのタイムにほとんど差がない。
迷子にならずに、浮かんでいるだけのクロールの方が合理的ではないかと考え、ただ一人急遽クロールを捨て平泳ぎに変更し、体力の温存を図った。
これが自分の首をしめることになるなろうとは想像だにしなかった。
 
とにかく必死にクロールで逆流し、平泳ぎで優雅に下るという戦法で3周目を終え、やっとこさスイムフィニッシュにたどりついた。
最大の関門であるスイムをフィニッシュした達成感に浸りながら、とりあえず自分一人では脱げないウェットスーツのチャックを下ろしてもらっていると、「何やってんだ」とばかりに追い立てられた。
あと3秒で足きりだったのだ。
余裕をぶっこいて平泳ぎをしている場合ではなかった。
この一年の努力が、あと3秒で水の泡になるところだった。
どうりで周りに人がいないはずだ。
文字通りの最下位からのバイクスタートとなった。※4
 
ここからのバイクとランで怒濤の100人抜き。
スイムの足切り事件を除けば、ほぼレースプラン通りの展開になり、タイムも目標の3時間ジャストの3:00:01。
 
公式記録は以下の通り。
水泳 320位(49:57) ほんまにあと3秒!
自転車 208位(1:22:11) 自分ではバイクは早いと思っているのだが、タイムが平凡なのが不可解だ。
長距離走 110位(47:53) 冷水は頭からかぶるより、背中にかける方が効果があることを知る。
トータル 216位(3:00:01)

また一つ不可能を可能にした。
しかし、これはゴールではない、スタートなのだ。
向かうべき先は、世界一過酷と言われるアイアンマン。※5
次の不可能を可能にするためにレーニングをまだやめるわけにはいかない。

 

※1もちろん私はランナー、スイムとバイクは職場の同僚(下の写真)。実はさらにカラクリがあって、エントリーチーム数はたったの2チームだった。
※2この当時はプロレスにハマっていた。「プロレスにハマる」「プロレス教育論」「プロレス正義論」と立て続けにブログを更新している。
※3トライアスロンがスイム→バイク→ランの順番なのは、死亡する確率が高い順らしい。
※4のちに分かったことだが、この大会の最高齢は80歳オーバーで、スイム最下位ということは、私のスイムは80歳より遅いということが判明した。
※5スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195km

トライアスロンを始める前に

まだいよ線※1を片足跨ぐ年齢になったが、全く実感がない。
中身が20代から大して変化していないからだろう。
だけれども、当たり前だが時が止まることはない。
過ぎゆく時間を懐古するのはまだ早いと言われるが、30代があっという間に終わろうとしている。
おそらく40代はもっと高速化するだろう。
人生100年時代といえども、これからますます時の流れが加速していくことを考えると、まだいよ線どころかデッドラインもそう遠くない未来としてリアリティを帯びてくる。
少し前の話だが、唐突に「この人生でやっておきたいなあ、と思うことは?」と聞かれる機会があった。
20代の頃だったら、希望に満ちた質問にしか感じられなかっただろう。
「あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい」とブルーハーツの曲がBGMとして流れるぐらいご機嫌な質問だ。
しかし、同じ質問であっても、今の僕にとっては人生の残り時間をいやがうえにも意識させる質問で、やりたいこと1個1個、人生の残り時間でできるかどうかをいちいち天秤にかけないと、やりたいことすらできない年齢なのだと気づいてしまった。
おもわず固まってしまったことを覚えている。
ところが、そんな思いをあざ笑うかのように、答えに迷いはなかった。
トライアスロン
それは自分でもとても意外な答えだった。
というのも、人生を賭してでもやりたいことはもっとソーシャルなものであると思っていたし、どちらかというとプライベートではないビジネス領域にあると思っていたからだ。
もちろん、トライアスロンに対して潜在的な憧れはあった。
しかし、トライアスロンといえば、キングオブスポーツとも言われる最高峰のスポーツであり、自分とは無縁のスポーツだった。
例えば高校生の僕に、「おまえ20年後にトライアスロンやってるぜ」と言っても、鼻で笑われただろう。
なんせ高校生の僕は、部活にすら所属せず、中二病をこじらせまくった、心身ともに不健康そのものだったからだ。
そんな僕がトライアスロンを初めて意識したのは、ウルトラマラソンを完走した2013年だったと思う。
まあ、不思議なことはない。
当然の流れだ。
しかし、だからといっておいそれとできるものじゃないのが、トライアスロンだ。
なぜなら、トライアスロンはとにかく金がかかる。
まず、大会に出場しようがしまいが、トライアスロン協会に登録する必要がある。
年間4000円。
エントリー料は、マラソンの倍となる20000円台が相場だ。
日帰りできる場所で開催されるとは限らないので、宿泊費と交通費もかさむ。
大会に出場するだけで、下手したら50,000円程度の出費となる。
さらに腰が引けるのが、装備だ。
ランニングのようにTシャツ一枚で走れればどれだけ楽かと、何度思ったことか。
トライアスロンウェア、さらにはウェットスーツだけで、軽く数万円。
極めつけはロードバイクだ。
全てゼロからそろえるとなると、最低でも20万円程度はかかる。
初期投資が大きすぎて、おいそれとは手がでない。
一説によると、トライアスロン競技者の平均年齢は42.7歳で、アイアンマンレース出場者の平均年収は約25万ドルと言われている。※2
「高い金払ってまで、よくそんな苦しいことできるもんだ」と驚嘆されることが多いが、たしかにお金をもらってもやりたくない人が大半なのに、酔狂にも程がある。
トライアスロンキングオブスポーツと言われる所以は、体力より、経済力によるところが大きいのではないかと邪推していたところ、あながち間違いでもない気がしていた。
それどころか核心をつくアイデアに思え、頭から離れなくなった。
 
トライアスロンは、まだいよ世代にとってこれからの人生に必要なライフスキルが凝縮されたスポーツではないか?
 
まず、マラソンからは習慣という武器を。
習慣化は目標を達成するための最強のツールであり、何かを成し遂げようとおもったら、習慣化してグリッドすればいい。
僕は、10年間欠かすことなく続けている早朝ランニングから、そのことを学び、多くのものを手に入れることができた。
水泳からは客観性というメタ認識を。
水泳というとスピードに価値が置かれがちだが、本来水泳は、イメージと身体を同調させる能力を開発することを目的とした訓練だと僕は考えている。
ということに気づいたのは、バタフライのおかげだ。
バタフライは、第一キックと第二キックという二種類のキックに加えて、うねりを組み合わせた複雑怪奇な動きで構成される。
水泳教室の初級コースに通う水泳素人集団にとって、習得が難しく、ひたすら疲れるだけのバタフライは不可解な泳法でしかなく、「バタフライは何のために存在するのか」という哲学的な水泳談議に花が咲くことがあるくらいだった。
速く泳ぎたいならクロールで十分だし、平泳ぎや背泳ぎなら大して疲れない。
どちらでもない中途半端なバタフライのレーゾンデートルとは何か。
考え抜いた末に僕が導き出した結論が、逆説的だが、バタフライが異質なのではなくバタフライこそ水泳の本質を体現した王道であるということだ。
なぜなら水泳の本質はフォームにあるからだ。
バタフライの動きが複雑怪奇すぎるので、正しいフォームを強調しやすいからクローズアップしてみたが、バタフライに限らず、正しいフォームを身につけるためには、まず動きそのものを徹底的に観察して理解し、イメージ化する必要がある。
理想的な身体運用をイメージ化できたら、イメージと身体を同調させていく作業を繰り返し、正しいフォームを身体に覚えこませていく。
この身体と思考のフィット&ギャップを通じて客観性が磨かれる。
水泳で陥りがちなピットフォールが、自己流で泳ぐことだ。
体力や筋力にまかせて、ただやみくもに練習しても上手くはならない理由はもうお分かりだろう。
客観性なき水泳は、水の中でおぼれているのと大差はない。
最後の自転車はもう説明はいらないだろう。
財力という社会的信用を。
ロードバイクを所有しているということは、それだけの可分所得をもつことの証明となる。
 
40代を主体的に生きるライフスキルが何かは議論があるだろうが、習慣と客観性と財力であると言っても異論はないと思う。
それらが、トライアスロンを通じて手に入る。
そして、当然ながらそれらすべてのベースとなる体力(健康)も。
トライアスロンをやらない理由を探す方が大変なくらいで、トライアスロンがあれば40代も楽しく生きることができそうだ。
いっちょやってみっか。
 
 
※1リトルトゥースにしか通用しないであろうフレーズ。「まだまだ30代」と「いよいよ40代」というライン。
※2「自分を極限まで追い込み、ゴールすることで高い満足感が得られるトライアスロンは、ハードなビジネスと共通する部分もあり、仕事で成功を収めた経営者が熱中するケースも多い」かららしい。
 

カメラを止めるな

2018年を代表する映画と問われて、『カメラを止めるな』と答えても多くの人が納得するだろう。
流行語大賞にノミネートされたし、日本の映画界における最高権威であるアカデミー賞でも編集賞を受賞したくらいの作品だから、名実ともに2018年を代表する映画と言えます。

そんな映画にもかかわらず、ゾンビが嫌いという理由で食わず嫌いしてしまい、劇場で見ようともしませんでした。
DVDがレンタルされても、やっぱりゾンビが嫌いという理由で、一度手に取ったパッケージを棚に戻す始末です。
重い腰をやっと上げることができたのは、テレビ放送のおかげです。
結果から言うと、テレビの冒頭でも監督が言ってたとおり、ゾンビは出てくるけれど、ゾンビ映画ではありませんでした。
もちろん、ゾンビ映画に分類することも可能です。
でも、この映画の本質はゾンビではなく、冒頭37分ワンシーン・ワンカットでもない。(と私は思う)
シンゴジラ』と同系統に分類される隠れた社会派映画です。
シンゴジラ』は、ゴジラを通して官僚主義に陥って決めらない政治を風刺することで、日本の組織が抱える病理を描きました。
『カメラを止めるな』もそうした組織の病理を描いた作品の1つであり、その閉塞感を打ち破る快感も手伝ってヒットにつながったのではないでしょうか。
データはありませんが、『カメラを止めるな』の客層がサラリーマンだったならば、確証を得たと言えます。
というのも、『カメラを止めるな』が描く組織の病理とは「現場とマネージャーの乖離」だからです。
そんなことに興味がもつのはサラリーマンしかいません。


象徴的なシーンとして作品の後半に、作品より番組を強調し穏当に終わらせようとするイケメンプロデューサーの提案に対し、中年の映像ディレクターである主人公が「ダメでしょうが」と激昂する場面がありました。
そこでプロデューサーが囁いた言葉が、「そこそこの映像」でいいというNGワードです。
組織において、マネージャーは結果より形を優先することが多くあります。
なぜなら、マネージャーはコールドゲームなど求めていないからです。
とにかく、失敗しなければいいのです。
しかし、「そこそこでいい」と言われてモチベーションが上げるでしょうか?
実は、今まさに自分の仕事で同じ事態が起きています。
詳しいことは省きますが、ボスは形だけいい、(私がやっていることは高度すぎるから)そんな高度なことはしなくていい。
クオリティーを下げるよう圧力をかけられました。
私たちのチームのモチベーションが地に落ちたことは想像に難くないでしょう。
3人のチームですが、みな不貞腐れしまい、中学生だったら不良になっていたことでしょう。
マネージャーがはしごを外すようなことをやってはならない。
なぜなら、現場の人間は手を抜くことができないからです。
主人公のディレクターも最初は、この企画は無理だからと断ったり、出演者を忖度しまくって自我を押し殺していました。
しかし、撮影しているうちにあの名言「撮影は続ける。カメラは止めない!」が飛び出したり、プロデューサーにたてつくまで本気になっていきました。
たとえ最初は興味がない仕事でも、仕事をやっているうちに本気にもなるし、好きになる。
誰も、本気の仕事をそこそこにはできません。
イチローに凡退してこいと指示できますか?

ではなぜそこそこでいいなんてマネージャーは言えるのでしょうか?
答えは簡単です。
マネージャーが現場のことを知らないからです。
私のボスが現場にくることはほとんどありません。
当然ながら、現場には大小さまざまなトラブルがちりばめられています。
ところが、マネージャーは未然に防がれたトラブルを知りません。
だから、終盤のシーンでトラブル続出の撮影現場をよそにクセの強い女プロデューサーは、こともなげに「特に大きなトラブルもなく、良かった」とぬかし、飲みに繰り出すことができてしまうのです。
ただし、現場がどれだけ現場の実情を伝えても無駄です。
マネージャーはトラブルが起きるまで目を覚まさないからです。
でも別にそれでいいのです。
マネージャーは現場の邪魔さえしなければ。
カメラは止められないし、カメラを止めてはならない。

本気の俺を止めるな。

謙虚なリトルトゥース

私は「オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー」をわざわざ日本武道館まで見に行くほどの、正真正銘のリトルトゥース※1である。

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好きが高じて他のメディアの番組や作品などもチェックするようになったが、たまたま若林がMCを務める『激レアさんを連れてきた』という番組を見た時だった。
バックギャモン」※2という競技の世界チャンピオンになった矢澤亜希子さんが特集されていた。
激レアさんだけあって、余命一年と宣告されてから世界チャンピオンに輝き、病気まで克服してしまうという波瀾万丈の人生だったが、その中でも一番印象深かったのがYAZAWAルールでした。
YAZAWAルールとは、彼女が中学1年の時に決めた「毎年最低10個、人生初のことをする」というルールです。
現在は25年継続中ということで、感心する一方で「そういえば、自分はどうだろう?」と気になったので、自分の経験を棚卸ししてみた。

社会人になってからで人生初のこと(順不同)
・水泳教室
・絵画教室
・瞑想
富士登山
・お遍路
・座禅
・中国語を勉強する
・内観
ポケモンGO
ツールドフランス観戦
・アメフト観戦
・プロレス観戦
・マラソン(ウルトラを含む)
・いす1
・ママチャリ4耐
・自転車で日本横断
・落語鑑賞
・クラシック鑑賞
・ラジオ鑑賞
カポエラ
合気道
トライアスロン(予定)


これ以外にも、事故やトラブル、生まれて初めて〇〇食ったみたいな、大なり小なりの人生初は山ほどあったが、数えだしたらきりがないので、仕事と関係のないことで、能動的に取り組んだことだけに絞ったが、我ながら色んなことをやってきたもんだと感心する。
たぶん自分は、性根が飽き性(よく言えば好奇心旺盛)だからできたんだろう。
アルバイトなんて1年続いた試しがないし、引っ越しも何度もしている。
さすがに、サラリーマンを2年半で辞めてしまった時は、長続きしない自分に少しだけ不安を覚えたものだ。
だから、教員が12年も続いているのはとても奇跡的なことで、しかも今は同じ学校に7年も勤務している。※3
よほど水が合ったのでしょう。
今では自分のライフワークは教育にある※4と自覚できるほどになりました。

話が少しそれてしまったが、私が最も関心があるのは、なぜ自分は少なからぬ金額を投資してまで次から次へと色んなことに手をだしているのかという点だ。
まずはっきりと言えるのは、その理由が「ビギナーの憂鬱」※5にある。
簡単に言ってしまえば、新しい世界を獲得し、成長するためだ。
ところが、齢を重ねるとともに違和感が芽生え始めた。
この違和感の正体を考えるヒントが、オードリーのオールナイトニッポンにあったので、以下に、その部分を切り取ってみた。

若林「誰もが成長したいと思うなよ。20代は毎年毎年成長したいと思うけど、もう40歳にもなって成長したいって思ってるって思うなよ」
春日「逆に狭めていきたい。得意なことしかしたくない。」
若林「わかる。わかる。仕事を選びたい。」
春日「生意気だな」

私もオードリーと同年代だが、社会人も長くなってくると、仕事も一通りできるようになり、役職が上がるにつれ、失敗することが許されなくなる。
また、家族もでき、自分のコミュニティも固定化してくる。
すると、人は無意識のうちに自分の殻に閉じこもり、自分の価値観のみ通用する世界を安住の地として選ぶようになっていく。
それがオードリーの「成長したくない」「得意なことしかしたくない」「仕事を選びたい」という会話に凝縮されている。
つまるところ、40代にもなると春日のツッコミに象徴されるように、放っておくと「生意気」化していく。
生意気とはガキの専売特許ではなく、「それだけの存在でもないのに背伸びして偉ぶる」者全てに適用される。
必然的にそういう者は、異なる価値観が支配する場所であっても所かまわず自分の価値観をふりかざすので、どこかで衝突する。
そういうことが続けば、生意気というレッテルが張られ、自分でははがせなくなる。
どの本だったが忘れしまったが、
「40代までに新しいことにチャレンジしていれば、その後、何歳になっても新しいことにチャレンジできる。20代、30代、40代と年齢を重ねていくと、意識しなければ新しいことにチャレンジする機会は減ってくる。40代までに新しいことにチャレンジしなかった人の場合、50代60代で新しいことにチャレンジしようと思ってもできないようだ。」
という記述があった。
違和感の正体はこれだった。
生意気になりたくなかったのだ。

思い返せば、これまでの人生は、成長のプロセスの中で、主観性ばかりを強化してきた気がする。
しかし、40代以降必要なのは、主観性という生意気をデトックスすることの方だったのだ。
これからの人生において必要とされるであろう客観性を、本能的に感じとったのかもしれないと思うと、鳥肌ものだった。

というのも、私が今年から始めた人生初のことがデッサンと瞑想と水泳で、互いに畑違いの分野かと思っていたが、共通点が1つあった。
それは客観性を向上させるための訓練だということだ。
最初デッサンは絵を描くことが目的だと思っていたが、先生からは「観察しろ」と耳にタコができるほど言われ続けた。
見えないものは描けないということをのちに理解したが、芸術は感性であると勘違いしていた私にとって不可解なことだった。
今では、芸術も他の学問と同じで、技術も存在するし、ルールもあることを知ったし、感性はそうした技術トレーニングを積んだのちにやっと気まぐれに顔をだすようなものかもしれないと思うようになった。
つまり、観察という作業を抜きにデッサンは成り立たないし、その作業を通じて客観性は磨かれていく。
瞑想も、何よりも重視されるのは観察で、詳しくは「ヴィパッサナー」に記したので参照にされたい。
でも、水泳だけはなぜ客観性か不思議でしょう。
実は水泳も体力や筋力にまかせて、ただやみくもに練習しても上手くはならない。
正しいフォームが最も重要なスポーツだからだ。
正しいフォームを身につけるためには、理想的な身体運用をイメージ化して、そこに身体の動きを適合させていく作業が必要だ。
その繰り返しと微調整で、正しいフォームを身体に覚えこませていく。
この身体と思考のフィット&ギャップを通じて客観性が磨かれる。※6


いかに自分をなくしていくかが40代以降の普遍的な課題で、それが、たまたまですが、今の時代が要請する(流行的な)ものと重なったと思っています。※7
繰り返しになりますが、激しく変化し続ける世界にアップデートするには、学び続けるしかありません。
最終学歴より最新学習歴で評価されるようになるのもそう遠い未来の話ではなさそうです。
今の時代、新しいことを吸収できなくなったら、致命的です。
火を見るよりも明らかなことですが、生意気さと学びは相性はあまりよくありません。
学ぶために最も大切なことは謙虚さです。
生意気であることの最大の弊害は、この謙虚さを失うことです。
新しいことに挑戦するのは、強制的に「自分がとても無力に感じる」空間に身を投じるためだったのです。
自分の小ささを痛感できれば、人は謙虚になります。
謙虚さを持ち続けるのも、楽ではない。
けれど、案外楽しい。
それは、トゥースとしか言いようがないですね。※8

 

※1リトルトゥースとは「オードリーのオールナイトニッポン」のリスナーのことを指す。私がリトルトゥースになった経緯はブログの「プロレスにハマる」が詳しい。
※2基本的に2人で遊ぶボードゲームの一種で、盤上に配置された双方15個の駒をどちらが先に全てゴールさせることができるかを競う。世界最古のボードゲームとされるテーブルズ(英語版)の一種である。出典:フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
※3正直もう飽きている。
※4「ライフワークは教育にある」とややこしい表現をしたのは、学校や教師だけが、ライフワークを実現する唯一の手段ではないからです。私の問題意識はもっとソーシャルなものになりつつあり、またブログで書きたいと思っています。
※5これも、ブログの「プロレスにハマる」が詳しい。
※6しかし、昔取った杵柄で思考停止したまま習慣でできることをやっても客観性は向上しないので要注意。
※7ビジネスの現場でもPDCAが時代遅れとなり、OODAという観察を起点とするフレームが主流となりつつある。
※8オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアーin日本武道館で若林が繰り出した伝説のスベリ。自分的には名言だと思ったが、本人は日本アカデミー賞に匹敵するスベリだと嘆いていた。

変わりゆく世界、変わらない教育

卒業式シーズン到来。

前途ある若者たちの門出を祝福するめでたい日のはずですが、年々心穏やかにやり過ごすことができにくくなってきました。
なぜなら、そこに映し出される光景は日本の教育が抱える宿痾そのものだからです。

卒業式が終わると、教員や来賓などの間でこんな感想が飛び交うことがあります。
「いい式だったねぇ」
どうやら卒業式には、「よい卒業式」と「悪い卒業式」があるようです。
教員になりたての頃はあまりよく理解していませんでしたが※1、かれこれ10回以上も経験しているので否が応にもわかるようになりました。
「よい卒業式」とは、個性のかけらも見当たらない、粛々と執り行われる、予定調和の式のことを指します。
そこにいる生徒たちの個体認識は不可能で、まるで『マトリックス』のエージェントのようです。
もちろん、化粧したり髪の毛を加工すれば瞬殺され、拒否しようものなら、なんと式に出る権利が剥奪されます。※2
それほどまでに厳重なセキュリティチェックされる卒業式で何が行われるかというと、今も昔も変わりません。
ほとんどの生徒にとって声を発する場面は、1時間半に及ぶ式を通して呼名のただ1回で、それもたった一言「はい」と返事をするだけです。
見たこともない、何のゆかりがあるのかもよくわからない来賓のおっさんの方が、まだセリフが長いくらいです。
そのわずか一言を除けば、あとは「起立」と指示された時に、間を置かずに立ち上がることしか求められません。
まるで退屈に耐える力を試しているかのようです。※3

何となく「よい式」のイメージはつかめたとは思いますが、念のため「悪い式」の実例も紹介します。
その方が対比によって、より卒業式の本質が浮かび上がってくるからです。
僕の教員人生で大っぴらに「悪い式」という風評がたった卒業式が1度だけあります。
それは、生徒が自主的に合唱した式でした。
自分たちで曲を選び、自分たちで練習して、本番での出来映えも悪くなかった。
生徒たちも自らの卒業に花を添え、充実した表情を浮かべていました。
しかし、職員室では非難の嵐でした。
また、Gacktがジャックしたとある高校の卒業式の評判も、大人の間では芳しくないようでした。
もうお判りでしょう。
良い・悪いは大人の都合で決められたものさしで測られ、子どもたちは管理する対象としか見られていません。
自分たちの理解の範囲内、自分たちがコントロールできるよう、子どもを押さえつけ囲い込みたがる。
教員にとって都合のよいエージェントへと調教できたかどうかが、良い・悪いの基準なのでしょう。
もはや誰が主役なのかは置き去りにされ、式そのものを運営することしか関心が向けられていません。
学校教育における集大成となるセレモニーがこの調子なのだから、日常は押して図るべしというところです。


世の中に目を転じると、Society5.0または第四次産業革命と呼ばれる社会変革に伴い、教育も大転換が求められています。
150年前に開発された、軍人を養成するための、産業革命に適応するための、教育が時代遅れであることはもはや明白です。
教育をアップデートしなければなりません。
しかし、それを阻んでいるのが、卒業式に象徴されるように、まさに当事者たる教師なのです。

よく言われることですが、教育に関しては、だれもが評論家になれます。
べつに教育の専門家でもなければ、教育研究について特別な訓練を受けたわけでもない人でも、こと教育に関しては、いっぱしの評論家ぶって語ることができます。
それは、だれもがみずからが教育を受けた経験をもっているからです。
ところが、教育語りが、その人の個人的な体験や経験を根拠としていて、それが一般化できるものか否かについては、あまり配慮が払われていません。
個々人の教育体験がそれなりに濃厚で、ノスタルジーを呼び起こし、美化されてしまうからです。
体罰が愛のムチとして容認されるのもこうしたロジックによるものです。
しかし、これは何も一般人だけに限った話ではありません。
教育のプロであるはずの教師も陥るピットフォールなのです。
特に成功体験が強ければ強いほど過去の幻想にとりつかれ、現在に盲目になりがちです。
言うまでもない話ですが、教育は過去に向けられた行為ではありません。
子どもの過去をふまえつつ現在に働きかけ、現在に現れてくる変化を寄せ集めて、それを未来へとつなぐ営みです。
教育にはどういう未来に向けて、どんなふうに現在に働きかけるのかという視点が必要となります。
教育者はこれから20年後の時代を見据えて、子どもたちに必要な教育カリキュラムを考えなければなりません。
今の当たり前を教えるのはなく、未来の当たり前をつくっていくのが教育です。
だが、無自覚のうちに、自分が受けた教育を正解と考えてしまう。
本来ならば20年後の未来を判断基準とすべきところを、自身の教育の原点となる数十年以上前の経験を判断基準としてしまうので、理想と現実との間に四半世紀を超えるギャップが生じているのです。
それが、あの代わり映えしない卒業式です。

それぞれがそれぞれの正義をふりかざすことで合意形成が困難になり、調停不能になった先には「前年と同じ」というソリューションしかありません。
特に深刻なのは領土問題です。
教員はみな少なからず、何かしら小さな小さな自分だけの領土にしがみついて生きています。
教科という聖域、部活という聖域、クラスという聖域などなど。
その聖域に他人が土足であがりこもうものなら、どえらいことになります。
合意形成どころの話ではありません。
私も何度も地雷エリアに突入しましたが、人の心ぐらい平気でへし折ってきます。
結局、誰も手だしできなくなり、ブラックボックス化し、今まで通りがまかり通ってしまうのです。

いまや学校は前例踏襲主義に蝕まれ、重篤な状態にあります。
毎年同じ資料が会議にならび、下手すれば、年号や日付さえ変わっていない資料があるくらいです。
目の前の子どもたちは年々変化しているにもかかわらず、学校の方が変わろうとしない。
語弊がありました、変わろうとはしています。
しかし、前例のないことに対しては、デメリットや不安をふくらまし、常套句である「いかがなものか」という言葉でチャレンジャーを追い詰めてきます。
実施する前からリスクばかりを気にして、よいことが1000あっても、悪いことが1つでも想定されるだけで、何も始めることができません。
私たちは「いかがなものか病」と呼んでいますが、当事者意識を欠いた教師が、まさに評論家気取りでマウンティングしてくることによって、変わろうとしている教育の芽が摘まれていくのです。
また、前例踏襲主義は、新しいことをやろうが、やらまいが、給料が変わらない公務員である教員にとって当然の帰結です。
このようにして学校は、小さな縄張りでしか通じない価値観をふりかざす絶対君主たちが跋扈する前近代的な世界から脱却できず、変われずにいます。

しかし、このままの学校教育では犯罪的なまでに生徒のためになりません。
茂木健一郎は、今の子供たちが、今の教育で15年後の社会にでても仕事はないと断言していました。※4
なんせ企業の人事だったら十人中十人が口をそろえていらないと言う「指示待ち人間」を大量生産しているのが今の学校教育だからです。
ひな鳥のように口を空けてピーピー鳴いても、もはや正解という餌は運ばれてきません。

まずは正しい時代認識が必要です。
黒船が来航しているにもかかわらず、いつまでも江戸時代に固執しているようでは、命運尽きたようなものです。※5
現在進行している変革に目をそむけてはなりません。
良くも悪くも時代は巻き戻すことはできないからです。
目を見開き、耳をそばだて、手足を動かし、未来を見つめ続けるのです。
未来志向で、しっかりと先のことを見るのです。
ただし、今までの通りの価値観で、未来を見つめても現実は歪められます。
しっかりと価値を変えないといけない。
価値を変えていないのは、子どもたちではありません。
子どもたちはYouTubeを見ているし、気づいています。
気づいていないのは、大人です。
正確には、気づいていないわけではなく、認めたくないのでしょう。
認めることによって自分がガラパゴス化することを恐れているのかもしれません。
だから、余計に意固地になって、そういう知らないものに好奇心を持てなくなっているし、持とうとしません。
一方で、子どもたちには「チャレンジしろ」「分からないといって諦めるな」と言っておきながら、自分たちは一切チャレンジしない。
私の大嫌いな大人たちです。
学校にはそんな大人があふれています。
だから、変わらないのです。


未来には正解という1つの答えは存在しません。
答えを知らないという点において、教師と生徒との間に差はありません。
もし正解と思っているものがあるとすれば、過去の幻想です。
社会は変わり続け、変わり続ける社会を予測することは困難です。
だから、教師も生徒と一緒に探究するのです。
教員自身が自分の中に巣くう惰性、成功体験、常識をアンラーンして、一緒に学び続けるのです。
変わりゆく世界の中で、変わらない教育を嘆くのではなく、変わり続けることを楽しんでいこうと思う。

 


※1式に対しては特別な感情がある教員がなぜか多い。式などといっても自作自演の張りぼてのようなものであることは、当事者たる教員の方がよくわかっているはずなのに、なぜか認めようとはしない。式ではなく、フェスにする方が時代に合っている。その点において、近畿大学は先見の明がある。
※2北野唯我のブログ「多数決は天才を殺すナイフだ。『共感』は恐ろしい」のエピソードがその最たるもの。
※3子どもたちは卒業式を通じて、社会では退屈に耐えることが大切であると学ぶことでしょう。僕は卒業式はおしっこを我慢する大会だと思ってます。
※4先日、茂木健一郎を講演会で初めてみましたが、ブラウン管の中(表現が古い)とはまるで別人だった。自由奔放で、歯に衣着せぬ言動に最初は驚いたが、すぐに大好きになってしまった。茂木健一郎という才能をメディアという窮屈な箱に閉じ込めることは不可能だ。茂木健一郎とビールは生がオススメです。
※5自分で言っておいて何ですが、この例えは言い得て妙で、現在進行している変革は黒船に匹敵するといっても過言ではありません。ただし、その変化が仮想空間のなかで起きているので目に見えないため、ちょんまげ侍どもは気づきません。

追悼橋本治

師匠が亡くなった。
師匠と言っても僕が勝手にそう呼んでいるだけで、当人はご存知ない(はず)。
そんな一度もお会いしたことはない方をどうして師匠と呼ぶに至ったのか、それはすこしややこしい話になる。
けれど、ややこしい話は師匠の十八番だったので、弔いにはうってつけに違いない。
追悼の意を込めて、このブログを捧げたい。

僕が橋本治という名を初めて知ったのは、忘れもしない、今から約20年ほど前。
なぜそんなことを覚えているかというと、大学に入学して初めて購入した本が『貧乏は正しい』だったからだ。※1

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大学の生協に平積みされたあまたある文庫本のなかでも、ひと際目を引くそのタイトルに惹かれてジェケ買いした。
バブルの残り香が漂う時代にあって、「若い男は、本質的に貧乏である」という一文から始まる本書は明らかに異彩を放っていた。
僕にとっては、貧乏であることを肯定してくれた唯一の理解者であった。
ただ正直その時は内容をあまり理解できなくて、一読して、そのまま本棚に放置しておいた。
捨てなかったのは、タイトルがカッコよく、本棚がばえた(映えた)からだ。

本当の意味での出会いは就職活動の時だった。
就活というビッグイベントにのぼせていた僕は御多分に漏れず、就活ゲームの頂点に君臨する電〇だの、博〇堂といった広告会社を、大してよくも知りもしないのに志望した。
ただどうやらそれなりに本気だったらしく、業界研究の一環として月刊誌『広告批評』という、明らかにその筋の人しか読んでいなさそうなマニアックな雑誌を3年生の冬休みくらいから購読しはじめた。
広告業界との縁はあっけなく就職活動が始まってすぐに切れてしまったが、『広告批評』との付き合いだけは廃刊する※2まで続いた。
その『広告批評』で「ああでもなくこうでもなく」という時評を論じていたのが、橋本治だった。
もちろん『広告批評』という雑誌そのものも面白かった。
そうでなければ購読し続けなかっただろうし、バックナンバーを集めたりもしなかっただろう。
だが、私の購買意欲を掻き立てたのは「ああでもなくこうでもなく」に負うところが大きかった。
テレビなどで論じられる時評にはない”何か”があった。
コメンテーターが御託を並べることができるのは、僕らがアクセスできないような情報(たとえばワシントン筋の話だとか、中国の裏事情など)を入手しているからで、それは単なる物知りに過ぎない。
しかし、橋本治は僕らとほとんど同じくらいの情報量しか持たずに、いやそれどころかスポーツ新聞の情報だけを頼りに、同時代の出来事を論じていた。
いつも「わからない、わからない」といいながら、いつの間にか真理に到達している。
それが知性とよばれるものであることに気づくのはのちのことであるが、これこそ僕がずっと探し求めていたものだということだけは一目でわかった。
それから手に入る限りの橋本治の本を読み漁った。
学生時代『貧乏は正しい』たった1冊だった橋本治の書籍は、今では下の写真のような有り様だ。

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橋本治フリークっぷりは世界でも10本の指に入るのではないとかという自負がある。※3
数えてみたところ本棚には113冊※4の橋本治本があった。
113冊も所有している僕も僕でどうにかしているが、それ以上の本を世に出していることの方が驚異的だ。※5
ジャンルは多岐にわたる。
「ああでもなくこうでもなく」のような時評や本業の小説以外にも、古典の現代語訳である『双調平家物語』『窯変源氏物語』『桃尻語訳枕草子』や『三島由紀夫とはなにものだったのか』『小林秀雄の恵み』などの評論といったアカデミズムの王道を進むかと思いきや、
『男の編み物』というセーターの本や恋愛論、イラストなどジャンルが多岐にわたるというより、ジャンルという概念そのものがない。
歴史学・文学・宗教学・経営(組織)学・経済学・社会学・美術史まだまだ他にもありそうだが、学問の枠組を超越し、人文科学そのものを体現した、まさに知の巨人である。

大いなる知性の持ち主である橋本治と同じ時代に生きられたことに感謝しかない。
こういう人が同時代にいるというのは、本当に幸福なことだと思った。
そのことを誰かに告げたかったが、まわりには誰もそれを言う相手がいなかった。
いなかったし、言ったとしても本当に不思議なことに、橋本治の偉大さを共有できた体験は数えるほどしかなかった。
だから、僕と橋本治は常にマンツーマンの関係だった。
今思い返すと、とても楽しい個人レッスンに思えてきた。

社会人になると不真面目な学生時代の反動で、世の中のことを知りたいという好奇心を抑えきれなくなった。
世界の成り立ちについてもっと知りたい、何で世の中にはこんな仕組みになっているのか、どうして人間はこんなふるまいをするのか、それを理解したい。
でも、自分にはまだわからない、だから知りたい。
そういう自分自身の無知と無力さに対する不全感の塊のような状態だった。
しかも、何から学べばよいのかわからない。
誰から教えてもらえばよいのかもわからない。
会社と家を往復しているだけの生活の中でいくら周りを見渡しても師匠と言えるべき人はどこにも見当たらなかった。
だから、独学で学び始めることにした、いや、学ぶしかなかった。
まずは、なぜか宗教のことを知りたいと思った。
そのころは、インターネットビジネスだの株だのが流行した当時で、「宗教のことを勉強してなんの役に立つんだ」と直接誰かから言われたわけじゃないが、そういう冷ややかな視線にさらされていたことだけは覚えている。
お金も嫌いじゃないが、直感的に宗教のことを理解する必要があると感じた、そうとしか言いようがない。
あえて理由をあげれば、高校時代に見聞きしたオウム真理教が影を落としていたのだろう。
それに、僕たちはすでに2001年9月11日以後の世界を生きていた。
だが、この時の直感は今でも正しかったと思う。
スティーブ・ジョブズが言うように、「あなたの心と直感は、あなたが本当は何になりたいかを知っている(they somehow know what you truely want to become)」のである。
宗教を理解するにあたって、無数にある宗教本のなかから僕が選んだのは偶然にも『宗教なんてこわくない!』だった。
橋本治宗教学者でもないし、『宗教なんてこわくない!』はベストセラーでもない。
でも、なぜか手元には『宗教なんてこわくない!』があった。
本当に不思議なことである。
内田樹は「本当に強い不全感を持っている子供は必ず「この人について行けば大丈夫」、この人なら、本当に自分が何をしたいかを教えてくれるという直感が働きます。」と言っているが、まさにその通りでした。
ここから私と橋本治の関係性は変わった。
恋に夢中になったときは『ぼくらのSEX』※6を読み、会社内で不条理を感じた時は『上司は思いつきでものを言う』を読んで溜飲を下げた。
歴史を生業とすると決めた時に出会ったのが『江戸にフランス革命を!』で、『窯変源氏物語』は挫折したけれど、『双調平家物語』を全巻読破することで歴史的思考力が磨かれた。
ミスターチルドレンの『1999年、夏、沖縄』じゃないが、「平和とは自由とは何か、国家とは家族とは何か」なんてことを考えるときもすぐそばにいてくれた。
このころの僕の読書ノートは1冊まるまるほぼほぼ橋本治で埋め尽くされている。
会社の社員寮の誰もいない食堂で消灯になるまでノートに一心不乱に書き続けた。
それを不憫に思った寮長が部屋用にテーブルをくれたのはいい思い出だ。
全然勉強しなかった学生時代が嘘のように、寸暇を惜しんで橋本治まるごと、つまり、文体はもちろん思考そのものをインストールしようと激しく勉強した。※7
単位がもらえるわけでも、給料が増えるわけでもないし、資格を手に入れられるわけでもない。
学ぶことに理由なんていらなかった。
なんだか分からないけど、「これがやりたい。これを学びたい。この人についてゆきたい。」と思ってしまったのだ。※8
こうしていつのまにか橋本治は師匠のような存在となった。※9

足かけ10年も続くこのブログのタイトルをああでもなくこうでもなくとしたのも、もちろん師匠へのオマージュが込められています。
今回の訃報を受けて、あたらめて著作の一部を読み返してみましたが、驚いたことにそこに自分がいました。
今の自分のマインドセットやワーディング、思考そのすべてがそこにありました。
僕自身を語るにあたって、いまや橋本治を抜きには語られないほど大きな存在となっていることに、改めて気づかされました。
教育の効果は事後的にしか分からないとは、まさにこのことでした。


ありがとうございました。
教育の意味を言葉にできるぐらいには成長できました。
僕も誰かにとっての橋本治になれるよう知性を追い求めていきます。
安らかにおやすみください。

 

※1嘘のような本当の話で、我ながら自分の学びセンサーの感度はあなどれない。ただ『貧乏は正しい』というタイトルは、高度消費社会のただなかに取り残された金ももたずアイデンティティも確立できていない苦学生の僕を肯定するのにぴったりの言葉だった。
※2このときの喪失感も大きなものだった。
※3書籍化されてない雑誌の投稿も、大学の書庫をひっくり返して探し出すほどハマった時期もあった。
※4もちろん出版された本を全て持っているわけではないので、おそらく著作は200冊はくだらないと思う。
※5橋本治も言っているが、知性には体力が必要だ。
※6この本はカバーをせずに持ち歩くのが恥ずかしかったけれど、肌身離さず持ち歩いた思い出深い本だった。
※7昼休みが始まると、一目散に一人で公園にいって、ひたすら橋本治を読んでいたことを思い出す。
※8その知性を手に入れたい(間近で見てみたい)と本気考え、サラリーマンを辞めた頃、一度本気で助手になれないか思案したほどだ。
※9内田樹も、「書物を読んで、「あ、この人を師匠と呼ぼう」と思って、会ったことのない人を「師」に見立てることも可能です(だから、会っても言葉が通じない外国の人だって、亡くなった人だって、「師」にしていいのです)。」と言っているが、まさにその通りです。

最終講義「日本(世界)はこれからどのような道を歩むのか」

今日で君たちの前で授業するのも最後となりました。
最終講義などと仰々しい表題を掲げてみましたが、一度使ってみたかっただけです。
私から君たちに贈るささやかなエールだと思って聞いて下さい。

 

日本(世界)はこれからどのような道を歩むのか?
すでに始業式の講話※1で、少子高齢化をキーワードに国力の低下と人生100年時代については説明しましたが、今日は一応日本史の授業中なので、歴史を切り口にアプローチしていきましょう。

未来学者の、そんな職業があるんですね、驚きです。
それはともかく、その未来学者のアルビン・トフラーの理論をあてはめると、人類の歴史は農業革命、産業革命、情報革命という3つの大きな社会構造革命によって特徴づけることができます。
歴史学では、古代→中世→近世→近代→現代にセグメント化するのが定説なのに対して、トフラーはたった3つの革命で説明したのだからとても大胆ですが、それゆえに核心的と言えます。

革命とラベリングしただけあって、革命以前と以後では、世界そのものが一変しました。※2
つまり、革命によって社会のコードが塗り替えられるのです。
分かりやすくするために板書しながら説明していきましょう。

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農業革命を規定するコードは農本主義とよばれ、農業が主要産業となるので当然土地をどれだけ持っているかが権力となります。
日本史で言うところの縄文時代から弥生時代にかけて起きた転換がそれに該当します。
次に、産業革命によって資本主義が始まると、お金が権力の源になります。
明治維新というより、厳密には江戸時代のペリー来航が日本史における転換期と言えるでしょう。
ラストの情報革命は、なうです。
つまり、君たちは革命の真っ只中にいるということになります。
それは、私の感覚では1995年から始まりました。
1995年に何があったかというというと、すぐに思い出すのは阪神大震災地下鉄サリン事件でしょう。
この2つの事件によって国家が描く大きな物語が社会から瓦解していきました。
しかし、忘れてはいけないのは、Windows95が発売された年でもあるということです。
Windows95によって、コンピュータを個人が所有する時代が始まり、コンピュータの普及はインターネットの発展を促しました。
インターネットの出現によってもたらされた情報革命によって、情報そのものに価値があることが初めて認識されるようになりました。
それが知識主義です。
ところがそれも長くは続きませんでした。
情報そのものの希少性が失われていくにつれて、感性主義という共感ベースのコミュニケーションの価値が高まっていったのです。
その時代の波に乗ったというか、その時代を切り開いたのが、GAFAです。
GoogleAppleFacebookAmazonのことですね。
現代において、これらの企業とまったく関わりをもたずに生活している人は、おそらくほとんどいないでしょう。
そこではフォロー数やいいね!に表象されるエンゲージメント※3が価値をもちます。
有名なところでいうと、キングコングの西野やホリエモンなんかが、そのような生き方を体現しているといえます。
彼らはよく「お金に興味はない」と発言していますが、正確にはお金より信用の方が価値がある時代だと言っているのです。
ここまで説明せずとも、お金だけで価値が決まる時代ではないことは、スマホ世代の君たちの方が強く実感していることだと思います。

 

問題なのは大人の方です。
洗濯機や冷蔵庫のない世界など想像できないように、我々は、もう産業革命以前の世界には戻れません。
同じことが情報革命にも言えます。
しかし、大多数の大人たちは、この変革をいまいち理解できていません。
理解できないだけならましなのですが、彼らは既得権益を握り、離そうとしません。
そして、まるで変化などなかったかのように振る舞います。
あるいは取るに足らないことだと無視することもあります。
変化を拒むということは、チョンマゲで街を歩くことと大差ありません。
時代遅れもいいとこです。
人口減少という局面にもかかわず、いまだに経済成長モデルから脱却できないのがいい例です。
そのため若者たちが社会に出たとしても、本来ならば社会を変えるために使われるはずのエネルギーが、変わるべきはずの古い社会に適合するために無駄遣いされています。
だからいつまでたっても社会がアップデートされない。
そんな大人たちに業を煮やし、最終手段として改元という名の強制シャットダウンを行おうしているのではないかと邪推したほどです。
元号は世の中が変わったことを集団的に合意するための伝統的な装置として非常に有効なツールです。
今このタイミングで元号を変えるということは、「時代は変わった、価値観も変えないとだめだ」というメッセージに他なりません。
そこまでしないと、大人の目は覚めないのです。※4

 

だから、君たちは「いい子ちゃんをやめろ」。
いい子ちゃんとは、先生にとって、大人にとって都合の良い生徒です。
右向け右と言われたら、きちんと右を向くことしかできないように鍛えるのが未だに教育の前提となっています。
管理するためです。
君たちはとても礼儀正しい。
身だしなみも完璧だし、気持ちの良い挨拶もできる。
半面、大人に忖度して自分たちの気持ちを押し殺すのが日常茶飯事になっていませんか。
私の目には、大人の言うことに疑問をもちながらも抵抗もせず、望んで管理されようとしているように見えます。
それはまるで、ピイピイと口を開けて、親鳥が餌を運んでくれるのを待つひな鳥のようでした。
その方が楽なのでしょう。
しかし、先ほど申したとおり、大人たちが描く未来はもはや時代遅れなのです。
大人が管理する未来は明るくありません。
そこはレッドオーシャンです。
私も管理の一端を担っていたので心苦しくもありますが、情報革命後の世界では指示されたことしかできない人間は必要なくなります。
そうした人材はコモディティ化し、AIとロボティクスの進化により、代替されていくからです。
AI脅威論が流布していますが、AIとはつまるところ、指示されたことしかできないダメ社員にすぎません。
おそるに足りません。
ただし、指示されたことに対しては極めて優秀です。
だったら、同じ指示されたことしかできないダメ社員ならコストの安いAIに分があります。
従順であることにもはや価値などありません。


先日、就職活動をしている卒業生とバッタリ会いました。
そこでどんな会社に就職したらよいか尋ねられたので、受け売りですが※5、こう答えました。
「ママの知らない会社に入社しなさい。」
今知っている有名な会社は、ピークアウトします。
1950年代に製鉄で働いていた人たちはいまどうなっているか。
1960年代に重工業系に携わっていた人たちはどうなっているか。
20年前GAFAは無名に近い存在でした。
それが今では4社の時価総額は合計で3兆ドルを超え、GDP世界4位のドイツと肩を並べるほどになりました。

たとえママが知っている会社であったとしても、中身はもはや別物です。
今年の正月に掲載された2つの新聞広告をみてください。

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日本を代表するナショナルカンパニーであるトヨタPanasonicの広告です。
トヨタはクルマをつくる会社ではなく、モビリティ・カンパニーになるとあらためて強調しています。
Panasonicももはや家電の会社ではなく、「くらしを、世界をアップデート」する会社と再定義されています。

君たちは、世界観・自分観・人生観そのどれをとっても、親の世代とは決定的に異なる人生を歩むのです。
親をないがしろにする気は毛頭ありませんが、親を喜ばせるために生きているのではありません。
君たちは、君たちの人生を自分でデザインして生きていかねばなりません。
親世代のようなレールはどこにもありません。
あなたの人生はあなたが決めるのです。
親から「あんたのことはよう分からん」と言われるようになったら一人前です。
それは勲章のようなものです。

私は、その勲章は遊ぶことによってしか手に入らないものだと考えています。
もちろん勉強を否定しているわけではありません。
遊びとは、他に目的を持たない行為であって、人によっては勉強もそこに含まれるでしょう。
あとさき考えず、何かをしてみて、未知の心の動きを味わう。
それが遊ぶということ。
経済合理性で測ることはできないものです。
ただそのことがおもしろいというものを見つけ、世界や日本を舞台にして遊んで欲しい。
そこで出会ったモノや人や体験は、きっと君たちの人生をデザインする時に役に立つはずです。


最後に、変化を恐れてはいけません。
変化を楽しんでください。
君たちのわくわくする気持ちを大切にしてください。
2年間ありがとうございました。

 


※1「学校改革推進部長(ソーシャルデザインラボ所長)講話2019」参照
※2この理論のさらにおもしろいところは、それぞれの革命によってライフスタイルは一変し、再定義されるということです。コミュニティとなる人の拠り所は、農業革命→産業革命→情報革命と連動して、ムラ→会社(組織)→ネットへと移行していきました。当然家族形態にも影響は及び、イエ→核家族→シェアハウスへと変態しています。さらに驚いたのが性の変遷です。先日『ボヘミアン・ラプソディー』という映画を見たのですが、感動的な余韻に浸っているときに、ふとあることが気になりました。最近やけにLGBTをテーマにした映画が多いなということです。そう、LGBTも情報革命の賜物だったのです。このように、革命以前・以後では家庭・仕事・余暇などもすべてが再定義されていくのです。
※3SNSにおけるエンゲージメントはファンやフォロワー、コンテンツを見た人との「つながり」や「絆」をあらわす
※4昭和から平成にかけて行われた強制シャットダウンでは、大人はバブルという夢から目をさますことはなかった。
※5元・グーグルの村上憲郎の言葉。出典は『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?』日野田直彦