地震をめぐる歴史談義

訳知り顔で人は、「歴史は繰り返す」と言います。
また、「歴史とは現在と過去との対話である」と言う歴史家もいます。

批判は多々あるのは承知ですが、
ここで、真理について議論する気はありません。


歴史を生業にしている者としてみれば、
事実を羅列しただけの世界など耐えることができません。
それは、サッカーゴールのないサッカーのようなものです。

本当は意味などないのかもしれません。
しかし、歴史に意味があると仮定するならば、
歴史に意味を与えているのは、まさに
「歴史は繰り返す」という信憑であったり、
「歴史とは現在と過去との対話である」という
回顧と展望であったりするのだと思います。

人は意味があるから歴史を学ぶのではありません。
歴史を学ぶことで意味が生まれるのです。
つまり、意味があると信じた者には、意味があり、
意味がないと信じない者には、無意味であり、
現在から参照されればされるほど、歴史は重みを増す。
歴史的事実についての網羅的なリストが長くなれば長くなるほど、
その事実の「メッセージ」は奥行きを増す。
これが歴史の構造なのだと思います。



マクラが長くなりましたが、今回の東日本大震災を、事実ではなく歴史として刻むために、私たちが帰趨的に参照できるものは、関東大震災のほかに持たない。

この二つの地震では、規模や、原発津波といった地震の性質の根本的な相違点はあるものの、被災者の第一優先ニーズが情報であるという点は符合しています。

被災者は、超飢餓ベースの状態に置かれながらも、
暖をとるための毛布ではなく、
空腹を満たすための食料でもなく、
移動するためのガソリンでもなく、
目下のところ、腹の足しにも、背中を押してくれるわけでもない
情報を渇望しています。


人間は、知るということによって知識を吸収するだけでなく、
精神的な安定も得ているのでしょう。

ところがそれが遮断されてしまった。
その時、関東大震災では、何が起こったか?



「かれらが知ることのできるものと言えば、それは他人の口にする話のみに限られた。根本的に、そうした情報は不確かな正確をもつものであるが、死への恐怖と激しい飢餓におびえた人々にとってはなんの抵抗もなく素直に受け入れられがちであった。そして、人の口から口に伝わる間に、憶測が確実なものであるかのように変形して、しかも突風にあおれらた野火のような素早い速さでひろがっていった。流言はどこからともなく果てしなく湧いて、それはまたたく間に巨大な怪物に化し、複雑に重なり合い入り乱れ人々に激しい恐怖を巻き起こさせていった。」

「流言は、「社会主義者が朝鮮と協力し放火している」という内容でした。日頃から革命を唱えていた社会主義者の一群は、無警察状態になった日本の首都東京を中心に積極的な活動を開始するかも知れぬと判断され、また祖国を奪われ過酷な労働を強いられている朝鮮人が、大災害に伴う混乱を利用して鬱積した憤りを日本人にたたきつける公算は十分にあると思えた。かれらは飢えと渇きに襲われ、死の予感にもさらされて神経は極度に過敏になっていた。かれらの間には、さまざまな流言が果てしなくかすめ過ぎ、その都度かれらの恐怖はつのっていった。かれらは、些細な噂にも強い反応をしめす異常な人間集団になっていた。」



いわゆる風評被害というやつの最たる例です。
この風評により東京は狂気のるつぼと化し、災害ではなく人災として何千人という人が虐殺されることになった。


現在も、不安、不信の揺れ幅が時間を追うごとに大きくなっている。
ひとびとが不寛容になり、常時ならなんでもない冗談や、身勝手な行動や、
軽口に対して、いまそんなことをやっている場合ではないといった同調圧力が高まっている。



人は歴史を、過去のことだよということができるだろうか。
カール・マルクスはこう付け加えている。
「歴史は繰り返す・・・一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」

誰もこれ以上の悲劇も、喜劇も求めていない。
そのためには、流言が日頃の抑圧された人間の暗部を開放するものであってはならない。
すべてを十把ひとからげに解決できるヒーローなんていない。
迂遠だが、一人一人が自分としっかり向き合うこと、
いつの時代も、どんな時も、どこでも、普遍的に大切なことは、
きっとそんなシンプルなことなんだ。