織田信長が能を愛した理由

月に1度は内田樹先生の講演を拝聴し、サイン本を二冊も保有している自他ともに認める内田樹ファン、通称「タツラー」である私は、先日梅田で行われた内田樹コラボ企画「お能の夕べ Vol.6」に当然のごとく参加した。今回の企画は、大倉流宗家の大倉源次郎さんとシテ方喜多流長島茂さんを迎え、能楽の合間に対談を行うという企画であった。(内田先生の深みは、異業種交流にあると思う)

大学時代の同じゼミ生が能の研究会に所属していたため、能は何度か鑑賞したことはあったが、”能楽”となると初体験だった。結論から言うと、不覚にも初めて、内田先生の前で寝てしまった。しかも、寝ていることを大勢の前でイジられたようである。(妻の糾弾によって初めてその事実を知った。)しかし、眠ってしまったことこそ、能楽の真髄を表現しているのである。その理路を以下に述べる。


能のシテ方の声は腹に響く。そして、その響く声に太鼓の音がグルーヴィ感を増大させる。すると、観客の身体においては、共振・共鳴現象が発生する。身体がほっこりし、パワーが漲る。レゲェやテクノで一種のトランス状態に陥るように、能楽では身体が血湧く。それに、この日は会場がジャズバーだったため、酒がその効果を一層促進する。酔っぱらうと動悸が速くなるが、酔っぱらった上に能楽によって共振した身体の血管は、ストロー程度の管がドラム缶ほどに拡張した。その結果、私はこれまでかつて経験したことのないほどの深い眠りに落ちた。(妻がいくら起こしても、決して起きることはなかった。)織田信長は、能をこよなく愛したという。本能寺では、幸若舞「敦盛」の一説を舞った。つまり、生死の瀬戸際でさえ能を欲した。おそらく信長が能を愛したのは、眠りと関係しているだろう。くしくも、内田先生も初めて能を鑑賞したとき、眠りの世界に誘われたと述べていた。信じられないなら、一度能を見に行けばいい。イチローの打率より高い確率に寝てしまうだろう。酒を飲んでいれば、その確率は飛躍的に増大する。おそらく、信長も酒を飲みながら能を鑑賞したであろう。その後に信長が取った行動は、容易に想像できる。信長が癇癪持ちであったことは有名だ。おそらく現代でいえば、信長は一種の神経症だったのだろう。神経症の典型的な症状が不眠である。信長は不眠であったという仮説を採択すれば、信長が能を愛した理路は明白である。睡眠薬もない戦国時代に、信長は能から睡眠と深い睡眠の後に訪れる覚醒を手にしていたのである。信長の天才ぶりを裏付けるエピソードは枚挙にいとまがない。桶狭間の戦いにしろ、秀吉を登用したことにしろ、楽市・楽座にしろ、安土城にしろ、それらはインスピレーションなしには物語れない。インスピレーションとは、「直観的なひらめきや瞬間的に思い浮かんだ着想。霊感。」のことであるが、能が霊性を包括していることは、そのコンテンツからして明らかであるが、能は脳に刺激を与え、直観的なひらめきや瞬間的な着想をも来臨させる。現に、昨日の私は、あふれ出すひらめき、次々と連鎖反応を起こす脳内パルスの刺激によって眠ることができなかった。寝付きのよい私が寝れないというのは、野球でトリプルプレーが起きるのと同じくらい珍しい。ジャズバーでの深い眠りが、深夜の睡眠を阻害したのかもしれないが、それだけで連鎖反応的刺激は説明できない。新しいアイディアは「枕上」、「馬上」および「厠上」の三上において生まれると言われているが、私の場合もっぱら「馬上」(現代でいうなら電車の中)であった。それが能という刺激を得て、「枕上」にシフトした。信長は、能によって不眠症の解消と政策立案能力の2つを一挙両得したのではなかろうか。それでなければ、超合理主義者である信長があれほど能を愛した理由が他に見当たらない。