最後のメッセージ

別れの季節である。本年度の卒業生とは、ずいぶんと縁深かった。彼らに対してのささやかなお礼として、以下のメッセージを送ったので、それを転記します。



真新しい制服に身を包み、桜舞う季節に初めて***高校の正門をくぐった3年前を思い出してください。あの頃のあなたは、今のあなた、つまり3年後のあなたを想像できたでしょうか?

 「できた」と答えることができた人は、ある意味成長していません。「できなかった」と答えることができた人は、成長した証拠です。”成長する”とは、今の自分が身につけている能力を高めることが本義ではありません。”成長する”の本義は、成熟することであり、別人になることです。つまり、今の君達に当てはめるならば、子どもから大人に変わることです。第35代アメリカ合衆国大統領J・F・ケネディは、「国家が諸君のために何をしうるか問いたもうな、諸君が国家のために何をなしうるかを問いたまえ」という言葉を残しました。今までの君達は、学校が、社会が用意した道をただ真っ直ぐ走ればよかった。ただし、これから先は、大人が舗装した道はもう用意されていません。なぜ道を作るのか、どこに道を作るのか、どうやって道を作るのか、どんな道を作るのか、誰と道を作るのか、そのすべてを自分で決定しなければいけません。子どもならば、ただ与えられたものを待てばよい。しかし、ケネディが言う「国家が諸君のために何をしうるか問いたもうな」とは、子どものままじゃいけないよという一種の警告です。「諸君が国家のために何をなしうるか」が大人であることの要件であり、これからの君達は、自分自身の力で何かを創り出すことを求められるようになります。見た目が大人の子どもがのさばる現状は、まさに目を覆いたくなる惨状の呈をなしています。その原因の一端は、我々教育者にもありますが、現代社会に瀰漫するモラルハザードの主たる原因の1つが彼らであることは明らかです。君達には、そんな未熟な大人になって欲しくないというのが私の切なる願いであり、君達を成熟させることが私の使命だと考えています。そんな想いを込めて、君達に最後のメッージを贈りたいと思います。

 大学に進学するにせよ、就職するにせよ、これから先の道で、君達はこれまでの”ものさし”が効かなくなる局面に遭遇することでしょう。どうふるまっていいかわからない時、適切にふるまう秘訣は、「ディセンシー(礼儀正しさ)」・「柔軟な思考力(身体に根ざした思考)」・「コミュニケーション能力」の3つにあります。これら1つ1つが、どうして役に立つかは敢えてここでは述べません。でも、私もそこまで意地悪じゃないので、どのようにしてこれら3つの力を涵養するのかについて、伝授したいと思います。

 それは、金科玉条として「冒険をすべし」、「出会いを大切にすべし」を持つことです。もったいぶった割には、平凡じゃないかと思ったかもしれません。しかし、平凡の先にしか偉大はありません、真実は平凡のなかにあります。冒険には、当然危険が伴います。絶望的なまでの孤独、異邦人に対する奇異のまなざし、暴力・詐欺・病気などの身体的危機、理不尽な世界に、自分の価値観はアッという間に崩壊してしまうでしょう。しかし、人間は生存危機に瀕すると、まるで死の淵から蘇ったサイヤ人のように驚くべき力を発揮します。私自身、インドやロシアから帰ったとき、まるで超サイヤ人のような気分になりました。それが、別人になるということなのです。冒険に出会いは付きものですが、日常の中にあるありふれた出会いも大切にしてください。1本の映画が人生を変えてしまうかもしれない。目の前にいる奇抜な青年が、一生の友となるかもしれない。絶望の淵に救いの手をさしのべる言葉があるかもしれない。私自身、多くの出会いに導かれて、今この場所にいます、今の自分があります。これまでに手に入れた陳腐な自信やプライドはゴミ箱にでも投げ捨て、異なる価値観に飛び込んでください。その時、「ディセンシー」・「柔軟な思考力」・「コミュニケーション能力」の意味に気づくでしょう。意味なんてものは、無理に求めるものではなく、生きているうちに自然と目の前に現れるものです。先入観を捨てることができれば、君達の世界はもっと豊かになり、出会いは無限に広がります。そして、その世界が見える者を、私たちは大人と呼ぶのです。君達は、”見える”人間になって下さい。


 最後に、私が座右の銘としている言葉を贈ります。「痛みが人をつくる、人が歴史をつくる」。痛みを伴う困難に果敢に挑戦してください。歴史に主体的に関与するんだという高い志を持ってください。そうして切り拓いた未来は、きっと輝かしいことでしょう。君達の未来に幸多きあれ。2年間ありがとうございました。