わかりあえないことから

「生徒は別の惑星の生き物だと思え」

 最近では呪文のように心の中でこう唱えている。
“惑星”は言い過ぎかもしれないが、少なくとも彼らは、我々が育ってきた世界とは全く違う世界の中で生きている。
はた目には同じ世界で生活しているように見えるが、いまや誰もがスマホを通じてオンラインのなかに、自分だけの世界をもっている。
そこはサブカルチャーで論じられるところのセカイ系※1のようなイメージだが、彼らにとってときに現実以上の価値を持つ。
彼らは現実と仮想空間という二つの空間を自由に行き来し、ときにはミックスさせ、変幻自在に、縦横無尽に駆け回る。※2
デジタルネイティブである彼らが生きている世界は、アナログで育った我々と全く違って見えているはずだ。 

その証拠に、最近にわかに定着しつつあるラベリングが”昭和”である。
”昭和”というラベリングは主に若者が年長者に使うレッテルであり、簡単に言うと時代遅れを揶揄する言葉です。
彼らはひそかに一方的で古臭い価値観を押し付けてくる大人をそう呼んでいる。
もしかしたら、彼らの方が切実にそう感じているのかもしれない。
「大人とは同じ惑星の住人ではない」と。
問題なのは、大人の方がそのことに気づいていないということです。
年齢を重ねるとともに未来が減って過去が多くなるという引き算をすればわかることです。
「未来」という言葉を使うとき、四十代は教育を論じるなら今後二十年を、人生を論じるなら今後四十年をしか考えない。
しかし、二十代なら教育を論じるなら今後四十年を、人生を論じるなら今後六十年を想定する。
この違いには計り知れないものがある。
過去と未来どちらの方が厚みがあるかによって参照するデータが変わり、過去の方が厚みがある場合、経験値、つまりは成功体験が幅を利かすことになる。※3
つまりは昭和な人たちである。
成功体験というのは、魔物である。
特に出世した人間は魔物と共存し、それを正解だと考える傾向が強い。
だから自身の成功体験にあてはめ、生徒とはこういうものだという先入観で理解したつもりになるため、目の前の生徒が見えないし、見ようともしない。
さらに学校という舞台は、毎年同じ学齢期集団で構成され、入学式・定期考査・体育祭・文化祭・卒業式と同じルーティーンで1年が回っているため、毎年生徒は変わっているという当然の原理を忘れてしまう。
自分自身が年を取っていることにさえ無自覚になり、埋まりようがないほどに溝は広がる。

 さらに当たり前なことに、人は年齢を重ねるとともに、年上の人が減り年下の人が増えていく。
ということは、世界そのものもその構成年齢によってアップデートされている。
だから、次々に現れる後続世代から学び続けなければ、実は子ども理解などできないのだ。
しかし、そこに自覚的な大人が圧倒的に少ない。※4
大人も子どももそれぞれの惑星という居心地のよいぬるま湯につかっている間に、世代という断絶が生まれる。

 生徒と教員は同じという考えは、教師が陥る最も危険なピットフォールだ。
心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションを考えるハイコンテクストな学校は、分かり合えない場合、排除の論理に行き着くからだ。
しかし、人間はわかりあえない、わかりえない人間同士がどうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれないと考えるコーコンテンクストな学校ならば、同じ物語を紡ぐことができる。
つまり、彼らは全く別の惑星の生物だと思えば、わかりあえないことから始めることができる。
他者を理解するためには、観察と対話が必要不可欠になる。
観察と対話の絶対的な量や技術や習慣が欠けているから、学校は旧態依然でいつまでたっても変われないのだ。

 教員も生徒もハッピーな学校、それは夢物語だろうか?
学校現場に観察と対話の原理を根付かせ、多様性のある学校づくりこそ私が今取り掛かっている未来だ。
まずは、わかりあえないことから始めよう。

 


※1東浩紀セカイ系を「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」と定義している。
※2生徒が大人しくなり、いわゆる“いい子ちゃん”が増えたのもこのせいだと私は考えている。彼らには承認欲求を満たしてくれ、価値の拠り所となる仮想空間があるのだから、たとえ現実でそれらがなくとも困らなくなってしまったのだ。
※3さらに未来が5年、10年と短期スパンに入ると、過去を死守することを使命とし、未来が過去によって塗りつぶされてる人も多い。
※4ごく個人的な意見で一概に年代だけの問題でもないが、今や年上から学ぶものはほとんどない。どこかで聞いたことのある講釈をたれることがほとんどだからだ。一方若手の考え方は自分にないものも多く、そんな考え方や対処法もあったのかと驚かされることが多くなってきた。

ウィズコロナ

マスク必着の授業。※1
準備体操のない水泳教室。※2
入場制限されたジム。
無観客のプロ野球

アスリートまがいの生活をしていた私にとって致命的なことは、泳げなくなったことと筋トレを制限されたことで、ライフサイクルは一変した。※3
もちろん、最大の衝撃は休校措置による在宅勤務だが、すべての当たり前が当たり前でなくなった時に、当たり前のかけがえのなさに気づかされ、再開後はすべての当たり前が愛おしく感じられた。
その一方で、「何のために働くのか」、「どうやって生きるのか」、「授業とは」、「学校とは」と当たり前を問い直す貴重な機会となった。
だからこそ、徐々に日常を取り戻していくことに対して安堵感を覚える一方、本質的に何も変わらない社会に違和感をぬぐい切れない。
日常を取り戻すこととコロナがなかったかのようにふるまうことは同義ではない。
今までの日常を取り戻していくことが目的化し、コロナで露呈した物事の本質に蓋をして、見て見ぬふりをきめこもうとしているようにさえ感じる。
現に教育現場では、あれほど前のめりだったオンラインがもうすでに蚊帳の外に置かれつつある。
また、どう考えても感染予防の観点から研修旅行などできるはずもないが、強行される。
文化祭などの学校行事も同様だ。
子どもたちの思い出を奪ってはいけないという大義名分のもと、学校は思考停止状態だ。
夏の甲子園などはその典型だろう。
別に人生で一回くらい研修旅行がなかろうが、文化祭がなかろうが、いいじゃない。
逆にそのほうが思い出に残るくらいだ。
無責任に聞こえるかもしれないが、かつて僕も大学生時代一度も学園祭が開催されなかった被害者の一人だった。
だからといって、学生生活が灰色だったかというと、全くそんなこともなく、カラフルな日常だった。
大人が考えているほど子どもはピュアじゃないし、コロナという現実も理解している。
今教育現場は夏休みや冬休みを返上して、なんとかして遅れを取り戻そうとしている。
遅れとは卒業までに教科書を教えることであり、そのぶん学びは後退した。
その証拠に、教員間の会話で「どこまで授業が進んだか」を確認することが異常に増えた。
しかし、学びの本質を知ってしまった今、教えることに執着する必要はなかろう。

コロナによって社会は変わると思ったが、社会は変わるものではなく、変えるものだ。
マスクをしてごまして生きていくのではなく、世界と関わる手段としてマスクをするのだ。
コロナとともに生きていく僕なりの決意表明であり、当事者となって世界を変えていきたい。
 

※1たまにすごい霧に包まれる。めがねとマスクは相性が悪い。
※2私が通っている水泳教室は、スクール開始前に陸地で10分程度の準備体操を行っていたが、コロナ後は感染予防の観点から行われなくなった。
※3おかげで最近おろそかになっていたランニング量が増えた。何事も捉え方次第だと痛感する。

アフターコロナ

在宅勤務が唐突に始まった。
青天の霹靂とはこのことで、理念もへったくれもありゃしない、ただ「緊急事態だから」とだけしか説明されなかった。
つまり、今後の見通しはおろか、オンライン環境さえ整わないなかでの見切り発車なので実質的にはただの放牧である。
実際現場はカオスである。
YouTubeで動画授業を作成する先生もいれば、ぼーと過ごしている先生もいる。
しかし、リモートワークと無縁だった学校現場に導入された意味はとてつもなく大きい。
おそらく平時だったら、何年かかってもできなかっただろう。
わずか1年前には学校現場で使用することはタブーだったGoogleフォームやzoomといったテクノロジーさえも、あっという間に導入されていった。
それまで個人情報や公共性を理由に疑問を呈した人たちは口を閉ざし、何も言わなくなった。
非常事態は、歴史のプロセスを早送りする。
今は平時ではないのだ。
 
前回、「時代の転換期には新しい技術の登場とともに疫病や災害が発生することがままある」と指摘したが、逆かもしれない。
疫病や災害といった厄災を乗り越えるために新しい技術を必要とした。
そして、その新しい技術が日常の中に組み込まれていくことで、世界が一変する。
だとしたら、コロナという厄災は、世界に何をもたらそうとしているのか?
 
藤原和博さんが『10年後、君に仕事はあるのか?』という著書で、「世界の半分がネット内に建設され、人間がその世界で人生の半分を過ごすようになる」と指摘していたが、おそらくこれだ。
 
昭和世代にはピンとこないかもしれないが、辻仁成の息子が「ぼくらの時代の原っぱはネットのなかにある」といっているように※1、すでにデジタルネイティブ世代にとってオンラインとオフライン※2は等価値となっている。
それが、コロナによるソーシャルディスタンスによって物理的に人と人との接触が制限され、オンラインの価値が一層高まり、もはやオフラインを超越したといっても過言ではない。
最もテクノロジーが遅れている教育の世界ですら、オンラインを前提にした教育活動に再設計されつつあるくらいだから、すべての分野において、リアルは後退し、オンラインが当たり前になっていくだろう。
これがアフターコロナの世界の序章だ。
2001.9.11に世界は変わってしまうと感じたが※3、今あの時と似た気持ちで世界と対峙している。
どうせ変わるのならば、今度こそワクワクする世界にしたい。
 

※1 4/22朝日新聞朝刊
※2 違和感があるが、オフラインとは現実世界のこと。
※3 なぜかリーマンショックの時は全く感じなかった。

ポストコロナ

コロナは序章に過ぎず、われわれは今、時代の転換点に立たされている。
コロナ以前・以後の世界は全く異なったものとなり、コロナ以前と同じ世界は戻ってくることは二度とない。
あたかもコロナが未曾有の危機であるかのような錯覚に陥っているが、歴史を紐解くと、時代の転換期には新しい技術の登場とともに疫病や災害が発生することがままある。
歴史を学んだ者ならば、自明のことである。
それがいつかを予想することはできないが、いつかは必ず起きることだけは歴史が物語っている。
 
古くは、飛鳥時代
蘇我氏物部氏が大陸から仏教を受容するかどうかをめぐって激しく対立したことは有名な話だが、実はその陰に麻疹の存在があったことはあまり知られていない。
仏教というと古くさいイメージがあるが逆で、当時仏教は先端科学であった。
蘇我氏は推進派、物部氏は反対派に分かれ、国論を二分することになったが、この構図では物部氏がどうしてもヒールに映ってしまうが、物部氏は仏教を拒否することで大陸からのウイルスを阻止しようとしたという一面もあった。
どちらが正義かなどは立場や見方でいくらでも変わるからどうでもよい。
グローバルな競争力を高めるために仏教を受容しようとした蘇我氏も正義であり、麻疹を阻止しようとした物部氏も正義である。
重要なことは、蘇我氏が勝利したという事実であり、その結果仏教は受容され、仏教なしに日本を語ることなど不可能なまでに日本社会は一変してしまった。
 
同じく、戦国時代。
伝統的権威は失墜し、実力がものをいうこの時代の主役が織田信長であることに異論はなかろう。
その信長を象徴するイノベーションこそ鉄砲である。
鉄砲がなかったら天下統一はあと数十年遅れただろうと言われるほどで、鉄砲によって戦いの概念が変わり、世界は一変した。
一方で、鉄砲より30年以上も前に伝わった厄災がある。
梅毒である。
好色家の豊臣秀吉が梅毒であったことは有名な話だが、皮肉なものである。
鉄砲なしには天下人たり得なかっただろうし、梅毒ゆえに跡継ぎに悩まされ続けた。
そのどちらも西洋人から日本にもたらされたものである。
 
最後は、幕末である。
幕末は武家政権が終焉し、中央集権的な近代国家に転換する、歴史上最大のターニングポイントであるといっても過言ではない。
このときもたらされた技術は、とてもじゃないが1つに絞ることはできない。
産業革命であり、資本主義であり、民主主義であり、日本は別人になった。
そうした変化にあらがう時代のうねりが、攘夷運動や世直し一揆の原因であるかのように説明されがちだが、話はそう簡単ではない。
変化する社会も問題だが、もっと切実な問題がコレラだった。
一説によると、このウイルスによって人口の1%が死に至ったそうである。
コレラをもたらした異国人に対する憎悪が時代を動かした。

以上の三つの事例に共通する背景が、グローバル化である。
疫病は、グローバル化の副産物であり、流行病が日本に侵入した経路と、文明の道が一致していることがをそのことを証明している。
つまり、梅毒が九州から西日本、そして東日本に感染が広がったのと同じルートをたどって鉄砲は伝わっているし、コレラも同じく幕末開港貿易の最大の港である横浜港から全国にオーバーシュートした。

ここまで十分説明できたと思うが、あえて最後に追加したいのが、1995年である。
なぜなら、個人的にはこの年は戦後最大級のエポックメーキングな年だったと考えているからだ。
この年に何があったかは言うまでもない。
阪神淡路大震災オウム真理教による地下鉄サリン事件といったネガはすぐに思い出されるだろう。
じゃあ、ポジは何かというと、Windows95であり、インターネットだ。
95年を境に、IT化が急速に進展し、今やインターネットのない世界など想像できないまでに社会は変革した。
インターネットはグローバル化そのものなのだから、もはやグローバル化が厄災の背景にあることは疑いようがない。
 
 
21世紀になり、世界はいっそう密接につながっていった。
そして、AIという世界を一変しかねないテクノロジーが誕生した。
コロナはいつ発生しても不思議ではなかった。
東日本大震災はその警告だったのかもしれない。
東日本大震災が多くの人の人生に影響を与えたことはメディアなどを通じて伝え聞くところだったが、関西在住の私にとって、価値観や生き方を語られても鼻白むだけだった。
まだ教師としてよちよち歩きの2年目の頃だったから、無理もない。
ただ目の前の仕事でいっぱいいっぱいで、今思えば東日本大震災は他人事だった。
今回のコロナで、やっと気づかされた。
東日本大震災は、
「何のために生きるのか、どんな社会で生きていきたいのか、おまえには何ができるのか」
といった人生の意味を問いかけていたのだ。
価値観をアップデートしなければならなかったのだ。
東日本大震災を当事者として経験したしまった人は見てしまったから、生き方を変えたのだ。

私事だが、この一年はめちゃくちゃ忙しかった。
休みがないといったら大げさすぎるが、土日のほとんどは、トレーニングしているか、スキルアップの研修や講習に参加していた。
忙しかったが、ゴールも明確で充実していた。
しかし、コロナによって状況が一変した。
ジムは閉鎖し、大会という大会は中止され、研修や講習もオンライン化し、すっかり暇を持て余し、amazonプライム韓国映画を見まくるぐらいしかやることがなくなった。
学校に行っても、基本的に生徒がこないのだから、暇である。
これだけ暇だと、いやがうえにも考えてしまう。
このままでいいのだろうか?
何のために生きるのか?
今コロナで死んでも、悔いのない人生だったと言い切れるだろうか?
コロナによって露呈してしまった。
学校なんてこなくても子どもは成長するということを。
毎日会社に行く必要なんてないということを。
飲み会だって必要ないことを。
今まで慣習だとか、常識で覆い隠してきた労役に意味はないことに気づいてしまった。
世界は一変した。
いい加減、そのことに気づく必要がある。
いつまでも古い価値観にしがみつくのはやめにしよう。
コロナ以後の世界をよりよいものにするためには、時代が変わったことを受け入れるところから始めるしかない。

ダイアローグ・イン・ザ・ダーク

鷲田清一さんが『おとなの背中』で、知的障害のある児童のアート作品の制作を支援している知人の話を紹介していた。

夢中になって描いた絵に「すごい」「びっくりした」と声をあげると、その子はそれとは違った絵を次々に描いてくれる。ところが、絵ができて「よく頑張った」「よくできた」と声をかけると、次に同じ絵をまた描く。

さらに給食を例に、深い考察を加えている。

給食で、先生と「今日のごはん、おいしいね」と声をかけあうのでなく、「全部食べられましたね」と先生に完食をほめられたとたん、給食は味気ないものになる。教師が、一緒に食べる人ではなく、食べないでチェックをする人へと足場を移してしまうからだ。

示唆に富んだ話だと思う。
担任が息苦しく、生徒の主体性を奪うガッコウノワールは、この評価者というポジショニングの問題と無関係ではない。
担任でなくなると、とたんに風通しが良くなるのも、評価するポジションから解放されるからだろう。
アートや給食の例にあるように、大人が評価する側に回ると、子どもは成長を止め、大人の求める自分を演じるようになる。
子どもたちは驚くほどにクレバーで、大人の求める自分を演じることなど朝飯前だ。※1
子どもたちが評価されることを前提に行動することで、成長を図るものさしにすぎない評価は管理する道具となる。
その先にあるのが、教師のものさしや学校という制度の枠組に囲い込み、従順さを最上位目的に置いた強制と服従の教育である。
思考停止した教育現場では、評価が手段に過ぎないことは忘れ去られ、評価は武器として振りかざされ、教師は子どもたちを支配することへ疑問を感じなくなる。
 
話は変わるが、先日ダイアログ・イン・ザ・ダーク※2を初体験した。
意外にも暗闇の中で、見えないことによる不自由より見られないことによる自由を感じた。
見えないことにより視覚という制約から解放され、見えないものが見えるようになり、より自由により創造的になることができた。※3
存在しないものを音や匂いを手がかりにしてつくりだすことができる。
例えば、水音が聞こえれば川が流れ、木の匂いからは森林が感じられた。
何もないはずなのに、何でもある。
見られていないから、何でもできる。※4
暗闇の世界が、ものすごく豊かな世界であることに気づかされた。
目が見えないことは不幸だというのは健常者の驕りであって、健常者の方が不幸なのかもしれない。
我々は日常生活の中で常に他者の視線にさらされている。
行動は制限され、目に見えないものにまで忖度する不自由な存在だ。
それが評価となれば視線の強度はさらに増す。
評価という答えのある世界では、正答という従来の価値観に適合することが優先され、主体性や創造性を育むには限界がある。
なぜなら、主体性や創造性は、さまざまな価値観に触れながら、ひとりひとりが自ら価値判断していく多様性のなかで育つからである。
ガッコウノワールには多様性がない。
評価という一方的で、一面的なものさしが多様性を奪っているのならば、いっそのこと評価などやめてしまったらいい。※5
これからの子どもたちは、誰も今まで経験したことのない世界を生きていくことになる。
大人に服従する時代は終わった。
誰にも答えの見えない問題を大人と子どもたちが一緒になって考えることこそ、学校の担うべき役割ではないだろうか。

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暗闇のなかで対話※6するというダイアローグインザダークを通してブレイクスルーを経験した。
遊びの中にこそ学びがある。
そう確信している。
もっと学校に遊びを。
 
※1荒れた学校が激変している要因は、演じる自分という“分人”化がSNSの普及によって当たり前になったからだろう。演じれば傷つくこともないから、教師に反抗することもないし、理解されようとも思わない。学校は壁ですらなくなったので荒れなくなった。
※2完全に光を遮断した”純度100%の暗闇”の中で、視覚以外の様々な感覚やコミュニケーションを楽しむソーシャルエンターテイメント
※3 時間という感覚も喪失し、時間からも解放される。2時間のプログラムだったのだが、2時間経過したことが光のある世界で時計を見るまで信じられなかった。
※4 8人グループで体験したのだが、時間が余ったり自由時間に柔軟体操や筋トレしていた。極端なことを言えば、裸であっても誰も気にしない世界。光のない世界で生きている人が光のある世界生できたとしたら、健常者の作り上げた境界線だらけの世界はずいぶん窮屈に感じるのではないだろうか。
※5評価を放棄するなんて教育の自殺行為に近いアイデアは暗闇の中だからこそ考えることができた。やはり、自由だ。
※6会話と対話を区別し、対話とは異なる価値観などをすり合わせる行為をさす。会話はおしゃべり。

ガッコウノワール

年の瀬、#忘年会スルーが話題となったが、先立つこと3年、卒業を祝う会スルーを始めた。
本年度も出席するつもりはないので、4回目の卒業を祝う会スルーは確定的である。※1
勘違いしないでほしいのは、職場の飲み会そのものを否定しているわけではなく、げんに忘年会も歓送迎会もスルーしていない。
が、忘年会も歓送迎会も参加しているものの、お酌という風習を忌み嫌う私は、テーブルから一切移動しない。※2
テーブルを離れるということは、そのテーブルのメンバーを軽んじる行為と考えるからだ。
そんな行為が横行しているということは上司に媚びを売るためのイベントに加担しているということであり、スルーしたくなる気持ちがないと言ったら嘘になるが、100歩譲って忘年会や歓送迎会の意義は認める。
しかし、卒業式を祝う会は、一万円近く支払ってしかも3時間近くも、担任の自己満足に付き合うのはどうしても耐えがたい。
往々にして担任のコメントはとにかく長く、聞くに耐えかねるほどつまらないことも理由としてあげられるが、身内ネタも多いため、学年に関わらなかった部外者にとっては、退屈を通り越してもはや苦痛でしかない。
「自分で4,000~5,000円払って上司の話を聞くのはハードルが高い」というのが忘年会スルーの理由として共感されているように、私の場合ももともとは似たような動機だった。
ただ、そうは言っても現場の最前線にいる担任の苦労をねぎらうためには仕方ないと思って我慢してきたが、進路指導部長として仕事するようになって、ある疑念が生じた。
そもそもなぜ担任だけが祝われるのだろう?
学校という組織において、担任という職務はその一部に過ぎないし、この時は担任以上に生徒の進路に関わってきたという自負もあった。
1000歩譲って卒業を祝う会があるなら、教務部をねぎらう会や進路指導部をねぎらう会もあってしかるべきだ。
しかし、当然ながらそんなものはどこにもない。
学校という組織は、良くも悪くも担任に依存しすぎている。
その象徴が、卒業を祝う会という名の担任礼賛の儀式なのだ。
ならば行くのをやめよう。
私なりの意志表明だった。
担任制度に一石を投じると言えば、大げさだが、それぐらいの覚悟はあった。
だから、「何様だ」とか「波風たてるな」とかさんざん非難されたが、ひるむことはなかった。
今になって思えば、それは担任制度そのものに対して反旗を翻す行為であり、とりもなおさず学校文化を否定する言動だったのだから、非難されて当然だ。※3
そりゃ、体裁を取り繕って、自分を押し殺して黙って3時間我慢するほうがよっぽど楽だろう。
しかし、気づいてしまったのだ。
あまりにも当たり前すぎて誰も気づかなかった盲点、いや気づいていたとしてもコトが大きすぎて手出しできなかったガッコウノワール。※4
それこそ、担任制度である。
 

毎年4月、合格発表は少し前に終わったにもかかわらず、学校は悲鳴と歓声と雄叫びが入り混じった狂騒に包まれる。
そう、担任発表である。
誰が担任かによって人生が変わると言っても過言ではない。
それゆえ、担任の当たり外れで騒ぐのは春の風物詩となっている。
この光景こそ担任制度がガッコウノワールたる所以である。
生徒は担任を選べない。
“くじ引き将軍”足利義教もさぞ驚いているだろう。
運が人生を左右するという点において、中世社会のようである。
 
担任制度とは生徒が担任を選べないにもかかわらず、担任は絶対君主として君臨する非対称な関係から成り立っている。
運よく希望の担任に巡り合うこともあれば、ソリの合わない担任があてがわれることもある。
しかし、担任はすべての生徒にとっての担任であろうとする。
極端に言えば、自分の学級の生徒の人生全てを背負っている。
その使命感に正義と善意がトッピングされると、生徒を自分の思い通りに管理する「学級王国」が形成される。
思い通りにできないと不満がたまり、生徒に当たり散らす。
生徒は委縮して先生に合わせる。
そして、さらに生徒を自分の枠の中に囲い込み、自分の思い通りにしようとする。
エスカレートすると、言葉と行動だけでなく、心の中まで変えようとする。
もはやそれは教育ではなく、支配である。
ところが、正義と善意に支えられた行為だから担任に罪悪感は全くない。
「よかれと思ってやっているのだから、感謝こそされど文句言われる筋合いはない」というのが現場の肌感覚で感じ取れるホンネだ。
こうして熱意のある担任ほど、生徒たちの自立を奪い、従順な生徒を量産していくというジレンマに陥る。※5
やっかいなのは、クラスの評価が自分の評価と勘違いしていることだ。
学校文化の中には「担任できて一人前」という、どこにも明文化されていない不文律がある。
やれ、学力が下がったのは担任のせい。
やれ、遅刻するのは担任のせい。
挙句の果てには窓ガラスが割れたのだって担任のせい。
何か事件があると、真っ先に「担任は誰だ」という意識が脳裏をよぎる。※6
あらゆる問題が「あの担任のせい」になってしまい、学校で何か問題がおきたら「あいつが担任だからな」と思ってしまう。
いったん学級王国というフィルターを通ると問題はブラックボックス化され、さらに管理が強化されていく。

このように、担任システムは生徒の全てを1人の担任に委ねることになってしまいがちなため、生徒たちや保護者にとっての学級のよし悪しは、多くの場合、担任にひもづけられる。
学級の中で問題が起きれば、子どもたちや保護者は安易に担任のせいにしたり、また担任の方も自分で問題を抱えこんでしまったりする状況が生まれていく。
自律することを学ばない子どもは、物事がうまくいかなくなると、教師に責任転嫁をする。
勉強が分からなければ「授業が分かりにくい」と言い、忘れ物をしたら「聞いていない」と言い訳をする。
自分では解決できない問題やトラブルに直面すると、うまくいかない原因を自分以外の周りに求め、安易に他人のせいにしてしまう。
その成れの果てが、次の「18歳意識調査」にあらわれている。

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「自分で国や社会を変えられると思う」などという質問に「はい」と答えた人の割合は、日本がダントツの最下位だ。
これまでの教育は、社会に対しての当事者意識を奪っている。
姿勢を正して一斉に正面を向かせるのが教育ではない。
これからの世の中は劇的に変化する。
時代は変わったのにこれまでの通りの教育がまかり通っていてよいのだろうか。
グローバル化した世界で多様な価値観がイノベーションの源とされるのに、学校では画一化されたルールと教育で支配される。
時代が変わった今だからこそ我々を縛りつけている社会通念や古い常識をアンインストールし、アップデートしていくことが必要だろう。
自律した生徒を育てるのが教育の目的であり、担任制度はその手段に過ぎない。
担任であることに自覚的でなければ、教育は成立しない。
社会は変えられる。
最も身近な大人である担任が変われば、教育は変わる。
 
 
 
※1しかもそのうちの2回は進路指導部長という立場であるにもかかわらずスルーした。やんわりと注意されたこともあるが、思いのほかものすごい熱量で反論するので、注意すらされなくなった。ただ、罪悪感もなきにしもあらずなので、去年はオードリーのオールナイトニッポン武道館ライブ、今年は鹿児島マラソンを錦の御旗にして、ことを荒げないよう配慮できるぐらいに大人にはなった。
※2ただし、来る者拒まずなので、お酌しないわけではない。
※3担任制度に教育史史上初のメスを入れた麹町中学校の工藤勇一校長や桜ヶ丘中学の西郷孝彦校長などの改革が知られていない数年前の話ならなおさらだ。
※4ニッポンノワールをもじったものだが、ノワールとはフランス語で黒という意味だが、複合語の形で用いられ、暗部や正体不明の、などの意を表す。つまり、私が作った造語で、学校のガンという意味で用いています。
※5実は担任より部活動の方がよっぽどタチが悪い。
※6担任制度を非難している私でさえ、「先生が担任やったよかったのに」と言われると、優越感でほくそ笑んでしまう。担任という価値観が骨の髄まで染みこんでしまっている。

オードリー

このブログでは何度も書いているが、私はかれこれリスナー歴6年になるヘビーリトルトゥース※1である。
しかし、現実世界でオードリーのファンであることを明かすと、100%に近い確率で「なぜ?」というリアクションをされる。
それほどの熱量をオードリーに対して持っている人は、世間では希少種であって、嫌いじゃないけどあえて好きというほどでもないという人が大勢を占め、えてしてオードリー愛を語ると逆に気持ち悪がられる。
授業でカミングアウトしても誰も共感してくれない。※2
パソコンの壁紙を「オードリーのオールナイトニッポン」にしているので、まれに授業中に壁紙が黒板に投影されるハプニングがあるが、生徒の反応はほぼほぼノーリアクション。

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こんな壁紙
プロレスを壁紙にしていた頃は、教室がざわついたり、どよめいただけに、リトルトゥースとしては残念でならない。
最近では、説明するのが面倒なのでごく親しい人だけにしかリトルトゥースであることを明かさなくなってしまった。
一体オードリーのファンはどこに生息しているのだろうか?
まるで隠れキリシタンならぬ、隠れリトルトゥースである。※3
他のリトルトゥースたちもきっとどこかで、たった一人で息をひそめて暮らしているに違いない。
 
そんな肩身の狭い思いをして生きてきたリトルトゥースたちのハレの舞台が、オールナイトニッポン10周年武道館ライブだった。
なんと全国各地から1万人ものリトルトゥースが武道館に集結し、全国30館の劇場でライブビューイングが開催された。
これは最低でも2万人近くのリトルトゥースが生息していることを意味する。
2万人と言えば、京都で言えば、あの天橋立で有名な宮津市の人口に匹敵する数字であり、ちょっとした町を1つ作れる規模である。
にわかには信じがたい数である。
隠れリトルトゥースと呼び、これまで会いたくても会えなかったリトルトゥースで、武道館が埋め尽くされている。
それどころか、クソダサいラスタカラーのリトルトゥースTシャツを臆面もなく身にまとってやがる。

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こんなのが何百人もいた

誰もリトルトゥースであることを隠そうとしない。

リトルトゥースであることが肯定されるという奇跡。
全てのリトルトゥースにとって、オールナイトニッポン10周年武道館ライブは至高の時間だったことだろう。
私自身もリトルトゥースで良かったと心の底から思えたし、これまでの不遇な日々が報われた気がした。

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気持ちは山王戦の石井君と同じだ。

もしろいとかおもしろくないとか、そういったものを超越し、ただそこにいるだけで幸せだった。
それほどまでに武道館は多幸感に満ち満ちていた。
 
 
だが、なぜ私はそれほどまでにオードリーに惹かれるのだろうか?
この問いは、40歳を迎える私にとって特別な意味をもつと直感した。
だから誰も興味がなくても書かなければならない。
私が前に進むために必要な儀式なのだから。
 
すでに2015年のブログ「プロレスにハマる」で、「同年代のお笑い芸人であるオードリーの、つまり同じ時代を生きた者にしかわからない、共感や笑いや下衆さがツボにハマった。」と言っているように、歳が近いことが最大の理由だ。
この歳になると、日常で自分の年齢を自覚することは難しい。
ともすると、まだ30歳ぐらいと勘違いしてしまう。
職業柄日常的に高校生と接触するので、中身は高校生と大差ないと思うこともあるくらいだ。
しかし、見た目はおっさんなのに言動が高校生だったら、そうとうイタイ奴だ。
イタイだけならまだましで、大きな過ちを犯しかねない。
意識的におっさんになるように自戒するためのセーフティーネットの役割を果たしているのが、オードリーのオールナイトニッポンである。
というのもオードリーのオールナイトニッポンも、月日の経過とともにどんどんおっさん化していった。
いまやおっさんラジオと公言しているくらいで、2015年当時と隔世の感がある。
ラジオを聞くたびに共感することも多く、自分もおっさんになったなぁと同窓会的なノリで相槌を打つことができる。
ラジオを聞き終わる頃に、いつまでも若くないんだぞって戒めるのはもはや日課だ。

例えば、若林はこんなことを言っている。
「若い時は、誰かに『ダサい』と言われるのが怖い。でも、オジさんになるとそういう自意識や承認欲求が薄れて、自分の好きなものに突き進めたりする。」
若いころに馬鹿にしていたプロレスや、ダセェと見向きもしなかったラグビーやアメフト、プロテインを飲むことを過剰な自意識が邪魔して近づけなかったベンチプレスも、おじさんになると抵抗感なく楽しめるようになった。
しかし、おじさんになると、いい意味でも悪いでも丸くなる。
感受性も鈍るし、成長どころかそう簡単に自分を変えることができなくなる。
なれのはてが、人の足を引っ張ることでしか自分の価値を証明できない輩である。※4
「この歳になると上達することがなかなか無い。性根は一向に改善されないし、前向きな性格なんて死ぬまで手に入らないし。急におもしろくならないし。誰かのハッとする言葉にもうハッとしなくなっている。何歳になってもあくなき挑戦を続ける原動力となりうる自己実現の欲求がもうない。」
「そういう意味で自分が変わったなと思うのは、他人と比べて『あの人より上に行こう』という気持ちで仕事をするより、自分が持っているカードをどうやってうまく使うかに集中するほうが実はすごく合理的なんじゃないかと思えるようになったことで。嫉妬するのは疲れる。エンジンの回転も落ちる。だから、より自分のことに集中するようになったというか」
春日「できる・できないが、だんだんはっきりしてくるじゃないですか。歳をとると。」
若林「歳をとると、もうどうでもよくなるもんな。誤解されたままでよかったりさ。どうにもなんないことを経験してね」
リトルトゥースな私は、他人と比較することをやめた。
自分の得意なこと、自分がワクワクするものに時間や労力を使う。
他人に嫉妬するのは時間の無駄だ。
おじさんの極意を伝授してくれる。
だから、カッコよく年をとれる。
 
そう、2つ目の理由は、単純にオードリーの二人はカッコイイ。
若林と春日は、ニコイチでR40世代の理想像といえる。
若林は、MCをそつなくこなし、IPPONグランプリでも優勝するほどのワードセンスをもつ、知性的な漫才師である。
一方の春日は、脳天気で悩まないが、最強の身体能力をもつ肉体美を磨いた漫才師である。
フィンスイミング世界大会で銅メダルを獲得し、ボディビルの東京大会では5位入賞し、水曜日のダウンタウンの「暑いと寒い結局寒いの方がツライ説」で暑い部屋に閉じ込められていても、ひたすら我慢し、50度に達した部屋に5時間26分12秒も滞在した、何があってもあまり動じない男だ。
若林という知性だけでは不完全で、春日という肉体だけでも理想とは言えない。
どちらか一方ではダメなのだ。
トムブラウンのごとく若林と春日を合体させることができたら、それはR40世代の理想像となるということに気づいた。
すべてのR40は若林か春日のどちらかを追い求めて生きている。
だから、あこがれる。
 
3つ目は、情報をデトックスするためだ。
世の中は超情報化社会と言われるが、情報量が増えれば増えるほど人は思考しなくなる。
逆説的に、人の本能は情報と隔離された状態を求めている。
オードリーのオールナイトニッポンは、たまに金言があるが、ほとんどは中身がない。
だから、頭の中をからっぽにすることができる。
意味に支配された現代社会に於いて、無意味な空間というのは逆に貴重である。
何も考えなくていい。
仕事のことも、家庭のことも、将来のことも。
それが心地いい。
 

オードリーは、等身大のヒーロー像であり、サードプレイスである。
だから、やめられない。
私も、誰かにとってのオードリーのような存在でありたい。
 
 
 
※1リトルトゥースとは「オードリーのオールナイトニッポン」のリスナーのことを指す。
※2数年前に、一人の生徒が最後の授業で「先生、実は僕もリトルトゥースでした」とささやいた時にはゾクッとした。その生徒を見る目が変わったのは言うまでもない。それ以来、リトルトゥースには遭遇していない。
※3「隠れリトルトゥース」というワードを思いついたとき、自分のことをセンスの塊と思ったが、mihorobotさん(https://note.mu/mihorobot/n/n522f34924411参照)も全く同じワードを使い、リトルトゥースに会えないことを嘆いていた。リトルトゥースあるあるに認定。
※4特に面倒くさいのが「いかがなものか」病である。前例を持ち出し、絶対的安全圏から他者を非難するしか能がない。