いす−1GP

今年も文具業界が注目する日本一熱い祭典が京田辺市のキララ商店街で開催された。
その名も“いす-1グランプリ”。

ルールは簡単。
キャスター付きの事務いすにまたがり、3人1組のチームが商店街の周囲約180メートルを2時間で何周できるかを競う耐久レースである。
そのシュールさと過酷さは『行け!稲中卓球部』の“カンチョーワールドカップ”に匹敵する。

初参戦の2012年は周回数69周、全39チーム中21位と目も当てられない惨敗に終わった。
ラソンにはない迫力とスピード、F1さながらのピットワーク、計算しつくした戦略に基づく頭脳プレー、そのすべてに圧倒された我がチーム「ビッグマウス」は完全なる準備不足を露呈し、挙句の果てには、レース直前にあおった日本酒のせいで酩酊し倒れこむ始末。
しかしながら、確かな手ごたえだけは残し、来年の雪辱を誓った。

あれから1年。
この日を一日千秋の思いで待ち焦がれた。
今年こそ、表彰台の一番高いところに立ち、憧れのシャンパンファイトをするために辣腕をふるった。
音楽バンド“くるり”顔負けの大幅なメンバーチェンジ。
嫁に頭の上がらない新婚のエースが“いぼの手術”という不慮のアクシデントに見舞われたこともあって、俺以外メンバー総入れ替えを敢行。
しかし、“くるり”がドラムやベースを失っても“くるり”であり続けるように、「ビッグマウス」も人は変わっても同じ音楽を奏でたい。
ビッグマウス」は同じ想いをもった人間が集まる器であらねばならないと考え、「ビッグマウス心得3箇条」を策定した。
「心得壱 ビッグマウスたる者 馬鹿であれ」(入会資格①常識にとらわれない)
「心得弐 ビッグマウスたる者 紳士たれ」(入会資格②スーツ着用)
「心得参 ビッグマウスたる者 体力屈強なれ」(入会資格③フルマラソン完走者)

そして、その3つの条件をクリアした猛者が集結した。
一人は、国立を目指した経験をもつ陽気なボランチ(現小学校教諭)O氏。
もう一人は、京都の不動産のことならおまかせの頭脳派ミスター紳士T氏。
もちろん全員フルマラソン経験者であり、1つ返事で出場をオッケーする馬鹿者でもある。
そこに、去年の経験から導き出したいす-1の極意(秘伝)を伝授し、フォームを固めた。
フォームを確認する様は、滑稽以外何物でもなく、はたからみればただの阿呆だが、本人たちは至って真剣だった。
遊びの出来る奴は仕事もできるとはよく言われるが、くだらないことに全力になれるのが「ビッグマウス」たる所以であり、それゆえ「ビッグマウス」はデキル奴等であらねばならない。
そもそもホイジンガも、人間の本質をホモルーデンスと定義づけている。
「われわれ人間はつねにより高いものを追い求める存在で、それ現世の名誉や優越であろうと、また地上的なものを超越した勝利であろうと、とにかくわれわれは、そういうものを追求する本性を備えている。そしてそういう努力を実現するために、人間に先天的に与えられている機能、それが遊びなのだ。」
つまり、遊戯が人間活動の本質であり、文化を生み出す根源だとする人間観である。
人類の起源をたどってみても、通過儀礼やクラ交易など遊びそのものが人間を成熟へと導く例は多い。
クラ儀礼とはソウラバという赤い貝の首飾りと、ムワリという白い貝の腕輪の交換である。
この装飾品にはまったく実用性がなく、他のいかなる品物とも交換することはできないので貨幣としての機能もない。
これを長期間自分の手元にとどめておくことは許されず、次の交換相手へと手渡さねばならない。
2種類の装飾品はクラの円環を、互いに反対方向に、とどまることなく回り続ける。
ソウラバは時計回りに、ムワリは反時計回りに、2年から10年で島々を一周する。
クラ交易に参加できるのは男性だけで、参加資格を得るのは大きな名誉であり、「有名な」装飾品を手にしたものは、いっそう高い威信を手にする。
クラ交易そのものは経済的交易ではないが、クラの機会に、島々の特産品の交換が行われ、情報やゴシップがやりとりされ、同盟関係の確認も行われ、クラが必要とする遠洋航海のために造船技術、操船技術、海洋や気象にかんする知識、さらには儀礼の作法、政治的交渉のためのストラテジーなどを参加者たちは習得することを義務づけられる。
つまり、クラ交換という何の富も生み出さない無限交換のプロセスにおいて、「外部の富」は、共同体のネットワーク形成と儀礼参加者たちの成熟というかたちで世界に滲出しているのである。

いす-1についても同じことがいえる。
経済的な価値などそこには一切存在しないが、ブリコラージュ的な野生の力が引き出される。
どうすれば速く走れるのか、答えはない。
そんなことを示すテキストなど売ってないし、誰も教えてくれない。
競技時間内に、必死に頭と身体を使って、自分達で試行錯誤して考えるしかない。
それを実行するためには、いすを背にして走る勇気と空間認知力が求められる。
いすを背にして地面を蹴るようにして後方に飛び跳ねるため、前を見ることができず、気配でコースを感じ取らねばならない。
まるで、武士のようである。
つまり、自分の経験と感覚だけが頼りの崖っぷちの状況なのである。
それだけでない。
いすが壊れたとき、ライバルチームに頭を下げ続けて、おさがりのいすを譲り受けることは並大抵のトークではできない。
もちろんチームとしての一体感も必要だ。
つまり、共同体、仲間を形成するといっては大げさだが、オープンマインドとワクワク感を備えてなければならない。
見返りなどないが、こいつといるおもろいと思わせる不思議な力である。
これら全て、仕事に必要な力が養えるのは一目瞭然である。
就職の面接官の採用基準は、つまるところ、目の前の人間と一緒に働きたいかどうかであることと通底している。
遊びで五感が磨かれ、人間の本能が研ぎ澄まされる。
いい大人が馬鹿なことに一生懸命になって、何やってんだと思うかもしれないが、俺たちが仕事でも高いパフォーマンスを発揮するのは馬鹿なことをやっているからなんだ。
そのことは間違いないと断言できる。

そして、結果。
総合順位7位(40チーム中)
ラップタイム
13:30 23周(2位)
14:00 40周(7位)
14:30 58周(8位)
15:00 81周(7位)

1位は95周の「モチコミ企画 知真館」
2位は94周の「京都ナイトランナーズ
3位は92周の「CMSC京都」

100周走れば優勝できるという当初の予測は的中。
30分ラップで25周ペースで走るという作戦も見事にハマる。
我がビッグマウスは15番のゼッケンをつけて出場していたのだが、沿道の小学生の「15番 めちゃくちゃはえ〜」と、まるでプロ野球選手の球をはじめて見たようなみずみずしい感想に震えた。
序盤は他を寄せ付けない猛スピードでゼッケン15番はキララ商店街を駆け抜けた。
ところが、25分を経過したところでアクシデント。
5つある車輪のうち1つが破損。
応急処置をするも、車輪が馬鹿になっているのでものの1分も持たず。
後は神に祈るのみ。
しかし、その願いも届かず、10分毎に1つずつ破損。
レース開始から45分で車輪2つで走ることになった。
車輪を前方に配置すればかろうじて走ることはできるものの、序盤の勢いは影も形もない。
沿道のおばちゃんたちもその異変に気づき、ビックマウスを見つめる視線は痛々しく、とても哀しい目をしていた。
遅いだけならまだしも、そのいすを前に進めるにはこれまでの倍以上の労力が必要となり、疲労度というより、徒労感が容赦なく襲ってきた。
このまま走り続けたところで、もう優勝は望めないし、しんどいだけだ。
もうリタイヤしよう。
のど元までその言葉が出かかっていた。
実際、俺の心は折れてしまっていて、自分のターンを放棄してしまった。(レース前に飲んだビールが回ったせいもある)
たぶん、俺が3人集まって出場していたならリタイヤしていただろう。
ところが、O氏は疲労をおくびにも出さず、全く前に進まないいすに勢いよく飛び乗った。
その姿をみて、最後まで走ろうと思った。
俺一人のレースではない。
たとえ、遅くても最後まで走ろうと。
繰り返すが、俺一人だったら100%リタイヤしていた。
仲間がいたから、走り続けることができた。
仲間というのは、仲間がいると人間の可動域は制約され、自由は抑制されるが、その代わりに「ひとりではできないこと」ができるようになる。
「ケミストリー」と言ってもいい。
自分に「そんなこと」ができるとは思ってもいなかったことが「仲間」の登場によってできるようになる。
それが仲間なのである。

すると、諦めなかった3人を神様は見放さなかった。
きんでん」さんのチームが破損したいすを貸してくれたのだ。
それは背もたれが壊れ、油断すると台座が外れる代物だったが、車輪の状態は申し分なかった。

ビッグマウス復活。

そっからはまるで水を得た魚だった。
ナメック星で最長老のもとを訪れて自分の潜在能力を引き出してもらった後のクリリンのようだった。
ベジータに気づかれることも忘れて自分の能力に酔い痴れて全力で飛び回るクリリンのようだった。
「ウヒョーーー」と叫ばすにはいられなかった。
トップスピードで、いすの台座が外れて、大回転しても痛くもかゆくもない。
(沿道の観客がレース場に駆け寄るほどの派手なこけ方で、スーツも破れた)
それよりもこのスピードで走れる喜びが勝っていた。
3人とも走れる喜びにあふれていた。
そして、もっとやれたのにというくやしさと、最後まで走りきった達成感の入り交じった複雑な気持ちでレースを終えた。
だが、日本一はもう手の届くところにある。
閉会式の表彰台でいす−1を訳のわからない大会と侮辱した「モチコミ企画 知真館」をぶっつぶして日本一になることを胸に固く誓った。