家を買う

家を買った。
いや、正確に言うと、土地を買って、その上に家を建てている。

全く縁もゆかりもなかった土地が、紙切れのやりとりだけで自分のものになってしまったことはきっかいであるが、とにかく2011年11月15日から上黒門町にある20坪ほどの土地は僕と妻のものになった。


ここに至る道のりは本当に長かった。
そもそも、どこに住むか?という基本的な問いに答えを出すことができないのだから当然だった。
のべにすると3年ほど、桂・田辺・向日市長岡京大山崎・伏見周辺(墨染・深草らへん)・京都市内をリサーチしたことになる。(リサーチというより、さまよったという表現の方が適切かもしれない)
どれも魅力的だったが、価格が高すぎたり、駅から遠かったり、間取りが希望通りでなかったり、なんとくなく嫌とか、帯に長し、襷に短しだから、いつまでも決めあぐねた。
そうこうするうちに、たった1つだけ明確な基準確立した。
京都府内に住むということである。
というのも、大山崎の物件を物色したとき(結構気に入った物件だったが住所が大阪府だった)、妻が住所が京都府とつく所じゃないと嫌だと主張したからだ。
歩いて数分で京都府なのに、何をわがまま言っているのかと最初は思ったが、なぜだかそういった直観は大切にしなければならないと思い、大阪府は除外するという不文律ができあがった。
しかし、それ以外は明確なルールもないまま、暇をみつけてはあちこち歩き続けた。

広い庭付きの家に住みたい妻(広ければ田舎でも都会でもどちらでもよい派)とシティライフ派の僕(田舎育ちだから妥協の余地は大いにあった)。
議論は平行線のまま、最終的には感情をぶつけ合う不毛なやりとりがあるだけだった。
家を買うということは、生き方を定めるということでもある。
どんな場所に住むかによって、行動が変わり、付き合いも変わり、人生も変わる。
また、家を買うことはローンを背負うと同義であり、責任というものが発生する。
仕事を簡単に辞めたりはできなくなるし、もちろん妻と生涯連れ添うという覚悟(これは揺るぎない)も必要だ。
そして、土地に縛られる。
京都を離れて活動することは難しくなるし、海外に移住する(数年ぐらい)という野望も捨てなければならない。
今後どういう生き方をしたいかという青写真なしに、気安にほいほいと家は買えない。

だけど、こういうときにどうしたらいいか、僕は以前恩師から教わりました。
消去法を用いるのです。
例えば、都会には住まない、大きな組織は嫌などのように、不快を消去する方法です。
実際に、恩師は不快を感じたとき教師を辞めてしまいました。
僕と妻にとって一番の不快は何か、悩みました。
その時は当たり前のことが、当たり前でなくなっていたからだと思いますが、そのことに突然気づかされました。
僕が車で事故をしてしまったのです。
あの時、僕は「人生が終わった」と思いました。
全身の血の気がサーと引いていくのが分かりました。
誰かがそばにいれば、「ガガーリンが見た地球より真っ青だった」と表現したに違いありません。
何とか事なきをえることができたのが不幸中の幸いでしたが、この事件で僕の人生観は劇的に変わりました。
車と決別しよう。
このまま車に乗り続けたら、いつかきっともっと大きな事故をするだろう(僕はあまり運転が上手ではない)。
迷いはありませんでした。(妻はだいぶ渋りましたが、納得してくれました)
僕と妻にとっての最大の不快とは、自分たちの人生を失うことでした。
確かに車は便利だし、田舎ではなくてはならない生活手段ですが、それらを凌駕するほどの暴力性を帯びた道具であることを痛感しました。
それは、肉体的な暴力はもちろん、精神的な暴力でもあります。
僕は以前からファスト風土的郊外のロードサイドの街並みが大嫌いでした。
歴史に関わる者のはしくれとして、地方が地方としての土地の固有の記憶を失っていく様を歯がゆく思い、それに間接的に関与している自分にもいらだっていました。
当然ながら、世間からは全く理解されませんでした。
変人扱いです。
いわく、子どもができたらどうするのだ。
いわく、実家にはどう帰るのだ。
いわく、どうやって通勤するのだ。
全て愚問でした。
みんなそうやって言い訳しているだけです。
(僕はこう見えて車社会には本気で怒っています。原発に対するのと同じくらいの熱量で怒っています)
これは”生き方”の問題なのです。
僕は車社会の背後にあるものを見てしまったのです。
それを見なかったことにしてしまうほど、僕は分別のある大人ではありませんし、そうなろうとは思いません。
この問題を僕自身が引き受け、行動し、責任を負うことによってのみ、僕は語り続けることができるのだと思います。
「大きな」問題とは「小さな」問題が積み重ねられた結果であり、「大きな」問題の解決は、無数の「ちいさな」問題を自分の問題として引き受ける、無数のちいさなひとびとが地道な努力を重ねることによってのみ為しうるのです。
だから、僕は一人レジスタンスを始めます。

車を捨てると決めたら、一気に視界が開けました。
車なしで生活するには、京都市内という選択肢以外はありえません。
京都という街は歴史性という時間の軸をもった「ちょうどよい狭さ」のコンパクトシティです。
かつて私は京都の街を、”偉大なる田舎”とよんだことがあるくらいヒューマンスケールな街です。
自転車さえあれば、市内どこにでも行け、公共交通機関のアクセスビリティも高い。
もちろん、日本中のどこをさがしても京都以上に重層的な時間の蓄積を感じさせる街はありません。
たしか寺山修司が「モノを私有しないことで街そのものが遊び場となった」という類の名言を残していましたが、京都は僕にとって最高の遊び場となることは間違いありません。
思いついたときに好きな本を手にし、週末は座禅をしたり、二条城や御所や鴨川を走る。
想像するだけでワクワクします。
結局の所、家選びは一に立地、二に立地、三四がハコ(仕様条件)で、五に立地なのです。
こうした紆余曲折を経て、僕たちの生き方に適う場所を上黒門町に見つけることができたのです。



次にマンションにするか、戸建てにするか、それに付随する中古にするか、新築にするかというハコの問題ですが、結論から言えば、自分で土地を選んで、自分で家を建てるのが一番おもしろい。(中古でもリフォームとかリノベーションという手段を選べばおもしろいと思う)
なぜなら、それはヒューマンスケールだからです。
ヒューマンスケールとは、車ではなく電車、飛行機ではなく船のようなもので、そこには顔の見える関係が必ずあり、他者への想像力をおろそかにできない、自然との接点をもつ手触りのある規模のことです。
だから、必然的に不動産・建築業者はその規模が10人以下の小商いが限られます。

大手の住宅会社が作る既製品的な住宅は、人間が住み始める前に商品としてすでに完結しています。
別に私を必要としていない、そういう感じがするのです。
それに加えてマンションは、明らかに自然性という限界を超えた建築物であり、その集合性がゆえに、この建物に責任をもつことができないと感じました。
それはまさにヒューマンスケールではないことを意味します。
だから僕は、どれだけ長い間住み続けたとしてもきっと好きになれないだろう。

一方で、今回設計/建築を依頼した従業員3名の小商い業者の「協立ハウジング」さんの作る住宅は、「そこに住む人間」ありきでした。
注文住宅はそういうもんだよって言われるかもしれませんが、自分が売りたい商品を、売りたい人に届けたいという送り手と受け手を直接的につなごうとする感覚が、まさに建物に生命感を与えていました。
今、建設真っ只中ですが、その家はまるで生き物のようです。
僕と妻の想いがあって、それに協立ハウジングさんが形を与え、無骨だけど腕の立つ棟梁(もちろん小商い)が命を吹き込む。
どれか1つ欠けただけで、みずみずしい生命感は欠けてしまう。
そんな人間と人間の関係、人間と土地の関係が優先され、「そういうもの」が参加しないと成り立たないようなかけがえのない「マイナスワン」感を私にもたらしてくれるのです。
この家の大部分が、顔が見える関係のなかでつくられている。
この家をつくるのに、思いも寄らないほど沢山の人が関わってくれていることに自然と感謝の念が芽生え、僕たちの稼いだお金(大半は借金だが)が何かとても意味のあるもののために使われているような気がするのです。
それは幸福以外の何ものでもありません。

「いま・ここ」という偶然が、少しずつ必然に変わっていく、その過程でこの建物は、僕たちのものになるだと思う。
そして、上黒門町の自宅から歩いて数分の所には、小商いストリートである「三条商店街」があります。
「いま・ここ」という偶然が、少しずつ必然に変わっていく、その過程でこの街は、僕たちのものになるだと思う。
そうした条件を一瞬にして感じとったのだとしたら、僕の「びびび」という直観も捨てたもんじゃない。
完成まであと一ヶ月たらず。
ワクワクという言葉以外に今の気持ちを表す言葉を僕は知らない。