韓流ブーム

日本全国の文化祭をK-POPが席巻しているのだろう。
ご多分に漏れず、本校も、少女時代、KARAとK-POP花盛りとなった。
年甲斐もなく、生徒に混じってヒップダンスに興じるおばはんだけは、韓流ならぬ寒流だったが・・・

日本と韓国(朝鮮)との間には、過去に拭いがたい負の歴史がある。
日韓併合である。
近代国家としてのメンツを保つために、日本は植民地経営での失敗は許されなかった。
その結果の武断政治であり、韓国は少なからぬ敵対心を日本に向けることになった。

それから半世紀以上、時は流れた。

日中関係や日韓関係でトラブルがあるたびに、過去の歴史が参照されるが、「友好的な関係を構築するためには過去のことをぶり返さず忘れてしまえばいい、現に若い世代は戦争のことなど知らないのだから」という意見もあるが、事実は封印できても、しこりのようなものは消えない。
そのしこりが日中韓関係に暗い影をおとす。
一方、日本人のなかにも中国や韓国を見下す回路があることは否定できないだろう。
かろうじて理性によって、そうしたうしろめたい気持ちを封印していたが、知性の低下によって、理性が軽視されるようになると、反韓流デモや、反日デモを止めることはできなくなった。

事実を、いくら授業で伝えても、負の感情はなかなか消えない。
しかし、それが、韓流ドラマやK-POPといった文化は、いとも簡単に超越する。
文化祭の舞台で踊る生徒や、鼻歌を口ずさむおばはんを目の当たりにして、認識を新たにした。

ナショナリズムを超えるために必要なものは政治ではない。
皮肉だが、ローカリズムに根ざした文化こそが、ナショナリズムを放逐する可能性を秘めている。


しかし、韓流ブームは、歌唱力とキレのあるダンスや脚線美といった高いレベルのアイドルを、日本の素人アイドルより安く手に入れることが出来るという経済的合理性に支えられている。
韓流ブームが起きたのが『冬ソナ』の2004年であることが証左しているように、グローバリズムと親和性が非常に高い。
サムソンや留学ブームの例をだすまでもなく、そもそも韓国社会そのものが、アジア通貨危機を機に、グローバリズムを基に再設計された社会だからである。
グローバリズムのひずみが世界中の至る所で露見し始めた現在、真の文化だけが生き残る。
果たして、韓流ブームは生き残ることができるのだろうか。