東北地方太平洋沖地震

阪神大震災の教訓は、確実に活きている。
被災者の方々の節度ある振る舞いを見聞きすると、本当に頭が下がる。

でも、未曾有の厄災において頼りになるのは、
政府や企業や地方自治体なんかより、
もっと体温の感じられる、ぬくもりのある小集団、
いわゆる小さな公共性の原理に基づく集合体なんだとつくづく実感する。
(もちろん、政府の対応が悪いと言っているのではありません。
こんな時に、他責的なことばづかいで行政や当局者の責任を問い詰めたり、
無能力をなじったりすることは意味がありません。)


グローバルルールに基づく大きな公共性は、水は1人1リットルまでとか、おにぎりは1人1個までと、個人差をカウントしない。
(緊急時で、いちいち個人の事情なんて考慮する余裕もないだろうし)
しかし、小さな公共性では、「私毛布いらないわ」といって
隣のお嬢さんに貸してあげることもできるし、
水を10人で持ち寄ってお風呂にすることもできる。
その状況状況に応じて、またはその時の個人的事情に応じて
柔軟に運用し、なぜだか不思議だが、そのほとんどは最適ソリューションである。


「いま一番弱っている人」を支援するという具体的な要請に応えるために、
設計された制度がいちばん自由で、いちばん頑丈なのです。


避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」と漏らした時に、横にいた高校生が、「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」って言ったらしい。


政府やメディアが何千回と大丈夫と言ったところで、
この高校生の一言にはかなわないだろう。
原理的正しさより、苦し紛れの実証性に人は足場を求める。
そのことに、もうすでに多くの人々は気づいている。
くしくも、あの米軍の救援活動作戦名がそれを象徴している。
"Operation Tomodachi"



この震災は、そうした人間関係のあり方、地域社会へのコミットメント、
国際関係など多方面において文字通り地殻変動を招く気がする。
もしかしたら、それは世界規模で。



連絡が取れない家族や友人をお持ちの方はさぞご心痛のことと思います。ご無事を祈念しております。