終わりではない、はじまりだ。

警視庁によると、16日現在、死者行方不明者の数は1万1952人にのぼるという。
心よりご冥福をお祈りします。


しかしながら、未曾有の災害といえど、死者の数が1万人強ならば、年間自殺者数が3万人を超えることが常態化していることを、何と表現すればよいのだろうか?
日本は、あの津波を上回る厄災に何十年と曝されてきたことになる。


つまり、人間にとって、生命の存亡に関わる最も恐ろしい事態とは、
銃や天変地異や飢饉ではなく、希望を失うことなのです。

天変地異でさえ、希望を奪うことはできない。
だから、「なぜ日本では略奪が起きないのか」と海外メディアは一様に驚く。
それは、日本にはまだ、希望があるからです。

しかし、地域や世代間の人と人をつなぐ環を喪失してしまったら、
希望を取り戻すことは容易ではない。


ただでさえ、価値観が多様化して、希望が見えずらくなってしまった日本では、
万人が共有できる物語が描けなくなってしまっています。
(個人を物語の作り手として強要した結果が、今日の惨状を招いたとも考えられる)
しかし、今回のディザスターによって、大きな物語が生まれました。
物語こそ、希望の種火です。
その物語から、希望の源である小さな共同体「親密圏」の構築が始まるでしょう。
阪神大震災がそうであったように。


関西は、そうした希望の灯でありたい。
私たちは、たしかにそこで被災地の人々とつながっている。
私達も同じ気持ちで頑張ります。