「アンストッパブル」な「SNS」

優れた映画は、ほんまもんのお好み焼きのようなものです。主食としても申し分ないが、それだけではあきたらず、おかずとしても一級品で、何杯でも飯を食うことができる。つまり、一本の秀逸な映画は、自らを呼び水にして、映画そのものに対する渇望を喚起するのです。映画「ソーシャルネットワーク」で生じた余熱は、4本ものお好み焼きを焼き上げ、その日の内に平らげることになった。それだけで十分この映画の凄さがわかるだろう。


しかし、この映画はおそらく単体で観るのでは不十分です。大事なのは、文脈です。「ソーシャルネットワーク」が上映されたのは、「アンストッパブル」の上映開始の1週間後だという事実を見逃してはいけない。(これで制作会社も符合すれば、パーフェクトだったのだが・・・)大ヒット間違いなしの2011年新作第一弾と第二弾の2作がたった1週間のブランクで間髪入れずに上映されている。そこに、何か特別で重要なメッセージが込められている気がしてならない。映画を上映初日に観ることなど久方ぶりのことなのに、一回なら偶然ですまされるが、2週続けて上映初日に鑑賞するということは、そのメッセージが俺に向けられているのかもしれない。俺に答えを求めているのだろう。間違いない。


この意味深な配置は、アメリカ社会の二つの極であり、アメリカ社会はグラデーションの差こそあれ、この両極の間にすっぽりはめることができる。一方は、リストラされた老年の運転士という下層民で、他方はわずか数年で何千億という富を手に入れた若年の大富豪です。両者は、とても同じ権利を持つ市民とは思えない世界を生きている。同じ社会に生きながら、社会は完全に断絶されてしまった。だが、社会を下支えしているのは、明日の生活に困ることのない大富豪ではなく、明日のおまんまの心配している下層民なのである。象徴的なのは、その映画に出てくる鉄道会社のCEOです。彼は会社の損失を最優先に考え、人命は2の次、3の次でした。結局、この大惨事を阻止できたのは、安月給でまじめにコツコツと毎日汗水垂らして列車を動かしきた人たちなのです。尋常ではない報酬を得ている経営者達は、その報酬に反して、何もすることができなかった。facebookを開発した人は、情報のあり方に革新をおこしたのだろう。しかし、社会の危機に対しては、為す術もなく無力だ。暴走する列車はおろか、愛する人を幸せにすることすらできないのだから。


アメリカという社会は、今、危機に瀕している。この事実こそが、俺に見せたかった二つの物語の接続詞なのだろう。アメリカのインフラを、ひいては市民社会を支えてきた無数の労働者達をないがしろにし、一部の無責任な経営者を優遇したツケをアメリカは今後何十年と払い続けなければならない。給料があがるわけでもなく、誰からか褒められるわけでもないのに、有責感をもって仕事に従事する彼らこそ、アメリカのヒーローだったのです。アメリカの凋落は待ったなしのところまできている。