私の愛しき"ヴェニスの商人”

10ポンドの脂肪と引き換えに、タバコを手放した。


自らの脂肪を抵当にとられたアントニオとは正反対に、私は、欲しくもない脂肪を、10ポンドも身につけることになってしまった。タバコは、吸っている最中だろうが、辞めた後だろうが、おかまいなしに身体を担保にとる守銭奴シャイロックのような奴だ。


そんな奴でも、10年以上、つまり私の人生の1/3もの間、肌身離れない関係だったやつと別れるとなると、涙の1つぐらいはでる。うちのかみさんとの付き合いより長いのだから。
キャスター、ラッキーストライクマルボロ(緑・金・赤)、cabin、basic、kool、kent・・・
過去に口にした銘柄を順に、声に出して並べていくと、過去に付き合った女の名前をあげているような感傷的な気分に陥る。


その名前に、その時代時代のパーソナルな思い出が刻印されている。パッケージをみれば、今でも鮮明にその頃の思い出が想起できる。
口に何本ものタバコをくわながら、完成させた卒業論文
ホノルルマラソンを走りながら吸ったマルボロ
学生時代など1日に発した唯一の言葉が、コンビニでの「マルボロメンソール」だけだった日も少なくない。
雨の日も、雪の日も、嵐の日でも、
風邪をひこうが、海外放浪していようが、
学校の中だろうが、絶え間なく吸い続けた。
タバコは、恋人以上の存在だった。
辞めた今、身体の一部が削り取られたような気分だ。
禁煙者は、その溝を埋めるために脂肪が必要なのに違いない。



タバコを辞めた奴は、きっとみんなこう言うだろう。
「あんないい女とは、一生出会えないだろう」
タバコを辞めることはできても、決して忘れることはできない。