違和感

ハインリッヒの法則とは、「1件の重大事故の裏には29件の軽微な事故と300件の怪我に至らない事故(ヒヤリハット)がある」という労働災害における経験則であるが、ここんとこ、正確に言うと担任するようになったこの1年で、ささいな“違和感”がトラブルや事件に発展することを何度も体験した。

子どもたちは、視線や表情、行動などで非言語のシグナルを発している。
そんな当たり前のことだが、30代の自分は気づいていなかった。
40代になって、教育観が転換し、一方的に自分の価値観を押し付けることがなくなって、はじめて気づくことができるようになった。
今までになかった感覚だ。
自分の価値観にとらわれないから、先入観や偏見や好き嫌いを排除してフラットに観察することができる。
もちろん直接コミュニケーションとって、その反応から違和感を感じることもあるが、この1年はささいなしぐさや表情から変化を察知し、トラブルを未然に予見することが圧倒的に多かった。
それができるようになったのは、さらっと教育観が転換したと言ったが、まさにそれである。
教師という権威を捨て、ともに学ぶというマインドセットを身につけ、教えることteacherであることを一旦わきに置いて、教育することeducaterであることを優先するようになったからである。

だからトラブルも成長の機会であり、教師が一方的に解決することはしない。
教師が発する問いは基本的に以下の4つである。
「どうしたの?」(事実の確認)
「どうしたいの?」(意志の確認)
「どんなことができそう?」(行動促進)
「先生にしてほしいことは?」(リソースの提供)
生徒がトラブルを自分自身で解決することがゴールである。
トラブルを防ぐことが目的ではない。

トラブル万来の精神でいると、逆にトラブルがよくみえる。
トラブルを見つけよう、叩き潰してやろうと構えているとトラブルそのものが見えなくなる。
見えたとしても、見えたときには手遅れになることが多い。

違和感は大きな武器であるが、形式知として人に伝えることは難しい。
ベテランだからこそ感知できる暗黙知なのだろう。
それであれば、ベテランもフロントラインでたたかう意味がある。
違和感こそ、40代最強の能力だと今は思っている。

YouTubeな時代

一昔前は大騒ぎし、だいぶこすられましたが、今やユーチューバーがなりたい職業にランクインしても全く不思議なことではなくなりました。
それどころかついにユーチューバーが小学生男子の将来つきたい職業ランキング1位※1に輝きました。
そもそもユーチューバーとは職業なのかと物議を醸したのも嘘のようで、今やユーチューバーは堂々たる人気の職業です。

特に、このコロナによる自粛期間にオンライン化がすすむと、われわれ教師も含めた素人でさえも否応なしにYouTubeの領域に進出するようになっていき、それまで私にとっては音楽を“聴く”メディアに過ぎなかったYouTubeを“見る”機会が飛躍的に増えました。
そんな折ふとした拍子に、YouTubeで気になることを発見しました。※2
ユーチューバーが配信の最後に必ず言う決まり文句の「チャンネル登録お願いします」です。
それまで一度もチャンネル登録をしたことなかった※3ので気にもせずにスルーしていたのですが、チャンネルを無限に登録できることに気づいてしまったのです。
しかも、当たり前だが自分の見たい番組だけを選ぶことができる。
YouTubeとは言い得て妙なもので、まさに「あなたの管」なのです。
今では薄型TV以外のTVを見ることはなくなってしまいましたが、十数年前まではテレビのことをブラウン管と呼んでいました。
ブラウン管ならぬあなた向けにカスタマイズされた管だからYouTubeなのです。
YouTubeの革新性はここにあります。
われわれは、一方的に、決まった時間に、限られたチャンネルの中からしか選べないテレビ(ブラウン管)から解放されたのです。
テレビは制限されたメディアで、YouTubeは開放されたメディアであるということは、チャンネルのことだけでなく、作り手についても言えます。
先ほど、教師がYouTubeに進出した話をしましたが、YouTubeの世界ではプロとアマチュアの垣根がありません。
現に、アメリカのユーチューバー番付1位は9歳の小学生で去年約30億円稼いだらしい。

かつて大きな物語を創造するメディアとして機能していたテレビは、価値観が多様化した現代では、個別最適化された自分の物語を創造するメディアであるYouTubeにとってかわられた。
つまり、組織の時代から個の時代へパラダイムシフトしたということでもある。※4
テレビ・YouTubeに内在された価値を一覧にしてまとめてみたのが下の図である。

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このように、YouTubeは時間・空間・資本を開放し、人々に自由を与えたが、これはYouTubeに限った話ではなく、いつの時代も時代を象徴するプロダクト・サービスは人類の「より安く・より早く・より遠くまで」を実現することに貢献している。
1960年代 三種の神器
1970年代 新・三種の神器(3C)
1980年代 ビデオ・ウォークマン
1990年代 Windows95(パーソナルコンピュータ)
2000年代 iPhoneスマホ
2010年代 youtube
2020年代 zoom?
zoomはまだ予測にすぎないが、これらが時代を象徴するプロダクト・サービスということは時価総額によっても裏付けられる。

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おもしろいことに世界と日本を比べると、日本は世界から10年遅れで時代を象徴するプロダクト・サービスを提供する企業の時価総額が増えることがわかり、日本が世界というロールモデルをキャッチアップして成長する国家だということが一目瞭然である。
しかし、例外が1つある。
2010年代のトヨタ自動車である。
これまでのルール通りなら、2010年代にGAFA的なプラットフォーマーがランクインしていないとおかしいのだが、2020年代ソフトバンクGがかろうじて4位にランクインしただけである。
デジタル化という市場において、日本はもはやキャッチアップすらできていないということを示しており、今後10年の日本の危機的な状況を暗示している。

教育はというと、もっと危機的状況です。
管理教育という成功体験からいまだに脱却できず、多くの落ちこぼれとふきこぼれを放置する偏差値によって選別するシステムに依存し切っている。
というか、偏差値以外のものさしがありません。
これは、教育界だけでなく、メディア、保護者など問題でもある。
偏差値という共通言語でしかコミュニケーションできずに、思考停止に陥っている。
YouTubeな時代の教育には、正解を早くたくさん解答するための先生は必要ありません。
学習とは伝達ではなく、変容であり、変化こそ学びの本質です。
YouTubeな時代に必要なのは、学び(変化)へとナビゲートするファシリテーターです。
どうしてもこのパラダイムシフトが現場に浸透しないのがものすごく歯がゆく、ここんとこのブログは手を変え品を変えこのことばかり言っている気がしますが、時代が必要としているのは、もはやテレビ的な価値システムではなく、YouTube型の価値システムなのであり※5、それは教育にも当てはまります。

「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。(It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.)」チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin

教育にも変化を。

 

※1 学研教育総合研究所小学生白書2019
※2 40歳を超えてくると、違和感というやつも馬鹿にならないもので、ここんとこ違和感がスタンドインすることが多く、直観に対する信用はうなぎ上り
※3 私が初めてチャンネル登録したのは、コロコロチキチキペッパーズの『よろチキチャンネル』
※4 これ余談なんですけど、菅首相の息子が総務省官僚を接待した放映権絡みのスキャンダルが世間を賑わしていますが、これこそ愚の骨頂で、メディアの中心はYouTubeに移ってしまったのに、大人たちはいまだに重厚長大なテレビという利権に群がっている様は、時代錯誤も甚だしく、怒りを通り越して呆れるばかりである。
※5 山口周氏も価値創造システムの変革を指摘しているが、それはTV型社会からYouTube型社会に符合する。f:id:tokyonobushi:20201221111848j:plain

参考文献:山口周『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』2020 プレジデント社

学校改革のレクイエム

紆余曲折だらけだったものの、この3年間学校改革という大仕事に取り組んだ総括というと大げさだが、教訓として学んだことを後進のために残したいと思う。(なんだか遺言みたいですね)

「未来をつくる仕事」(2018.8.25)でその初心が語られている。
「教師とは、授業して、知識を教える仕事ではなくなったのです。日本史を教えることが教師の役割ではありません。部活動で勝利することが教師の役割ではありません。教師とは、この転換期を生き抜く力を育てる、つまり、「未来をつくる仕事」なのです。学校とは、社会とつながって、社会課題を自分ごととし、日本の未来と自分自身のスキマを埋める場所なのです。10年後の未来を想像し、その未来との懸け橋となるのが教師なのです。」

コロナによって転換がスピードアップしたのは予想外でしたが、改革の背景にある文脈として大事なポイントは、工業社会から情報社会へ社会コードが塗り替えられ、社会構造や価値観や行動原理などがパラダイムシフトしたということです。※1
必然的に、教師の役割や学校のあり方も変えていく必要があると指摘しています。
私たちの危機感は相当なものでした。
教育を変えないと本当にやばいことになる。
なぜなら、今の教育は工業社会で必要なスキルを教えているからです。
たくさんの情報を記憶し、必要なときに正しく応用し、適用するというAIが得意なスキルです。
将来AIにとって代わられるはずの仕事にしか就けないスキルをわざわざ学校で一生懸命教えている。
そんな教育はは早くやめないといけないし、改革は今すぐ行わなければ手遅れになる。
私たちは使命感に駆られ、全身全霊知性の限りを尽くし、もちうる限りのあらゆるリソースを改革にそそぎこみました。
しかし、ここに一つ目の盲点がありました。
良かれと思って学校改革に乗り出したのですが、いざ学校改革をすすめていくと、抵抗勢力の壁にぶち当たったのです。
現行の学校は制度疲労を起こしていることは明らかで、改革をすることで輝かしい未来を手に入れることができるのですから、改革は当然受け入れられると私は思い込んでいました。
しかし、実際のところはこうだったのかもしれません。

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印象的だったエピソードが2つあります。
1つが、「全国さまざまな高校の取組や実践例を視察したり研究したりされていると思うが、目新しい取組を行っている学校に注目がいきがちではないか。むしろ生き残っている伝統校の取組を参考にするべきではないか。」
伝統校が何を指すのかがいまいち不明ですが、要は「今まで通りでいいじゃん。おまえらは頭でっかちなんだよ。」
という反知性主義的な前例踏襲型批判です。
もう1つが、「私の学年で育てたい生徒は、大人にかわいがられる生徒だ。礼儀正しく、指示されたことをやれる生徒だ。かわいがってもらえば人は育つ。」
このセリフを聞いた時、私は文字通り耳を疑い、絶句してしまいました。
共通しているのは、現状に固執し、絶対に変えたくないタイプであるということです。
いわゆる保守派ですが、時ににこやかに、時に激しく、ポジションパワーを使ってでも変化を拒んできました。
こういった人達を中心に、学校改革の機運は下がっていき、「相棒」の特命係的な位置づけだった学校改革推進部は、解体され、中心メンバーを失い、私自身のエンゲージメントも下降してしまい、はっきりいって不貞腐れ、やる気を失ってしまいました。
今となっては、私自身の人間的な未熟さにも大いに反省していますが、この時の無念さは絶筆に尽くしがたいものがあります。
“梯子を外される”とはよく言いますが、まさか自分の身に降りかかってくるとは想像すらしていませんでしたし、その衝撃がこれほどまでとは思ってもみませんでした。
まるで足元の地面が崩れ落ちていくような感覚で、情景をモノクロでしか認識できませんでした。
この経験は私の人生観にも深く刻まれ、管理職という人種を二度と信用しなくなりました。

抵抗勢力ネガティブキャンペーンは功を奏し、管理職は学校改革推進部の改革(日本語的におかしいがスルーします)に着手したのですが、「ワイガヤ・大部屋・長時間」によって緊密なコミュニケーションを増やせば問題は解決するという短絡的な見通しのもと、学校改革推進部は教育推進部という大所帯に吸収合併され、何を目的とした分掌かすらわからなくなりました。
管理職には、ビジョンはありませんでした。
すでに時代遅れの、「みんなでやればなんとかなる」という経験・勘・気合の3K主義で乗り越えようとしたのです。
一人一人の価値観や理念などを改めて問うこともなく、一緒に汗を流し、同じ釜の飯を食う家族のような社員同士が、あうんの呼吸で自然にわかり合い、同じ方向に向かって全力で突き進む。
高度成長期の日本企業においては、そんな家族主義的で緊密な付き合いが当然のものとされ、それで一事が万事うまくいく時代でしたし、管理職はそういう時代に誰よりも働いて上にのぼりつめた人種です。
管理職のパラダイムに問題があることに気づいたのはその時でした。
管理職自身が口では改革が必要というものの、本心では改革など必要としていなかったのです。
それに、私自身も改革はトップダウンで進めていくイメージをもっていました。
イメージとしては、校長を中心とした側近やブレーンが中心となる、官邸主導型のスキームを思い描いていました。
しかし、梯子を外されるという最悪の形で、改革は失敗に終わりました。
ここから、学校を改革するにはトップダウンではなく、学校文化そのものを変える必要があることを学びました。


時は流れ、管理職が変わりました。※2
学校改革という看板を下ろし、細々と総合的な学習の時間のプロデュースを続けていましたが、因果なものでまたしても改革のオファーが舞い込んできました。
前回の苦々しい経験があるので私は難色を示したのですが、結局関わることにしました。
もうあんな思いを他の誰かにさせてはいけないと良心がとがめたことが最大の理由です。
ただし、今回は私が陣頭指揮をとるのではなく、前途ある後輩のバックアップをする役回りに務めるよう心掛けました。(結果的に私が加入したことによって、抵抗勢力が警戒してしまったのではないかと少し後悔しています)

私たちに具体的に依頼された仕事は、カリキュラムの作成です。
カリキュラムとは学校を動かすプログラムのようなもので、大雑把に言ってしまえば時間割のことです。
1週間で、何時間、何を学び、どのような力をつける学校なのかをデザインする責任重大な仕事です。
早速カリキュラム作成の作業にはいってみたものの、文部科学省が指定する必修科目を配置したら、何の味気もないカリキュラムが出来上がりました。
このカリキュラムを教科で検討し、最終調整したところで、どんな意味があるのか?
教科のエゴが暴走し、部分最適化されたストーリーのない無味乾燥したカリキュラムが完成し、「犬の道」※3に堕ちてしまうことは目に見えていました。
そこでフォーキャスティング※4的アプローチからバックキャスティング※5的アプローチに切り替え、カリキュラムを一から見直すことにし、まずはカリキュラムを作成する本来の目的である最上位目標に立ち返って話し合いました。
本校が抱える課題とは何か?
学校は果たすべき役割とは?
どんな生徒を育てたいのか?
どうやって育てるのか?
徹底的とまでは言えないが、時間の許す限りめいいっぱい話し合い、新しい学校目標である「自立し、ともに学び続ける」とスクールポリシー「対話・創造・挑戦」が生まれた。
「自立し、ともに学び続ける」を北極星のように道しるべとし、迷ったり行き詰まったときはいつも最上位目標に立ち返りながら、カリキュラムを完成させました。
しかし、完成したカリキュラムは背景にある文脈や哲学の理解なしには、誰からも受け入れられないような代物でした。
そこで、カリキュラムを提示する前に、全教職員対象にカリキュラムコンセプト説明会を実施するという手順を踏むことにしました。
これは前回と同じ轍を踏まないためです。
トップダウンではなく、抵抗勢力にも納得してもらうところから改革をリスタートするためです。
ここが勝負の一里塚とばかりに、入念な準備をし、説明会にのぞみました。
下手したら、サンドバックにされ、これまでの努力が一瞬にして水の泡になる最大の山場でしたが、説明会は拍子抜けするほど異論・反論なく、水を打ったような静けさの中、あっけなくコンセプトは受け入れられました。(受け入れられたように見えました。)

ところが、満を持して後日このコンセプトを実現するためのカリキュラムを提示すると、想定外の炎上が起きました。
受験にはどう対応するのか?
塾や保護者や中学校に理解されない。
探究などやる必要があるのか?
教科書が終わらない。
教員定数が削減されるのはいかがなものか。
細かいことをいうとキリがありませんが、共通点は、カリキュラムコンセプト説明会でコミットしたはずの最上位目標である「自立し、ともに学び続ける」などまるでなかったかのように扱われたということです。
北極星はどこにも見当たりません。
つまるところ、コンセプトという腹の足しにもならない理想などどうでもよく、縄張り(自分の教科の都合)と餌(大学入試)にしか関心がなかったということです。
プロジェクトメンバー一同肩を落とし、空しさと徒労感だけが残りました。
「話が違うじゃないか」と言っても後の祭りで、ガラガラポンして割り算かまして形骸化したカリキュラムがしめやかに教育委員会に提出されました。
管理職からは、先進的なカリキュラムを捨てたのではなく、10年後にこのカリキュラムを実現する道筋を考えて欲しいとは言われたものの、グローバルでエクスポネンシャルで変化が常態化した世界では、10年を待たずとも数年で間違いなく今と全く異なる世界になるでしょう。
今やろうとしている改革は今やらなければ、意味がない。
結局、管理職も口では何と言えども同じ穴のムジナに過ぎず、未来よりもメンツ(ステークホルダー)とプライド(失敗したくない)にこだわり、自らの裁量で決断することは最後までありませんでした。
以上が事の顛末です。


学校改革は、またしても失敗に終わりました。
今回の失敗のレバレッジポイントは、カリキュラムコンセプト説明会でした。
カリキュラムを変えるのではなく、学校の風土を変える必要があると考え、コンセプト説明会を実施したところまでは進歩と言えるのですが、コミュニケーションの選択を誤りました。

「人は説得しようとすると抵抗する。しかし、納得すると自ら動く。」

私たちはコンセプト説明会で“説得”しようとしました。
だから、失敗したのです。
この場合、時間がどれだけかかろうとも、“対話”して納得してもらわねばなりませんでした。
その労を惜しんだばかりに、強烈なしっぺ返しをくらったのです。

というのも後に分かったことですが、情報には階層レベルがあり、抽象度が高くなればなるほど、一方的なコミュニケーションが成立しなくなる傾向があります。
一方的なコミュニケーションが成立するのは、具体的な事実を伝える情報です。
たとえば、「本日16時より職員会議があります。」のような指示・命令の類です。
これらは、送り手から受け手へのメッセージの正確な移動を重視するコミュニケーションになります。
余分な情報はノイズと見なされ、コミュニケーションは単なる情報伝達にすぎません。
この類の情報は「聞いた・聞いていない」という事実が問題視されることが多く、理解したかどうかは問題になることはほとんどありません。
聞けば誰でもわかるぐらい解像度が高いからでしょう。
他方、価値観・信念を含む抽象度の高い情報は、一方的なコミュニケーションが成立しにくい。
例えば、「自立し、ともに学び続ける」ですが、一言で自立と言っても、その捉え方は千差万別です。
ある人は他人に頼らずも生活することと考えるでしょうし、他者に依存できることと考える人もいるでしょう。
自立の意味は、抽象度が高いがゆえに情報量が少ないため、それぞれの経験や知識に基づいて解釈されます。
つまり、ローコンテクスト※6な情報なのです。
だから、価値観の共有や理念浸透をすすめる場合、コミュニケーションを単なる情報伝達ではなく、相互理解と意味づける必要があります。
価値観や信念が伝わったかどうかは、聞き手の共感や行動・考え方の変化を引き出したとき始めて確認できるのです。
つまり、内容を理解し、納得し、腹落ちするという理解のプロセスを経て、行動や思考が変わる、こうした変化を外的に観察することができて、はじめて伝わる。
コミュニケーションとは、創造的理解にいたる継続的な相互作用のプロセスなのです。

パワポやメールなどITツールが発展して便利になったけど、かえって話が通じなくなったという話をよく聞きますが、それもこの考え方を適用すれば理解できます。
パワポやメールなどは基本的に一方的なコミュニケーションツールです。
それらを用いて、コミュニケーションをいくら積み上げたところで、相互理解は深まりません。
メーリングリストグループウェア社内SNSなどITツールはモノを伝達するには効果的であり、会議という名の報告会であればこれで代用すれば十分ですが、改革のような価値観の転換や破壊をともなう行為には不向きです。
そういったものこそ、場を共有し、意味を創造し、相互理解を深めることのできる双方向コミュニケーションが可能な会議が向いている。
会議は報告会ではなく、イノベーション創発する場と定義し、報告はITツールを活用すればいいのです。
組織の問題の多くがコミュニケーションに起因するのは、このように社会の変化にコミュニケーションが適合してコミュニケーションツールは発達する一方、情報への理解が不十分であることに原因があります。
社会が工業社会から情報社会にパラダイムシフトしたことで、情報量も飛躍的に増大し、階層レベルの異なる情報が玉石混淆し、コミュニケーションがミスマッチした情報は伝わらなくなったのです。
重要なポイントは、情報の階層レベルを見極め、そのレベルに合ったコミュニケーションを選択しなければならないということです。
一方的なコミュニケーションが必要な場面もあれば、双方向なコミュニケーションが必要な場面もあります。
ですが、情報社会が要請するイノベーションは、多様性のなかで生まれるものです。
多様性は、意味を創造・共有し、相互理解を深めていくコミュニケーションである対話なしには成り立ちません。

工業社会から情報社会へのパラダイムシフトは、必然的に学力観にも影響がおよびます。
工業社会で求められる能力は、「わかること」でしたが、情報社会で必要な能力はイノベーションに表象される「変わること」です。
学力とは、もはや個人の頭の中に知識やスキルを伝達することではなく、ものの見方や行動が変わり、それに伴い、自分の在り方も変えていくことなのです。
学習とは伝達ではなく、変容であり、変化こそ学びの本質である。
変化することを拒む学校文化は一掃しなければなりません。
でなければ、学校は学びの場ですらなくなります。
そのためにはなによりも、対話が必要だったのです。
学校の理念や価値観を、命令や規則のように押しつけるのではなく、それぞれの組織を構成する人々の日常的な経験に根ざしていて、共通の体験を語り合い、意味づけていく、つまり対話によって創造していくのです。
対話が人の成長と組織の在り方を変えるのです。

 学校改革を通じて私が学んだこと、それは「対話がすべてを解決する」ということだった。

 


※1詳しくは、前回の「最終講義 自立し、ともに学び続ける」(2021.2.9)にまとめた。
※2この4年間で、校長も副校長もそれぞれ3人変わりました。学校改革が進まない最大の理由はここにあるのかもしれません。
※3『イシューからはじめよ』の著者安宅和人さんが、同書において警鐘をならした「課題解決で陥りがちな罠」のことをいい、「解決しても、あまり誰にも喜ばれない、芯を食っていない、洗練された解決策」のことを指す。
※4先に課題を定義して、その解決策を考える問題解決手法
※5あるべき姿を定義して、その実現手段を考える問題解決手法
※6ローコンテクスト(low-context)とは、コミュニケーションや意思疎通を図る際に前提となる文脈や価値観が少なく、より言語に依存してコミュニケーションが行われること。ローコンテクストに対して、前提となる文脈の共有が多く「以心伝心」でコミュニケーションが行われることを「ハイコンテクスト」という。「アメリカの文化人類学エドワード・T・ホール氏が1976年に著書『Beyond Culture(文化を超えて)』で提唱した。

 

参考文献
中原淳・長岡健『ダイアローグ対話する組織』ダイヤモンド社 2009
沢渡あまね『仕事の問題地図』技術評論社 2017
ピョートル・フェリクス・グジバチ『パラダイムシフト 新しい世界をつくる本質的な問いを議論しよう』かんき出版 2020

最終講義「自立し、ともに学び続ける」

ついに、君たちともお別れの時がきました。
思い返せば、共通テストから始まり、コロナによる一斉休校という前代未聞の、まさに波乱万丈な3年間でした。
個人的には、“総合的な学習の時間”のプロデューサーとして、コンピテンシーの育成※1という難題に挑戦した特別な学年でもあったので、少し肩の荷が下りたような、さみしいような複雑な気持ちです。
だからなのか、例年ならばこの最終講義を命を削るような思いで作っているのですが、今年は不思議なことにあまり苦労することなく形にできました。
こんなことは初めてです。
私にとってこの最終講義は教師としての集大成であり、その時点でもっている経験・スキル・能力といった全てのリソースを使い、知性の限りを全身全霊尽くして挑む、本気の仕事です。
この瞬間のために教師をやっているようなもので、まるでオードリーにとっての武道館ライブのような存在なのです。
それくらい特別な時間だから毎年準備にとても苦労するのです。
しかし、そんな夢舞台に今リラックスしていられるのは、総合的な学習の時間で君たちと関わり続けているうちに、教師と生徒という、教えるー学ぶという関係性を超越し、ともに学ぶ関係へと発展したからかもしれません。
だとしたら、今日はどんな授業になるか、私自身とてもワクワクしています。
さあ、最後の授業を始めていきましょう。


私が最後にどうしても伝えておきたいこと、それは「自立し、ともに学び続ける」ということです。
まず、3つの衝撃的な事実を紹介します。
1つ目は、日本は「安い国」であるということです。
つまり、もはや日本は豊かな国ではないということです。

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日本経済新聞「安いニッポン」2019.12.10

日本経済新聞の記事にある通り、日本の100均で売られている商品と同じクオリティのものを海外で買おうとしたら、アメリカで162円、中国153円でも、何とタイは日本の2倍近い214円です。
信じがたい事実ですが、私にも身に覚えがあります。
今から10年前の話なのでその時は気づきもしなかったのですが、(このブログにも書きましたが)ニューヨークシティハーフマラソンに参加した時のことです。
できるだけホテル代を安く済ませようとネットで最安値の宿を探したのですが1万円を超える宿しか見つからなかったので、奮発していい宿(と思い込んでいた)を予約しました。
しかし、そのホテルの部屋は牢獄と大差ないくらいひどいものでした。
冷たいコンクリートむき出しの上に湿ったベットと昭和的なアナログテレビが1台あるだけで、もちろん、トイレは共同で、風呂もない。(あったのは常に渋滞する共同のシャワーのみ)
外で飯を食べようにも、NYの大戸屋は、定食で最低25ドルはする。
ラーメンでさえ20ドル近くした。
どんだけニューヨークは物価高いねん!って思ったが、思い返せば、その5年ほど前に訪れたフランスでも物価の高さに手も足もでなくて、朝のバイキングでパンとフルーツをちょろまかして、飢えを凌いだものでした。※2
外国が高いのではなく、日本が安いのです。
「世界で一番安い値段で大好きなディズニーランドで遊べる国なんだからいいじゃん。日本サイコー」って思ってませんか?
物価が安いということは給料も安いということです。
日本はこの30年間物価も給料もほとんど上がっていません。
江戸時代なら問題ありませんが、グローバル化した現代において世界の国々の物価は上がっているのに、日本の物価に変化がないことが問題なのです。
さらに大きな問題は、その現実を受け入れられない大人の意識です。
頭の中はGDP世界2位の経済大国からアップデートされていません。
相変わらず中国人に対して上から目線の人も多いし、ほとんどのアジアの国々を発展途上国だ思い込み、技能実習生として安くこき使うのを当たり前だと思っています。
インバウンドで来日する爆買い中国人のほとんどは、富裕層ではなく中間層です。
爆買いは、日本製品のクオリティに由来するものではなく、国内で買うより日本で買う方が得という経済合理性にもとづく行動にすぎません。
日本はもはや世界から見れば安くてサービスのよいお得な国に映るっているのです。
技能実習生たちも、来日しても稼げないから日本から逃避しはじめています。
それどころか、日本人がアジアに出稼ぎして稼ぐという、富の逆流がすでに始まっています。
このように、外からはもはや日本は豊かな国でないと見切られているという事実に気づかず、相変わらずアジアの王様気取りを続けているガラパゴス化した大人たちにはどれだけ警鐘を鳴らしたとて足りないくらいです。


2つ目は、気候変動です。
今年の正月のNHKスペシャルで放送された次の動画をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=f6J3gptt76I&t=47s
つまり、今のままの産業構造で、ライフスタイルも変わらなかったら、地球は灼熱地獄と化すということです。
暑がりの私からしたら身の毛もよだつ話です。
しかもそのデッドラインは、2030年です。
いますぐ変わらなければ手遅れになります。
しかし、大人たちは「そんなことは起きない。石油だって枯渇しなかったじゃないか。子どもは現実をわかっていない」と嘲笑う。
社会のVUCA化により経験の無価値化※3が進んでいるにもかかわらず、大人はそれを理解せず、大人にとって都合良い社会を手放そうとしません。
大人たちは経験や数の論理を振りかざしてマウンティングしてくるので、経験もなく数も少ない若者は蚊帳の外に追いやられ、そういうことをこれまで何度も何度も繰り返した結果、若者たちは何を言っても無駄だと学習性無力感※4に陥り、社会への関心を失いました。

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日本財団18歳意識調査

国際調査にも若者たちがいかに社会に絶望しているかが如実にあらわれています。
「自分で国や社会を変えられると思う」という項目に至っては、たった18.3%です。
しかし、気候変動は他人事でいられません。
なぜなら、君たちの未来を奪ってしまうからです。
未来のために今を犠牲にするという考え方の先には悲劇しかありません。
私たちはこのまま自然を破壊する道を突き進んで、分断や孤立化を推し進めるような社会をつくるのか。
それとも、人々とのつながりや相互扶助、連帯や平等を重視し、自然を大切にする持続可能な社会への転換を図るのか。
その分岐点に、私たちは立っている。
未来がどうなるのかはわからない。
けれども、有限な地球で無限の経済成長を目指すことは、どう考えてみても、不可能である。
だからこそ、経済成長を最優先にしたシステムからの大転換が今こそ必要なのではないか。
ところが、資本主義で競争して、自分だけが生き残ることに必死になっている大人たちには、この社会を変えるためのビジョンを思いつくことができない。
だとすれば、新しい世代が立ち上がって、社会を動かすしかない。


3つ目は、自殺率です。

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毎日新聞のネット記事が示すように、コロナによって自殺者数が増加しています。
なかでも小中高生の自殺者数が1980年以降で最多となったという事実は、コロナによる経済的困窮だけでなく、社会的不安の深刻さをものがたっています。
私自身を振り返ってみても、コロナですべての当たり前が当たり前でなくなった時に、当たり前のかけがえのなさに気づかされると同時に、「何のために働くのか」、「どうやって生きるのか」といった実存を脅かす問いと向き合うことになりました。
きっとほとんどの人は、緊急事態宣言による自粛期間中、内省的な時間が飛躍的に増えたと思います。
もし、そこで一縷の希望も見出せなかった時、何のために生きているのかわからなくなってもおかしくありません。
人間は無意味に耐えられるほどタフガイではありません。
人間は物語る動物で、「意味」をエネルギーにして生きているから、意味とか目的も感じられない営みに携わって生きることはできません。
少し前までは、その生きる意味は「一億総中流」とか「富国強兵」といったように社会によってパッケージ化された物語として用意されてきましたが、冷戦を皮切りに物語の解体がすすんでいきました。
「自分探し」という言葉が流行り始めたのもちょうどその頃からです。
経済成長・年功序列といった一部の物語はかろうじて神話として機能し続けましたが、平成という時代を経て見る影もなくなり、コロナによってとどめを刺されたと言えるでしょう。


この3つの事実から言えることは、明らかです。
大人の言うことを聞いていればいい時代は終わった、もう少し強めに表現すると、大人たちの言うとおりに生きても幸せにはなれない、最上級で表現すると、大人の言うことは聞いてはいけない、ということです。
大人たちの経験ははっきり言ってクソの役にも立ちません。
「ローカルでリニア」※5な時代は終わり、今我々は「グローバルでエクスポネンシャル」※6な世界を生きているからです。
おじいさん世代の生活と父親世代の生活は大して変わらなかったが、われわれはこれからの100年で、2万年分の技術変化を経験することになり、これからの1世紀で農業の誕生からインターネットの誕生までを2度繰り返すくらいの変化が起こる。
ということは、パラダイムシフトを引き起こし、ゲームのルールを一変させ、すべてを変えてしまうようなブレイクスルーが「たまに」ではなく「日常的に」起こるようになるということです。
そうなったとき大人の言うことを聞いて得られる仕事の多くは、マックジョブ※7程度の低賃金労働になるでしょう。
指示されたことを実行するというタスクはAIの方が有能だから、AIを導入するより低賃金労働者に手作業でやらせた方が安い仕事しか残らないからです。
AIはトイレ休憩すら必要ないし、24時間働けるし、福利厚生もいらない。
それがわずか200万円程度で手に入る時代なのです。
200万程度の給料で奴隷のように生きる、そんな絶望的な世界が嫌ならば、大人の言うことを聞いてはいけない。
つまり、君たちは大人たちとは違う物語を生きていかなければならないということです。
“自分の人生は自分で考えて自分で決める”
「誰か」や「何か」に頼りたくなる気持ちはわからなくはないですが、いつまで待っていても希望の物語は与えられないし、たとえ与えられたとしても、それは絶望の物語です。
拠りどころになるのは自分自身だけです。
そのためには、学び続けなさい。
グローバルでエクスポネンシャルな変化し続ける社会において、知識やスキルはあっという間に時代遅れなものになってしまう。
残念ながら、高校で学んだ知識やスキルの大部分はすでに時代遅れなものです。
大学は多少マシかもしれませんが、知識やスキルそのものは数年もすれば陳腐化します。
だからといって悲観することはありません。
大学は勉強するところではないからです。
大学という時空間は、自分の世界観を相対化しうるような異質な人々や学問と出会うところです。
これまでの人生で積みあげてきた自明性や常識や自我といったコレクションを破壊し、新しいものさしを手に入れるために存在しています。
何度も何度も自分自身の檻を壊すことで、人間性そのものを磨き、人としての器を大きくする努力をしてください。
それが学び続けるということです。
学ぶとは、ガリガリと机に向かう行為ではありません。
学ぶとは別人になることです。
変化を恐れないでください。
変化を楽しんでください。
“学びが快感”という一生モノの価値観を手にすることができたら、どれだけ時代が激しく変化しようとも、しなやかに適合できるでしょう。


これまでも卒業生には「学び続けろ」というメッセージを贈ってきましたが、次に言うことは君たちが初めてになります。
“君たちが未来を変えろ”
「そんな大それたことを」と思うかもしれませんが、そうしなければ社会は変わらないし、変わらければ地球は手遅れになります。
私はそのことに強い危機感と後悔の念があります。
大人たちは責任を果たさないばかりか、ツケを全部未来の世代に払わせようとしています。
そういう意味でも大人の言うことを聞く必要はないのですが、その大人の一員である私がメッセージを贈っているというクレタ人の嘘のような自己言及のパラドックスに陥っていますが、聞くか聞かないかは君たちが判断すればいい。
それが自立するということです。
ここでやっと伏線を回収できました。
私が最初に言ったことを思い出しましたか?
それは「自立し、ともに学び続ける」ということです。
“自立”と“学び続ける”こと以外に“ともに”という言葉をあえてつけたのは、気候変動を含む社会課題と“ともに”生きていかなければならないからです。
そういうことを無視して、経済合理性だけを追求して生きることはもうムリです。
1人で生きていくことができないように、1人では解決できないような問題を“ともに”解決していくのです。
福沢諭吉慶応義塾の建学の精神として「自我作古」をかかげています。
私の大好きな言葉※8なのですが、「我より古を作す(われよりいにしえをなす)」と読み、前人未踏の新しい分野に挑戦し、たとえ困難や試練が待ち受けていても、それに耐えて開拓に当たるという意味です。
皆も「自我作古」のスピリッツを胸に、未来に挑戦して下さい。
未来を作るのは君たちです。
自立し、ともに学び続けて下さい。
コロナという困難に立ち向かった君たちなら、きっとできるはずです。
私も、ともに学び続ける仲間として、君たちを応援しています。
気づいたら3年間があっという間に終わってしまいましたが、私自身も学び続けた3年間でとても楽しかったです。
いくつになっても学ぶことは楽しいということを再確認できました。
ありがとうございました。

 

 

※1コンピテンシーとは見えない学力ともよばれ、関心・意欲、感性、自己肯定感など学力の基盤となる能力・資質

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学力の氷山モデル

※2マクドナルドの値段が日本の倍ほどだった。しかし、ワインは激安だった。
※3環境がどんどん変化していくということは、過去に蓄積した経験がどんどん無価値になっていく。過去に蓄積した経験に依存し続けようとする人は早急に人材価値を減損させる一方で、新しい環境から柔軟に学び続ける人が価値を生みだすことになる
※4学習性無力感とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。
※5ローカルとはあらゆることが一日あれば歩いていける範囲で起きていたということ、そしてリニアとは変化の速度がきわめて遅かったという意味。
※6グローバルとは、地球の裏側で起きたことも数秒後には伝わるということであり、エクスポネンシャルとは、変化が目もくらむほどの速度で起きるという意味。
※7低賃金・低スキル・重労働(長時間労働・過度の疲労を伴う労働)、マニュアルに沿うだけの単調で将来性のない仕事の総称。
※8早稲田出身なのに、大隈より福沢にシンパシーを感じてしまうことにジレンマもある。


参考文献
ピーター・ディアマンディス,スティーブン・コトラー『2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ』2020 ニューズピックス
山口周『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』2020 プレジデント社
内田樹編『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』2020 晶文社

瀧本哲史『2020年6月30日にまたここで会おう』2020 星海社

対話のすゝめ

忘れられない出来事がある。

 

五年ほど前の話になるが、事件は定例の部長会議で起きた。

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事件は現場で起きているんじゃない。会議室で起きているんだ!

表面的には大人の付き合いを続けていたが、腹の底ではいがみ合い、陰で悪口を言い合っている2人の部長がいた。
きっかけが何だったかは覚えていないが、ふとした発言で積年の恨みが爆発した。
顔を真っ赤に上気させたその様子は演技などではなく、怒りを通り越し“憤怒”と言葉がピッタリだった。
怒号が飛び交い、修羅場と化した。
人格否定上等の罵詈雑言の応酬で、今にも殴りかからんばかりの勢いだった。
部長会議という公の場でありながらのまさかの事態に、周囲の方が狼狽する有り様だった。
冷静だったつもりだが、私もそのうちの一人だったのだろう。
何を言ったか忘れたが、必死の思いで話題をそらしていた。
一触即発の雰囲気に耐えかねて、その場をブレイクしてしまったのだ。
水を差された両者は我に返り、事態はほどなくして収束していった。

実は私が忘れられないのはこの事件を解決できたことではなく、会議終了後に、ある部長から「あのままやらしといた方が良かった」と言われたことである。
たとえ二人の関係性は破綻し、会議が殺伐としたものになったとしても、あのままやり合うことに意味があるのだという。
その時の私にとって、止めるという選択肢以外思いつかなかった。
だから、そう指摘されても意味も分からず、キョトンとするしかなかった。
ただあのままやり合うことの意味とは何だったのだろうという疑問がしこりとなって残った。

 

今だからこそわかるが、これは典型的な対話の失敗例であり、私は対話を妨害したのである。
個人の感情や主観を排除せず、理性も感情も含めた全人格を伴った自由な話し合い方が対話である。
つまり、対話とは価値観を否定しない。
一見したところ修羅場にしか見えなかった部長会議だったが、会議というより報告会になりはて、ひたすら空気を読み合うゲームと化し、何の生産性もない時間泥棒となった部長会議において、初めて本音で話し合う空気が生まれかけたのだった。
たとえそのきっかけが怒りという感情だったとしても、思ったことを口にもできなくなってしまった現状を鑑みると、この時の出来事がポイントオブノーリターンだったのかもしれないとも思う。
対話というと、平和的な問題解決手段と思われがちだが、カオスや対立は付きもので、対話がもつ攻撃性や誘惑性を十分に認識せず、対話を万能薬と信じ込むと大変なことになる。
しかし、それを恐れて対話から逃避したり、互いに向き合おうしなければ、組織に成長はない。
対話がもたらすカオスの先に組織の栄光はあると信じ続けられるかがカギとなる。
私は、組織をそこまで信用していなかったのか、ただ未熟だったのか、ともかく、対話に背を向け、ハリボテの安心・安全に飛びついてしまった。
その成れの果てが、先ほども言った現状だ。
いまや私の職場は対話のかけらもなくなり、世代・派閥・分掌・教科・部活動などの壁が存在し、個人の教育観などが対立し、コミュニケーション不全に陥ってしまった。
これは教職員だけの問題ではなく、対生徒の場面においても同じだ。
生徒の主張や意見に耳をかさず、大人の都合を押し付ける。
問題が起きないように管理し、問題が起きたとしても教員が介入して手打ちするしゃんしゃん生徒指導が横行する。
問題を棚上げにしたまま、見た目には円満に収めただけなのだから、子どもたち自身で問題解決する力が育たたない。
だから、問題が起きたら大人に頼ることしかできない。
そして問題があれば学校のせい、先生のせいにするようになる。
一見したところ、おとなしく、落ち着いた学校に見えるが、ただ言われたことしかできない子どもを量産しているだけである。

 

私にも責任がある。
1つは、部長会議の事件が起きる前のことだが、昔担任をしていた時、暴力事象が発生した。
その時の私は、両者の言い分も聞かず、たがいに謝罪させ、強制的に解決させた。
直接関係のない話かもしれないが、そのうちの一方の生徒は、翌年退学した。
あのとき、対話できていれば違う結果になったかもしれない。
しかし、転勤直後で、問題を解決することでデキる教師と周囲から認められたいというスケベ心に負けたのだ。
私も、管理する組織に手を染めていない善人などではない。
2つめは、学校改革推進部長という職務を拝命し、学校という組織の改革に着手したものの、トップダウン的な改革によって分断を生んでしまったことだ。
自分一人の手で改革をしようとする勇者気取りだったが、本音では誰も勇者など必要していなかった。
「変わりたかったら、勝手に変われ。ただし、俺たちは変わらない。ましてや若造に変えられるなんてまっぴらだ。」
そう訴えていたのに私は話を聞こうとしなかった。
自分が正しいと思っていたし、VUCAな世界を生きるには教育改革が必要不可欠だったからだ。
今でも自分がやろうとした改革は正しいとは思っているが、正しいからといって人は動くものではない。

「人は変化することに抵抗があるのではない。人から変化させられることに抵抗する」とセンゲも言っているが、文字通り彼らは抵抗勢力となり、改革を妨害するようになり、埋めがたい溝が生まれた。
一方的な価値観の押し付けではなく、それぞれの価値観を尊重して対話して合意形成していかなれければ、組織は変わらない。
学校という組織を本当に変えたかったら、対話という文化を根付かせることが必要不可欠だということを、この経験から私は学んだ。


対話という文化を学校に持ち込むにはどうしたらいいか、思案していた折、あることを思い出した。
それは“男塾”という一風変わった飲み会だ。
一時期頻繁に開催していたのだが、女人禁制で、互いを敬称で呼び合わず、中2レベルのトークをすることを目的とした飲み会だ。
女人禁制にしたのはただ単に下ネタを話したいからだが、重要なのは仕事の話をしないということだ。
職場の愚痴や上司や同僚の悪口はNG。
一番盛り上がるのは、お互いの初体験を語るときだ。
ニューカマーは参加初日から禊がてらに初体験について語らされる。
そして、初体験の時期によって、中卒・高卒・大卒に分類され、その飲み会の一種のヒエラルキーとなる。
先輩・後輩は関係ない。
初体験の時期によって序列が決まる。
お互いを先生と呼ぶこともNGだ。
だって、我々は生徒からみたら先生であっても、先生の先生ではない。
もし、日ごろの習慣で”先生”など呼ぼうものなら罰金刑が課せられる。
酔っぱらっていると、理性で制御できないからテーブルの中央に置かれた灰皿に見る見るうちにお金が溜まっていった。
このトレーニングを続けていると、対話の土台となる対等な関係性が意図せずして構築されていた。
そして、初体験という究極のプライバシーをさらすことで、互いの弱さが開示され、信頼関係がうまれる。
まさに対話的空間の理想だったと思う。
小難しく、「学校という組織を本当に変えたかったら、対話という文化を根付かせることが必要不可欠だ」なんて言ってるが、なんのことはない、知らず知らずのうちにやっていたのだった。
フラットな関係性でつながったこのメンバー同士は、言うまでもなく、仕事でも大きな成果をだし、組織の中心的なコアメンバーとなっていった。


もちろん今男塾を復活させることはできないが、若手・ベテランに関係なく、固定観念に縛られることなく、最上位目標を達成するための関係性を構築するヒントを示してくれた。
一見回り道で、めんどくさくて、時間がかかるが、“対話がすべてを解決する”と信じ、もう一度教育改革にトライしてみようと思う。

 

ブラック校則問題

学生時分の話になるが、バイトが校則で禁止されていることに強い違和感をもっていた。
現に私は学校に隠れてバイトをしていたのだが、学校では学ぶことができなかった社会性、主体性やコミュニケーション能力など多くの資質・能力をバイトを通じてトレーニングすることができたと感じている。
何も私に限った話ではなく、企業で面接官をした経験から言うと、就活生のほとんどは自己PRでバイトかサークルのことを語っていた。
多くの大学生もバイトの有用性を感じているにもかかわらず、高校という教育現場ではタブー視される。
その当時、大学生の立場にあった私は現役の先生と話す機会があり、バイトの有用性について議論したことがあったが、バイトの弊害ばかりが強調され、聞く耳を持たず、けんもほろろだった。
ただし、この先生が特異なのではなく、全国ほとんどどの高校でも多少の例外を除き、原則バイトは禁止されている。
学生の自分にはとうてい納得のいくものではなかったが、教師になってはじめてその意味が理解できた。
バイトに熱心な生徒は、学校生活がおざなりになることが多い。
学生の本分である学業に悪影響をおよぼすことを防止するために、バイトを禁止する必要があったのだ。


しかし、なぜバイトをすると学校生活がおざなりになるのだろうか?
実は、一方で学校では怠惰な生徒であっても、バイト先では大活躍していることが多い。
つまり、バイト先で活躍できるくらいなのだから、真面目に学校生活を送ることくらい朝飯前のはずだ。
にもかかわらずやっていないということは、意図的にしていないのだ。
それがこの問題の核心だ。

おそらくバイトをした生徒は、学校というフィクションに気づいてしまったのだ。
学校と社会、どちらが上位概念かというと、社会に出るためのトレーニングするのが教育機関のミッションなのだから、当然社会である。
その学校という空間で定められたルールと、社会の定めるルールが乖離していたとしたら?
生徒が社会のルールになびくのは自明の理である。
学校では禁止されている茶髪やピアスも、社会では全く問題ない。
社会という圧倒的なリアリティの前に、校則はなすすべもない。
校則と社会のダブルスタンダードに、生徒は大人の欺瞞を感じ取り、学校への不信感を募らせていく。
その結果が、「バイトに熱心な生徒は、学校生活がおざなりになることが多い。」という定説だ。


結局のところ、バイトが問題なのではなく、社会に対して閉鎖的な学校そのものの在り方に問題があるのだ。
学校生活に支障をきたしたのが、社会と学校のルールの矛盾を知り、学校のルールに意味を感じなくなったからだとしたら、学校の方が変わるべきだ。
おかしいのは生徒の方ではなく、学校のほうである。
ブラック校則とよばれるものの多くは、こうした社会との乖離が原因となっている。
学校が社会から隔離されていることが問題なのである。

それを表す一つの指標が、教員の流動性の低さだ。
私自身の実感値でいうと、サラリーマン時代には入社3年で同期の半分が辞めたにもかかわらず、教員の世界では10年で数人しかやめていない。
しかも、その数人も他府県に転出したか、不祥事を起こしたのがほとんどで、実質教員がキャリアの終着点となっている。

次のグラフは、文部科学省の調査です。

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 平成27年平成28年度)の公立高校の教員数は162,683人で、そのうち定年退職を含む離職数は5,340人。
そこから定年退職の3,565人を差し引いた残りの1,775人が自発的な退職になる。
なんと、その割合はわずか1%!!
この数値が教員がキャリアの終着点であることを物語っている。


これが諸悪の根源なのではないだろうか。
そもそも教員自体が社会を知らなさすぎるのである。
このようにキャリアが閉じてしまっていることによるもっと大きな弊害は、魅力ある人材が集まらないということである。
教員がキャリアアップの選択肢の1つになっていないという現実は、一般的な社会人にとって教員になるという選択肢はリスクとなる。
実は、教育に興味を持っている社会人は案外多いと感じている。
地域の人や、企業の人に依頼をすると、そのほとんどは熱心かつほぼ無償で協力してくれる。
おそらく、多少給料が低くなっても、人は集まると思う。
それがキャリアアップになれば、のちのキャリアで十分ペイするのだから。
しかし、キャリアが閉じてしまっているから、人が集まらない。
人が集まらないから、ますます世間知らずになる。
そして、外の世界のことを知らないからますます保守的になる。
この悪循環が教育のブラック化の一因だろう。


教員が外の世界を知らないのならば、外の世界が教育をハックするしかない。
学校外部の資源を教育に接続することで教育をアップデートする。
さまざまなキャリアを有した人が集まる学び舎となれば、教育は変わる。
学校が社会に開かれているというより、社会の中に学校があるように、学校のあり方そのもののパラダイムシフトが必要だ。
学校の常識が、世間の非常識なんて言わせない。
学校は今の当たり前を強制するためではなく、未来の当たり前を創造していくためにあるのだから。


僕も今では違う理由からバイトには反対だ。
10代、20代のときの貴重な時間を、誰でもできる単純作業しか与えられず、たった1時間1000円でこき使われるよりもっと有意義な使い道が無限にあるからだ。
もしバイト禁止に違和感をもつ僕みたいな学生がいたら、胸をはってこう言う。
「バイトはもったいないからやめておいた方がいい。」

お稽古ごと

50m自由形38.37

100m個人メドレー1:50.68


これは、先日のマスターズ水泳の私のタイムである。
ごくごく平凡な記録にすぎないが、2年前までは背泳ぎもバタフライも泳げなかった私にとっては、輝かしい記録だ。


50m自由形は、緊張のせいか、カラダがフワフワし、水をうまくとらえることができない。
しかし、それでも自己ベストを更新し、前回のマスターズ水泳ではできなかったクイックターンに果敢に挑み、ほぼ完璧に成功することができた。

100m個人メドレーは、バタフライがスタートした直後に、他の選手はもうすでにはるか前方にいた。平泳ぎを始める頃には、皆平泳ぎを泳ぎ終わっていて、結局、20秒近く離されての圧倒的な敗北だったが、自己ベストを10秒近く更新することができた。


シンプルな感想に過ぎないが、この感想に年をとってお稽古ごとを嗜む意味が凝縮されていると考えている。
1つは、緊張するということである。
年をとると、知らず知らずのうちに自分の経験という檻に閉じこもり、挑戦しなくなり、どんどん保守的になっていく。
失敗を避け、安全地帯を渡り歩いているのだから、良くも悪くも緊張することがほとんどなくなるのだ。
40歳という年齢は、意図的にこのコンフォートゾーンから脱出する機会を作らなければ、もはや緊張することすらできない年齢なのだ。

2つ目は、負けることが許さされている、あるいは失敗することができるということである。
本業の仕事の方では、ミドルリーダーなどともてはやされ、マネージャー的な職務を預かる年齢だからこそ、失敗は組織に大きな損失を与える。
自分だけのミスではすまないからこそ、うかつに失敗はできない。
だから、前述したとおり、失敗を避ける→安全地帯→緊張感なしという無限ループに陥る。
しかし、お稽古ごとではミスしても誰も咎めない。
負けてもペナルティはない。
だから挑戦することができる。

われわれは、「負けたことがあるというのがいつか大きな財産になること」を、スラムダンクを通じて学んだ世代だった。
お稽古ごとはそのことを思い出させてくれた。

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私自身の場合は、負けることで学んだことは謙虚さだ。
自分の通うスイミングスクールの中では速いから、スクール生からおだてられ、いい気になっていたが、マスターズの惨敗で鼻っぱしを見事に折られ、井の中の蛙に過ぎないことを痛感する。
「まだまだだ、もっと頑張ろう」という前向きな気持ちになれるから、成長することができる。
本業でも、ミドルリーダーとしてちやほやされることで、少なからず傲慢かつ尊大さに蝕まれていく。
そうしたうぬぼれに侵蝕される前に、お稽古ごとを通じて自分の小ささを自覚することで、謙虚でいられるのだ。

3つ目は、自分の限界を超えるには、自分の力だけは超えることができないということだ。
練習で何十キロと泳いでも到達することができなかったタイムを、試合になると更新することができるのは、我ながら不可思議である。
試合という場は潜在能力を引き出す舞台装置であり、こうした場の力や、コーチの力なくしては成長することは容易ではない。

 

つまり、緊張感のある環境のなかで、挑戦することで、人は成長する。
それはいくつになっても変わらない。
これが、私がお稽古ごとを続ける理由である。